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最近読んだ本の感想(いのちの停車場)

南 杏子 「いのちの停車場」

プロローグ
救命救急センターのホットラインは、その日、咲和子だった。学会の日でありベテラン医師はすくなかった。大規模交通事故で救急要請があり、7人の受け入れ要請があった。スタッフの人数、ベッドの数が不足していたが、受け入れた。救急要請の人たちの対応は問題なかったが、自主的に受診した患者の対応にミスがあり、咲和子は責任をとって退職。

第一章 スケッチブックの道標
地元金沢にもどり、まほろば診療所で在宅医療を始める。救命センターでの知識、経験では対応できないことを思い知らされる。
シズと徳三郎の家は老老介護だった。佐和子が指導するも医療への出費はできるだけ抑えようとしていた。その後も在宅医療を続けていたが、容体の変化に驚いた徳三郎は救急車を依頼した。退院後、佐和子は徳三郎にスケッチブックをつかって死(死に向かう変化)を学ぶ授業をする(下顎呼吸のことなど)。そして容体が急変したとき、徳三郎は今度は咲和子を呼び出し、シズの最後を看取る。「(咲和子がいてくれたおかげで)、今度は怖なかった」と徳三郎が咲和子に告げる。

長寿となったことで、老々介護が増え、対応に苦慮している方々が多い。特に認知症を抱えた人を介護するパートナーは外出も短時間に済ませる必要があり、1日中休まる時がない。
老々介護の原因としては下記のようなことのようです。
・長寿化による介護する期間の長期化
・高齢者のみの世帯の増加
・他人による介護を嫌がる
・公的介護施設の不足
・経済的な問題から介護サービスを利用できない
厚生労働省の「2019年 国民生活基礎調査の概況」によると65歳以上の要介護者の介護を担っている介護者の年齢層を見ていくと、65歳以上の人が担う老老介護の割合は「59.7%」と6割近くを占めているそうです。
スピード感をもった改善が必要ですよね。

第二章 フォワードの挑戦
IT企業の社長、江ノ原は、ラグビーのプレィ中に脊髄を損傷し、手足が動かない四肢麻痺の状態となった。そして咲和子に最先端医療をやってほしいと依頼する。このためまほろば診療所がコーディネートすることになり幹細胞治療のクリニックを受診する運びとなった。
この部分のその後について、この本のなかでは触れられていない。

iPS細胞を使って神経前駆細胞(神経のもとになる細胞)を作り、患者に移植することで脊髄の機能改善を目指す臨床研究が2019年から始められています。まだ臨床試験の段階とおもいます。待っている方が多いと思われるためできるだけ早期に実用化されることを望みます。

第三章 ゴミ屋敷のオアシス
ゴミ屋敷にくらす千代は、風呂にはいったままだった。家族の協力もあり家は片付く。だが、千代は脱衣所でたおれ緊急入院。退院にあたって家の風呂を段差の少ないものに改造しようとしていた矢先、娘の家にもらい湯にいくことを咲和子が提案すると、千代は娘の家の風呂に入りにいくことで事態は好転していく。

自分の好きなことを楽しめると、前向きになり暮らしの質が上がっていくものなのですね。

第四章 プラレールの日々
厚生労働省の統括審議官だった宮嶋は、膵臓癌だった。病院での治療効果が見込めないことから、在宅医療となった。政府の方針「病院から在宅へ」を進めてきた人物としてそれを率先する形でもあった。宮嶋によりそう友里恵の負担をやわらげるため、レスパイト・ケアを提案。看護師の麻世の実家が営んでいる旅館に友里恵を招待。事態が好転していく。宮嶋は昔、子どものために買ったプラレールを持ち出して眺めるようになった。臨終がせまる宮嶋のもとへ息子が到着し父親の手をにぎる。息を引き取った宮嶋の目から涙が流れていた。

レスパイト・ケアという言葉を初めて知りましたが、息抜きということのようです。介護する側の方に一時的に休息してもらい共倒れを防ぎ、介護者が在宅介護をつづけるための重要なケアのことです。介護を続ける方には、こうした提案を適時に行ってもらえることが、とても大切なのですね。

第五章 人魚の願い
小児がんセンターの三次治療まで耐えた萌はまだ6歳。両親は娘に死が迫っているという現実を受け入れられていなかった。萌の希望は「海に行きたい」。酸素ボンベや吸引器、点滴台などを介護タクシーに載せ、萌と両親、咲和子、看護師たちは、千里浜なぎさドライブウェイ*へ。萌の足が海水へつかる。「海楽しかった」
この3日後に萌はなくなった。

三次治療まで行ったということは、それまで有効と考えられた治療が副作用などで断念せざるを得なかった経緯があり、その副作用に耐えたということ。6歳の子供には過酷すぎる。両親の気持ちもわかる。海へ行けたことが救い。
*千里浜なぎさドライブウェイ→日本で唯一、一般の自動車やバスでも海岸線の砂浜の波打ち際を走ることができる道路。 石川県。

第六章 父の決心
父は、大腿骨骨折のあと、入院していた病院で脳梗塞をおこし、神経性疼痛(激痛)に悩まされていた。神経内科を専門としていた医者の父としてはそれを治すことができないとわかっていた。そして父は在宅医療を希望した。それは延命治療を中止することを意味した。父は積極的安楽死を望んだ。医師がそれを行うと殺人または自殺幇助で逮捕される。

積極的安楽死を是認しうる6つの要件(1962年名古屋高等裁判所の判決文)
1.患者が不治の病で死期が迫っていること
2.耐えがたい苦痛があること
3.もっぱら患者の苦痛を緩和する目的であること
4.本人の真摯な嘱託・承諾があること
5.原則として医師の手によること
6.その方法が倫理的に妥当であること

まほろば診療所の仙川はこう言う。
「今の状況だと、鎮痛目的のモルヒネを増量するだけで呼吸抑制が起きて死にいたることもある。だからそういう方法で最後を待つことだって可能だ。しかも法に触れない」
「でも、咲和ちゃんは本当にそれでいいの?達郎先生はもともと脳神経が専門だったから、ご自身の病状が今後どうなっていくか、よく分かっているはずだ。だからこそ、自分の意思を持って人生を全うしたいと思っているはず」
このあと佐和子と父親との話し合いは未明まで及んだ。

その日、ビデオカメラが回っていた。そして咲和子が生食(生理食塩水)点滴をし、鎮痛薬の連結をする。あとは、父がそのつまみをまわすだけ。
このあとどういう展開になったか興味をもたれた方はぜひ本書を手にとっていただきたい。

父からの手紙
<安楽死は私自身が望んだこと。~咲和子が医師になってくれて、何も思い残すことはない。咲和子は、決して自分を責めないように~」
※オランダやベルギーでは、患者の要請に基づいて医師がおこなった場合に限って積極的安楽死が合法化されている。(本文に書かれている内容)

医療が進歩し治療できる病が増えてきているけれど、不治の病というものがあり、患者が希望すれば積極的安楽死も選択できるような世の中になるべきと思います。

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