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含蓄ある言葉と自分の感情をストレートに表現する大切さを女子高生から学んだ話

まだ寒い風が頬をなでる日のこと。歯の治療のため歯医者に行く。何かあったときに定期的に行くいつもの歯医者だ。歯の治療というのはなぜ1回で済ませてくれないのか。医者曰く、「術後の経過を見たいから」とか「患者の負担を考慮するため」らしい。治療中「痛かったら手を挙げてくださいね~」と言うが僕は意地として手を挙げたくない。僕もいい大人なので痛いのは我慢できる。それよりも、僕が口を大きく開けているところを綺麗な歯科助手のお姉さんに見られる方が羞恥心を襲う。歯科助手に綺麗なお姉さんが多いのは院長の好みなのだろうか。(たぶんそんなことはないはず)

治療終えたあと、こういうとき「じゃあ、1週間後また来てください」と無機質に言われるのだが、その日は違った。

「春の足音が聞こえた頃にまた来てくださいね~」だった。

「1ヶ月後また来てください」だと絶対に行かないのだが、時期的に「もうすぐ春なのか…」と、これから過ごしやすい季節になるかと思うと心が躍る。歯医者で事務的な連絡で「春の足音が聞こえた頃」と言う是非は置いといて、日本語ならではの豊かさが生んだ表現だと思う。いとをかし。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
百人一首 9番 小野小町 

桜が咲いている間はあんなにきれいなのに、桜の花びらというのは地面に落ちた途端、一気に汚くなってしまう。綺麗な色をしているのに、華やかに咲き乱れる桜の姿に、好きだとか嫌いだとかということを一切忘れて、見惚れてしまうのに。そんな鮮やかな色だからこそ、ぐちゃぐちゃになった土の上の花びらに興ざめしてしまう。

この小野小町の歌は本当によくできている。「降る」と「経る」を掛けることで「雨が降る」と「年が経る」、つまり自分が老いていくさまを、雨が降る中、散っていく桜の情景を詠んだ歌だ。

咲いている間はものすごく綺麗に映るのに、雨が降り、桜が散った途端、それが共鳴するかのように自分も年老いていくのかと思うと、なんと嘆かわしい歌だ。なので「春の足音が聞こえる」季節の方がちょうどいい。ときに、日本語の豊かさに触れる瞬間がある。今日は最近僕が見た(読んだ)含蓄ある言葉や文章を紹介していく。


太宰治『走れメロス』の冒頭に竹馬ちくばの友」という表現が出てくる。セリヌンティウスのことだが、「子どもの頃からの仲」であることを言い表した「親友」の類語だ。親しい間柄を表すために、子どものときによく遊んだ竹馬でそれを想起させるわけだ。というより、故事成語をさらっと文章の中に織り交ぜるのがすごいし、少し知的っぽくみえる。いまのところ、『走れメロス』しかみかけない言葉だ。お手元にある方、ぜひ確認してほしい。


同じく太宰治『女生徒』にこの一節がある。

それよりも、この空は美しい。このお空には、私うまれてはじめて頭を下げたいのです。私は、いま神様を信じます。これは、この空の色は、なんという色なのかしら。薔薇。火事。天使の翼。大伽藍。いいえ、そんなんじゃない。もっと。もっと神々しい。
「みんなを愛したい。」と涙がでそうなくらい思いました。じっと空を見ていると、だんだん空が変わってゆくのです。ただ、溜息ばかりで、肌かになってしまいたくなりました。それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。そっと草に、さわってみました。
美しく生きたいと思います。
『太宰治全集2』ちくま文庫 P191~192

『女生徒』の主人公の朝から晩までの1日を、少女の独り言のような、日記のような、そんな文体で描かれている。主人公のお母さんは縁談に大忙し。そんなお母さんに嫌気をさす。数年前に亡くなった父に思いを馳せるシーンが上記の引用文だ。美しく生きていこうと決心した少女の生の声は活き活きと伝わってくる。空を見上げて父を想う少女の姿に感動するだけでなく、移り変わりゆく空を見て、心境の変化の末、「美しく生きたいと思います。」という最後に含蓄のある言葉だと思ったわけである。


最初、何の本で読んだか忘れたが倜儻不羈てきとうふきという言葉もあることを知った。同志社大学創設者、新島襄の遺言だそうだ。直接の出典は新島襄だが、究極の出典まではよくわかってない。おそらく故事成語かと思われれる。この倜儻不羈てきとうふきが同志社大学の教育理念のひとつとして掲げている。意味としては

才気がすぐれ、独立心が旺盛で、常軌では律しがたいことを意味します。

何が言いたいかと言うと、倜儻不羈てきとうふきという語感の良さとその意味がすばらしいということ。同志社大学の学生にはぜひこの言葉を誇りにもってほしいわけである。


西加奈子『夜が明ける』という小説にセンセーショナルなところがある。たとえば、主人公「俺」が高校時代、同級生に絵の上手い遠峰という女の子がいた。この遠峰というのは貧困家庭に育っており、家計を支えるためガソリンスタンドでアルバイトしている。そんな遠峰に「俺」は「そんなに絵が上手いなら漫画家になったら?」と問う。その遠峰の答えが

漫画家なんて無理だよ。私に選べる未来なんてない。
西加奈子『夜が明ける』新潮社 P47

高校生にして、未来が閉ざされていると悟った遠峰の発言に胸がしめつけられるものがある。遠峰はクラスの人気者でサバサバした姉御肌で、明朗でハキハキとしゃべる明るい子だ。しかし、「漫画家なんて無理だよ。私に選べる未来なんてない。」と言ったときは、憂う気持ちと将来への悲観、冷静に心を落ち着かせつつも、どこか自分の好きなものや夢を手放したくない気持ちがうかがい見ることができるセリフだ。今後、遠峰がどうなるかはぜひ読んでみてほしい。


文学だけでなく、何気なく読んだ文章にも時として考えてしまう時がある。しかも素人の。とくに文章力があったり、エモい文章かっていうとそうではないのだけど、魂がこもった圧力のある文章というのが存在する。

(1/3)
(2/3)
(3/3)

最近というより、約1年前の話になるが、高円寺にある「アール座読書館」に行った時のことである。(以前、記事にて紹介したことがある)

このお店には雑記帳が置いてあって、お店に来たお客さんが自由に色んなことが書いてある。大体は日記だったり、アール座読書館の感想を書いてたりする。その中で見つけたのが、上記3枚の写真にある、とある女子高生の恋物語である。ここまで自分の感情をストレートに書かれた文章を読んだのが久しぶりで新鮮だった。何より手書きで日記を書くってここ何年もしていないと思っていた最中、こうしてどこの誰かわからない女子高生が書いた日記が読んでいて胸を締めつけられる。

バレンタインデーに気になる男の子にチョコを渡したいのだそう。しかしそれは「好きだから」ではなく「も〜〜〜ちょっとお近づきになりたい」んだって。好きとかそういうことじゃなくて、仲良くなりたい。ということなのか。いいよねぇ。自分の感情をストレートに表現できる人ってすごいよねぇ。上記の(1/3)の写真に丁寧にマーカーが引いてあるけど「令和男子は引いても動かん❗️どんどん押してけ❗️」がその証左だ。この女子高生の勇気と自分の感情に真摯に向き合う姿を見習っていかないといけない。この後、この女子高生がどうなったかは残念ながらわからないが、こうして自分の思いや感情を文章として書き留めておいて、あとから自分の成長の記録として振り返るのもいいかもしれない。


時として音楽を聴いてると思わず立ち止まって考える言葉も出てくる。

まずこのMVを観てほしい。

マカロニえんぴつ「なんでもないよ、」に登場するあるフレーズがめちゃめちゃ刺さった。

君といるときの僕が好きだ

好きな女の子に向けたラブソング。その女の子のどこが好きなのかを自問自答する歌詞なのだが、この歌の最後のフレーズ「君といるときの僕が好きだ」は真理をついている。

「好きなタイプは?」ときかれても正直、困る。「笑顔が好き」とか「優しいところが好き」とかいろいろ言えるだろうが、つまるところこれだよなぁって感じ。「誰が好きか」というより「この人と一緒にいるときの自分が好きになれるかどうか」だ。どんな自分であれ、自分であることは変わりないので、その都度の自分でいられる相手が居心地がいいわけである。結婚において、税制上の合理的な理由は一切無視して、現代における「結婚する意味」を考えるにはとても示唆に富んだ言葉である。

音楽からもう1曲。10-FEETというバンドのライブにおける定番曲に「蜃気楼」がある。

なんでこれを挙げたかというと、なんとなく過去に思いを馳せ、なんとなく生きていこうという一筋の光を示す、含蓄ある言葉があるからだ。

大切な人を失ってから

日々に擦り切れて
10-FEET「蜃気楼」の歌詞より抜粋

たまに部屋の外を見ると

青空が切なくて
同上

自由に外に出られる未来を待っている。

見失っても 遠くに消えても 繰り返しの日々も 表情のない日も 
ああ 僕はぎこちない朝 また同じ夢を見ていた
同上
あなたが私に残した言葉は
今も事ある度 僕を歩かせ
孤独も幸せも少し増えた
懐かしさよ 今だけ温もりくれないか
同上

遠い日に思いを馳せる歌詞が、今の日本の現況を物語る。大切な人を亡くしたことを深く悲しむことも落ち込むことも。身近にいる大事な存在は、いつも決まって失ってからじゃないと気づかない。

ぼんやりとした過去に思いを馳せながら、これからも生きていくことを描いた歌で、とくにこれといって前向きにさせる歌ではないのだけど、どうしても前向きになれない、立ち止まってる人に寄り添った曲なのかもしれないと思う。それを「蜃気楼」という隠喩がいいなーと思うわけだ。

以上、最近僕が見た(読んだ)含蓄ある言葉たちでした。とくに、自分の感情をストレートに表現する大切さを、どこの誰かわからない女子高生に教えられた話でした。自分も少しずつ頑張って書いてみようかなと思う。

前回の記事はこちらから。


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