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人と関係を作ることは喜びでもあり、絶望でもある。あと文通相手が欲しい

僕たちはこの先ずっと一緒にいることはできないと、はっきりとわかった。僕たちの前には未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間がどうしようもなく横たわっていた。

朝、カーテンの隙間から漏れる暖かい光が部屋に満ち始めると、今日は散歩日和かな、と思う。何気ない光を愛おしく感じれるのは、きっと幸せに違いない。春の光が部屋を突き破る。寒さの中にも日差しが柔らかくなり、草木の新しい息吹が感じられる。自然と心が踊る。特に今のような季節の変わり目のとき。まさしく春の足音が聞こえた頃であろうか。1歩ずつ1歩ずつ春が近づいてくる。ともに過ごしたトレンチコートともしばしお別れ。かわりにカーディガンを着す。ようやくオシャレを楽しめる時期がやってきた。

家電量販店では「新生活フェア」、「新生活応援セール」。洋服の青山では入学式で着るスーツ、就活用スーツ、新社会人向けのセールの垂れ幕。「今なら2着目半額になりますけど、もしよかったらご一緒にいかがですか?」。そんな営業トークが聞こえてきそうだ。

僕はというと、とくに4月から生活が変わるわけではないので、3月が過ぎるのをただ待つだけである。いつも通り朝起きて会社に行く。まだ寒さが頬をつたってくる日の渋谷は、帰宅を始めた人で増え、空気は冬の独特の匂いがし、少し冷たい。帰宅後は読書にアニメ、YouTubeを観て寝る。そして休日はゆっくりとnoteを書く。とくにこの2年、僕の生活に事件は起きず淡々と過ぎていく。ライブに行ったり、遠出の旅行、友人との食事はまだお預け。こういう生活があとどれくらい続くのだろうという不安はある。それは僕だけのことじゃないのでここで恨みつらみを綴るつもりはない。それを差し置いても、今の生活を楽しめているので良しとする。

しかし、毎年この時期は別れの季節でもある。厳しくもあり、愛情をもって接してくれ、慕っていた上司がこの3月に退職することとなった。“あなたが上司でいてくれたおかげで仕事頑張れたのになぁ“と、目頭を押さえこむ。人の門出を寿くくらいには僕は大人になったかもしれない。そんな人と関わっていく中で思い出す映画がある。


「来年も一緒に桜…見れるといいね」


新海誠監督『秒速5センチメートル』、第1話「桜花抄」の冒頭で篠原明里が言ったセリフである。

毎年この季節になるとこの映画を思い出す。『君の名は。』よりも1番好きな作品だ。時間的距離の隔たりと精神的距離の隔たりが生んだ男女2人の心の隙間を描いている作品である。何度観ても僕の感性をくすぐる色あせない作品だ。

『映像研には手を出すな!』を観てアニメーションを創る難しさを知ると、新海誠とその集団は、もう15年も前からこんなアニメ映画を世に送り出しているのだから、この作品の凄みがより理解を増す。

前回、含蓄のある言葉を通じて、言葉や文字がもつ可能性について考えたが、『秒速5センチメートル』にもそれを示唆しているフレーズがある。それが冒頭で示した引用だ。

僕たちはこの先ずっと一緒にいることはできないと、はっきりとわかった。僕たちの前には未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間がどうしようもなく横たわっていた。
『秒速5センチメートル』第1話「桜花抄」より

人と関わっていると思い出すフレーズだ。出会いがあって別れがあり、そして離れていく。人と関係を作ることは喜びでもあり、絶望でもあることを示唆しているのかもしれない。人間関係の脆弱性を孕んでおり、とても示唆に富んだセリフである。

中学を卒業を機に篠原明里は栃木に引っ越すことになり、主人公・遠野貴樹と篠原明里は離れ離れになる。それから2人は手紙のやり取りを繰り返す。しかし、遠野貴樹は鹿児島に引っ越すことが決まり、鹿児島と栃木は絶望的に遠い。意を決して遠野貴樹は彼女が待つ栃木へと向かう。雪の遅延による3時間遅れの末、ようやく2人は再会を果たす。2人の想いの近さを実感し、2人はキスをする。その際、遠野貴樹の心情を語ったナレーションが上記にて引用したセリフである。細かい描写は割愛するが、この日、2人はそれぞれ渡そうとした手紙を渡しそびれて別れている。

『秒速5センチメートル』第1話「桜花抄」 IMDbより

ここで僕が思うのは「もし“手紙“を渡すことができたのなら、2人の距離が縮まるのだろうか」ということ。第1話「桜花抄」は1990年代を舞台にしていて、このとき携帯が普及する前である。遠距離であるからこそ手紙がもつ可能性がある。それを体現しているのが第3話「秒速5センチメートル」にて、遠野貴樹は社会人となり、同僚の水野理紗と交際するが、破局する。そのとき水野理紗が送信したメールが

1000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった。
『秒速5センチメートル』第3話「秒速5センチメートル」より

メールってやっぱりだめなのかなぁと思うわけである。(2022年の今はLINEが主流だけど)

物理的に近い距離にいるはずなのに、メールとなった途端、距離を縮めることができないなんて。文明の利器が生みだした2人の心の距離が離れてしまった瞬間でもある。

『秒速5センチメートル』は「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の短編3話となっており、各話20分の全60分の短編映画だ。全編通して観ると、登場人物たちの心の脆弱性が浮き彫りになって現れる。感動するとかエモいとかそういうのではなく、センチメンタルなヒューマン物語である。

このアニメの主題を無視して語るがやっぱり

手紙っていいなぁ

と思うわけである。燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』でも文通するやり取りがあるように、この時代におけるコミュニケーションの取り方を考えると、時間が空いて往復する手紙のやり取りに、文字として載せる重みが強くのしかかるのではなかろうか。文通をする文化がなかった僕にとって、今の時代憧れる昔のコミュニケーションである。

最後に手紙を書いたのいつだったっけと思い出すと、半年くらい前に高円寺・アール座読書館で自分宛に書いた手紙だった。

このお店にはレターセットも売られていて手紙を書くこともできる。自分宛に書いた手紙だったのでここで何を書いたか言わないが、久しぶりに手書きでの手紙を書くことに喜びを味わった。

昔、雑誌に「文通相手募集」のページがあった。あれはあれで良い文化だと思う。文通だけでつながる相手って良い。“インターネット“という文明の利器で文通相手が気軽に見つかるのであれば、僕もそんな文通相手が欲しいのである。利害の関係を生まない知らない相手とのやり取りでどのようなことが起きるのか試してみたい。

それぞれの季節の変わり目になにかふとした瞬間に、思いを馳せることってあるだろう。これからの生活に心が躍るこの時期が好きでもあり、少しセンチメンタルにもなるこの時期が嫌いでもある。ようやく暖かくなってきたなぁと思える今、油断していると黄昏時はまだ少し寒い。どうせ暖かくなって桜が咲いて散るのもあっという間なのだから、少しは季節を楽しむ何かをしないといけないが時節柄そうはいかないので、何か新しいことを始めようと思うのだが中々思いつかない。でもこの記事を書いて思いついたんだ。

文通相手をみつけて文通がしたい。

油断した。今日はまだ寒い。


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