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【読書記録】『同志少女よ、敵を撃て』/逢坂冬馬

第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作。独ソ戦、女性だけの狙撃小隊がたどる生と死。
独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために……。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?
ハヤカワ・オンラインより

第166回直木賞候補作に選ばれており、凛々しい少女がライフルを構えているという印象的な装丁に見惚れ、つい手に取った本だ。

ディストピア系のSFってどうしても現実離れした設定が多くて、中々物語に入れなくて自分が苦手とするジャンルだけど、本作は第二次世界大戦期の独ソ戦を舞台にしていて、「こういうことが過去の歴史においてもあったかもしれない」と感じさせる内容で物語に入りやすかった。ロシア文学特有の名前の分かりづらさもなく、登場人物もすんなりと頭に入った。

ロシア人のフルネームは「名・父称・姓」で構成され、それに加え愛称で呼び合う習慣がある。たとえば、本作の主人公セラフィマの母「エカチェリーナ」だったら「カチューシャ」のように。人物の呼び方でその人との関係性がわかるというのがロシア文学の特徴といえよう。本作『同志少女よ、敵を撃て』においても、呼び方が名から愛称に変わる瞬間がある。そこに心理描写が充てられていて面白い。

敵を殺すこととは異なる欲求が自分の中に生じたとき、シャルロッタがセラフィマの唇にキスをした。女性同士のキスは、ロシア人にとって友人にする挨拶であり、特に珍しくもないが、親愛の証でもある。
『同志少女よ、敵を撃て』早川書房 P112

この一文が端的に示されている。その後、シャルロッタ(主人公と同じ隊に所属する同じ、女性狙撃兵)は初めて主人公を「フィーマ」と愛称で呼ぶこととなる。

あらすじでも記したように、主人公セラフィマが住む村に突如、ドイツ軍が襲撃し、母親ほか村人たちは惨殺されるが、セラフィマは赤軍(ソ連軍の正規軍の通称)のイリーナに救われる。そこからセラフィマは復讐を果たすため、狙撃兵になることを決意するところから物語がスタートする。狙撃兵になるために、訓練を積むのだが、主人公の他にも女性狙撃兵が集まって女性狙撃兵だけの軍隊が組まれることとなる。

本作の主題は「命の意味」にあると思う。復讐とはいえ、狙撃兵になることを決意した主人公の葛藤が作中の中で垣間見える。最前線の極限状態に追い込まれた主人公の怒り、逡巡、悲しみ、慟哭、愛。それを物語る描写が、本作の各所に散りばめられており、読者を奮い立たせる内容に昇華させたに違いない。

血なまぐさい戦場にて、戦争の不条理さや、喪失感と絶望に襲われながらも「生きる意味」を模索する女性狙撃兵たちの葛藤が、緻密な文章で描かれていた。

エンタメと戦争という重いテーマを、ギリギリのラインで攻めた画期的な小説だった。女性のカッコイイ姿が描かれていたな。というのが、読後の感想。主人公の「最後の敵」が意外で驚いた。話題になるのも納得の作品であった。

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