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映画「竜とそばかすの姫」6回観た感想・考察(7/29)

初見時点の感想はこちら ↓

☆3周目時点での感想

2021.7.20「竜とそばかすの姫」
あっという間に3回目に行ってきました。
あと何回かは行きそうだなこれは。。
本日は隣がいたため、あまりおおっぴらには泣きませんでしたが、それでも序盤から涙が出てきます。
toho日比谷のスクリーン1。音がめちゃめちゃいいので、全身歌にさらされ痺れました。

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宇多丸映画評が次回は竜とそばかすの姫みたいなので楽しみです。
なぜか今週はおやすみで、7/30になるのかな。
その頃までには一通り賛否やら考察やら出揃いそうです。

相変わらずレビューは「歌はいいけど脚本が…」てなのが多いですね。ただ、とりあえず感動した、とりあえずよかった、という体感派も一定数いて、興行的には成功しそうで嬉しいです。こういう映画がポシャったら二度と作られなさそうだもんなあ。

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3回観ると、細かい部分で新たな気づきもあり、さらに感動できたり、逆に、「よく考えたらこれ、ほんま話終わってんな笑」と思うところもあり。
3回めで気づけたこといくつかメモしておこう。
以下ネタバレ全開ですので、観る気がある人は、鑑賞してから読んだらいいんじゃないすかね。





「この世界の片隅に、への目配せ」
目配せ、って宇多丸パイセンが多用するワードですね。
“あえて大きな声では言いませんけど、我々制作陣はちゃんとわかってますからね”というようなニュアンスですかね。
今回、「ヴァーチャル世界で美女と野獣をやろう」というのがスタートだそうなので、ベル、の名を使うことは早い段階で決まったのだろう。
で、ベルを日本人の名前に置き換えて「鈴」としたとき、
「この世界の片隅に」の浦野すず、と同じになってしまう。
主人公に「すず」と名付けてアニメを作るわけですから、
さすがにあれだけの素晴らしい映画を無視ってわけにはいかんのでしょうか。
3回観てわかったけれど、序盤に明らかに浦野すずの入浴シーンと同じような画がある。これはオマージュというか、お名前、お借りしました、ありがとうございます、という画なんじゃないですかね。
右前足のない犬は「あるべきものがない」という象徴として、鑑賞1回めからぐっと来たけれど
よく考えてみれば浦野すずの右手はどうなったのか、ということだね。
さらに言えば「そばかす」は不発弾の爆発で死んだ晴美さんの特徴でもある。
美女と野獣をやろう→主人公の名前すずにするか→やべ、「この世界の~」のすずさんと同じやん→あのアニメで失われたものはそばかすの少女の命だったな……
てな思考順で主役の「そばかす」が生まれたとしたらかなり胸アツな話ではある。(妄想の域を出ないが)

「竜はすでに描かれている」
すずがベルとなって、一気にブレイクし、批判や賛美にさらされて、びびってヒロの家に駆け込んだとき、ヒロの部屋のふすまにデカデカと竜の画が描かれている。これからの竜との出会いを暗示する、という意味でしょうけど、おしゃれですね。めっちゃ見えてるのに、完全スルーしてた。3回目で「え、ここに竜もういるやん」ってなった。
われわれは見えているのに、気づかないことが多いよね、という意味ならやるやん、という気にはなる。

「ヒロはhero説」
虐待を受けている少年は「竜はぼくのヒーローなんだ」と言うが、鈴にとってヒロは名前の通り、HEROなんだろうかね。ヒロのASの名は「eroh」となっており、これはheroのアナグラムである。どうしようもない鈴をUの世界にいざない、彼女をプロデュースしたのはヒロなので、救う、という意味では友人というより、やっぱHEROなのだろう。
ただし、ヒロは正式名称が別役弘香(べつやくひろか)となっているので、「役が別」とか、「ヒーローか?」とも読め、実際のヒーローはヒロではない、という主張かもしれない。確かに究極的に鈴を救う(=母を理解する)ということについては、ヒロよりはしのぶの役割のほうが大きい。

「反復:水の中で見知らぬ誰かを救う」
母の行動が理解できなかった鈴であったが、自分が同じ立場に立たされ、このまま行動しないと誰かが死ぬ、というときに、母を理解し、母と同じように行動する。その際、母が川に入ったのと同じように、鈴は雨の中へと入る。このシーンに水が現れることは必然で、単にドラマティックでしょ、という演出ではない。

「ラストカットの雲と太陽の意味」
まだちゃんと確認できてないが、鈴とルカがしのぶについての昔話をしているときに、ラストカットと同じような雲がけっこう長めに描かれる。そのときには雲だけであり、太陽は描かれていない。
まだ、太陽(=心を開放し、歌えるようになった鈴?)は顔をみせない。
しかし、ラストでしのぶの「ようやく見守るのではなく、対等に会話できる、(ようやく本当のあなたと出会えた的意味?)」というセリフのあとに、大きな雲の後ろから太陽が姿を表す画が映される。これが鈴の「ほんとうの姿」の象徴なのかもしれない。序盤で、「月の裏側みたい」とバカにされていた鈴が、誰かを照らす存在へと昇華したなら、泣ける話ではある。

「小ネタ」
・初登場のときからルカがカミシンを気にしていることは目線で描かれている。
・ルカのラインアイコンはルカのASである。(実はクライマックスで登場する前にお披露目している)
・カミシンのASはルカのASの隣の犬なのかな?(目に傷が入っていたのが謎)
・虐待、というネタバレを知ってから観ると、天使と竜の関係がちゃんと描かれていることに気づく。ダンス後、竜のアザが増えていくときに、天使が倒れている。

「推測」
父は母が死ぬ瞬間に現場に居なかったのでは?(根拠:すずが川へふらふら向かう時、その手をとったのは父ではなく、しのぶだった)→だとすれば父は相当自己嫌悪に陥ってるはずだし、鈴からも恨まれているはず(仕方ないにせよ)。そう考えると、ようやく最後に鈴におかえり、というシーンの泣ける度がUPする。

「よく考えると胸アツシーン」
教室の中で、しのぶがすずの顔色を伺うシーンが反復される。
最初のすずは浮かない顔。そして二回目はベルで歌う経験を経た明るい顔。
序盤にバスケをするしのぶをすずがぼーっと見るシーンがあるため、
すず→しのぶ、への実らぬ恋心
というふうに誘導されがちですが、
じつは、いつもすずを見守り、すずの変化を敏感に感じ取っていたのはしのぶの方なんですね。
しのぶ→すず
が強い視線の方向であって、しのぶは「俺がお前を守る」という、ある意味すずの母から意図せず受け取ったバトンを10年も持ったまま走っているんだね
泣けるやん。

「解釈を間違えるとハラスメントだが、そうやないでと思うシーン」
クライマックス、しのぶはすずに対して、「素顔をさらせ、竜を救う方法はそれしかない」と言う。これをその場面だけ、そのセリフだけ受け取って「女性にリスクを負わせるなんて、クソ野郎」というレビューもあるのですけど、これは違うと思いますね。
しのぶのこの強要の目的は「竜を救うこと」ではない。
しのぶの第一目的、最も重い動機はすずを守ることである。
しのぶにとっては、竜とは比べ物にならないほど、すずの方が大事である。
しのぶは、このタイミング、今こそが「真にすずが救われる(=母を理解する)大切なタイミングである」ことを悟った。
だから、他にいくらだって竜とコンタクトとる方法はあるのに、
「きみが素顔で歌うしか方法はない」
という無茶なセリフをはく。
危険は100も承知だが、すずが心の壁を破れるのは今しかない、と思ったんだね。
だからね、これはもう親友とかを超えて、親のような愛なわけです。
まさにルカが言うように「しのぶはすずのお母さんみたい」ってことです。
いましかない、いま、母に会いにいけ、ってことなんです。
「すずを危険にさらして竜を助けようとしたゴミ野郎」
ではないんですね。

「描かれていないが、描かなくてよいと思うこと」
母が助けた少女はいまも生きているはずで、初めはその子がどこかに登場しているのでは?と気になって探していた。ペギースーなのかな、と思って3回目もみたけれど、共通点が見出せなかった。
で、これは、安直に「あの時助けられたのは私です」として出てこないのが、むしろ素晴らしいなという気がして、しみじみしている。
母は「その子からの」見返りを求めて命をはったのではない。ただ、目の前の命を救う、それに飛び込んでいった。これを「お礼」とか「恩返し」のような話にしてしまうと無償ではないということになる。
すずも同じで、竜から何かを返してもらおうとは思ってない、ただ傷ついた人を助けたい、という気持ちしかない。美しいのは、その「見ず知らずの誰か」を助けることに必死になっているうちに、結果として自分が救われていた、という構図だ。これは直接竜からもらった「ごほうび」ではない。
我々はすぐにメリットデメリット、コスパを考え、その行動をする意味や価値について話してしまうわけだが、この映画に描かれている好意の連鎖は、理想論ではあるが私の価値観とかなり共鳴する。
何の見返りも求めず誰かを助ける、それがまわりまわって、どこかで自分が誰かに助けられる、そういうふうに思っている。助けたその人から将来助けられる、ではギブアンドテイクであり、御恩と奉公であり、やっぱダサいのですね。

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☆続いて、6周目を終えての感想

2021.7.29 鑑賞6周目までの気づき、追加

〈画面内で確認できた本のタイトル〉
夕鶴
山月記
ガンバとカワウソの冒険
じごくのそうべえ
ごんぎつね
赤いろうそくと人魚

〈画面内で確認できた日付について〉
橋でゲロ吐いて倒れたらヒロからUへの招待メールがくる日

12月22日(スマホ画面)

ベルがUでブレイクし、慌ててヒロの家へ走る日

6月14日(黒板)

竜に遭遇後、秘密についてヒロと食堂で話す日

7月12日(スマホ画面)


ベルが歌う雪の日から何の断りもなく夏に飛ぶ。その季節のワープ自体が気持ちよいのですが、一応時間経過へのエクスキューズはある模様。
また、初めにUに接続しようとしたゲロの日(12月22日)と、実際に入ってベルとして歌う日までには少し間があると思われる。
その根拠は、ベルを生成しOKを押す時に口元のゲロがなくなっている、こと。(映像順のとおり、ルカと写真を撮る日がはさまるのかな?)
冬にUで歌ってからブレイクするまで半年近くかかってる、という感じ。制服が冬服から夏服へと変わっている。
ただし、映画を観てるとほとんど歌った次の日ぐらいにブレイクしたように感じられるし、それで良いのだと思う。

〈カミシンのAS〉
犬ので正解だった。カミシンが遠征先の写真を見せる時、下の方に一瞬犬のASのアイコンが写っている。

〈マイク〉
オープニング明けの鈴はマイクを持って寝ている。
ベッドから転げ落ちるときに、マイクも落ちる。
現実ではマイクから逃げている鈴だが、ベルの姿を得て、夢の中で歌おうとしていたのか?
新たな泣きポイントではある。

〈はなればなれの君へ〉
鈴が雪の日、橋の上で歌おうとした歌と、アンヴェイル後に歌う歌は同じ歌である。
つまり、鈴はUに接続しベルの姿を得る前からこの歌を作っていた。
歌詞内容は「母にもう一度会いたい」という内容なので辻褄はあう。これをアンヴェイル後に竜に向けて歌うというのがアツい。(竜へのプレゼントとして作った曲「心のそばに」ではないというのがいい)
また、「ラブソングなんか作ったことない」と言うセリフからわかる様に、鈴は「ラブソング以外の曲」はいくつも作ってたのだろうな、と。
作ったって歌えないのに。マジすか泣。


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画面内情報が多くて、何回観ても楽しめるのは、やりこみ要素があるゲームのようですね。

無意味な隠れキャラにはさほど興味無いですが、意味のある発見は面白い。

6回観てやっぱこの映画最高やな、と思うポイント ↓

☆後半、竜がピンチだ!とめっちゃ急いでUにINしたのに、ベルは白いドレスに髪飾りとイヤリングをしてる笑。
おしゃれする時間はあるんや、と笑えてgood。

☆クソ野郎ジャスティンですけど、クライマックスでベルのアンヴェイルを実現するという超重要な役目を果たす。
こんなクソなやつでも居ないとお話が成り立たないのが良い。

☆歌を主役にする映画は、得てしてエンディングは「さあみなさんお待ちかね、ラストもあの曲です!お聞きください!」ってな、感じで、何回聞かせるねん、ってダサい流れになりがちなんですけど。本作エンディングは、静かに「はなればなれの君へ」が流れて、あとは音だけで締まる。画も動かない。
でもね、これがいいんすよ。
ここまでのものをみせたのだから、画は観客の心のなかで動くだろう、歌は観客の心のなかに響くだろう、というね。

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7/29現在、公開2週間を経て、さまざまなレビューがあがっていてとても面白い。
典型的な否定意見2つに追加でフォローしておこう。

※兄弟は救われてないじゃないか

物理的な救い、と、メンタル面での救い、ってのはあると思いますね。
何の利害関係も無い他人が、自分たちだけのために、とんでもないスピードでわざわざ駆けつけてきた、ってことで、その行為自体に気持ちが救われるってことはあるわけです。
これを、どうやって虐待親から「現実的に」保護してあげるか、という視点から見てしまうと、「救いになってない」「きちんと大人が出てこいボケ」という不満になってしまいますね。

※女性(母性)に自己犠牲を強いるとはけしからん

これは犠牲、という部分がわかってないのかなあ、という気がしますね。
このお話は、虐待されている兄弟を救うために、鈴が自己を犠牲にして死ぬ話、ではないですよね。
全く逆で、竜きっかけで、鈴が命を吹き返す、生を得る、声を取り戻す、鈴が救われる話だと思います。
自分のしあわせや利益を潰して(犠牲にして)、誰かに捧げる、というお話ではなく、誰かのためにせいいっぱい走ることで、結果的に自分がしあわせになる、という話。
たまたま鈴は女性ですが、そこはどうしたって主役は男性か女性かになるので、性別にケチつけるのも違うんじゃないかなあと思います。

いずれにしても、「虐待」というかなり繊細で現実的で人の心をえぐるものを持ち出したがために
とたんに冷めてしまったり、熱くなってしまったりする人が多くなるのかな、という気がします。

で、根本的にはこの映画後半を
竜を救う話 と思って観るとイライラするのだろうし
鈴を救う話 と思って観ると泣けるんだろうなと思う。
冷たい言い方をすれば、竜、兄弟は、鈴の回復(成長)のための道具・装置、とも言える。
今回細田守が描こうとした物語は、
いかにして竜は救われたか、ではなく
いかにして鈴は成長したか、だと思うし
その中心、幹がぶれてないわけなので、枝葉の部分の理屈がどれほど狂っていようがたいして問題ない、と思いますね。

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7/29時点、宇多丸パイセンのレビューはまだですが、現時点で最も冷静で的を得た評ってのがこちらかなあ ↓ と思います。

賛否ある、ってのをそのことばで流さず、
「絶賛派4割、いいとこもダメなとこもある「もやもや派」4割、否定派2割」
って分類してるのがすげえなと思います。

これは私がざっとレビュー流した体感もそんな感じですね。
私はあっという間に6回も観に行ってるわけで、ほんと好きな映画でして、絶賛派4割に入るわけなんですけど、たしかに実際「歌はいいけど脚本がなあ」って感じてる人が4割ぐらいいて、ふざけんなとブチ切れてがっつり否定してる人も2割ぐらいいる(主に虐待周り、アンヴェイルのリスクと一人で救出周りでのブチ切れ)。

本日宇多丸パイセンのレビュー出ますね。刺さってるのかなあ?
わたしの予想は宇多丸は賛否もやもや派な気がするなー。最低2回観る、タイプの人ですけど、いずれにしても今週は2週間あったのでがっつり考察挙げてくれそうで楽しみです。

個人的にはこの映画に対して、脚本の傷、的なことをあれこれ指摘するのはさみしいな、という気がしますが。さてどうなることやら。

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