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【ナチス・ドイツ(後編)】誰しもに宿る"陳腐な悪"


皆さんこんにちは、シロクマです。


前回は、【ナチス・ドイツ(前編)】として、ユダヤ人の大虐殺や全体主義の起源に関連した記事を書きました。



本日はその続きとして、「全体主義が当時の大衆 (心理) にどのような影響を与えたのか?」という点にフォーカスし、「全体主義がもたらす"陳腐な悪"」に関して記事を書こうと思います。


それでは始めましょう。



悲惨な歴史的事実


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(映画 : THE BOYS IN THE STRIPED PAJAMAS)


第二次世界大戦中、ナチスドイツが組織的に行ったユダヤ人大量虐殺での犠牲者は、600万人に上ると言われています。


ナチス政権の虚構により、ユダヤ人の人権は剥奪され、そのほとんどが強制収容所での労働を余儀なくされました。


そこで"労働力"にならないと判断されたものは次々と虐殺されていったのです。


また、最終的にユダヤ人を殺す役割を担っていたのも"ユダヤ人"でした。


当時の虐殺で使われていたガス室への誘導や、その後の死体処理はユダヤ人メンバーによって構成された"ゾンダーコマンド"によって行われていました。


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この"ゾンダーコマンド"とは、ナチスが選抜し、数か月の延命と引き換えに、同胞であるユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊のことです。


来る日も来る日も同胞をガス室へ誘導し、遺体を処理し続けなければなりません。ある時には焼け焦げた妻と息子の遺体姿もあったそうです。


これらはあまりにも残酷すぎる歴史であり、事実です。


私はこのような上記の歴史をきっかけに、「当時のドイツ人はどのような思想を持っていたのか?」という点を理解したいと思うようになりました。



アドルフ・アイヒマン


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アイヒマンは、ナチスドイツにおける"ユダヤ人移送局長官"です。


彼はユダヤ人を強制収容所に移送する指揮的役割を担っており、大量虐殺の始まりを管轄した人物です。


ナチスドイツ敗戦後、アルゼンチンにて逃亡生活をしていたアイヒマンでしたが、イスラエル諜報部に連行され、イスラエルで裁判にかけられました。


そして翌年絞首刑の死刑判決が下されました。


この裁判は世界中で注目を集め、ユダヤ系ドイツ人哲学者のハンナ・アーレントも裁判を傍聴し、アイヒマンの証言をもとに「エルサレムのアイヒマン」という本を執筆しました。


なぜアーレントがアイヒマンという人物に注目したかというと、彼が単にユダヤ人移送局長官という役割を担っていたからではありません。


下記にて理由を説明したいと思います


【悪 ≒ 陳腐】


ピエロ


まず、アイヒマンはナチス政権下のドイツにおいて、"善良な国民"の一人であったということは忘れてはなりません。


アーレントはアイヒマンが、「(ナチス・ドイツの)"法"も"命令"も遵守していた。」と述べています。


アイヒマンが移送局長官を担った理由は単に"昇進"という野心があっただけなのです。つまり彼は、反ユダヤ主義の思想を持っていたわけでもありませんでした。


彼にはユダヤ人移送局長官としてユダヤ人の大量殺戮に関与しているという意識がなかったのです。


裁判の中、アイヒマン自ら「私はユダヤ人を殺せという命令はおろか、ユダヤ人を一人も殺していない。」という証言がありました。


彼の主張としては、「自分が行っていたのは"ユダヤ人の移送"であり、"ユダヤ人の虐殺"ではない。」ということです。


アイヒマンにとって、ユダヤ人の大虐殺は"責任の範囲外"であったのでしょう。


また、それらの行動は"単なる服従"であったのです。



アーレントは裁判後、「アイヒマンはどこにでもいる普通の人間であった。」と証言しており、そこから”陳腐な悪”という独自の考えが広く認知されるようになりました。

陳腐 : ありふれていて、古くさくつまらないこと。


たしかに、私がアイヒマンのような役割を担っていたと仮定し、国家がユダヤ人の虐殺を正当化している場合であれば、それが善なのか悪なのかの判断ができず、アイヒマンと同じように自身を正当化し、義務を遂行したのではないかと考えることができます。


つまり、我々にとって""という魔物は、常に心の内に隠れており、「それが正体を現したとしても、人間は"それ"に気づかないほど愚かな存在であるのではないか?」と考えることができるのです。


"悪"は我々の周りのいたる所で陳腐しているのでしょう。



ミルグラム実験


上記のような、アイヒマンの行動心理にフォーカスした有名な実験があります。

ご存じの方も多いかと思いますが、下記の実験はアイヒマン実験とも言われ、全体主義が生み出した人間の陳腐な悪についての議論が繰り広げられています。

(日本語↓)

(英語↓)


この実験は、"被験者が権威者の指示にどれだけ服従するのか"という実験です。


被験者は、壁で仕切られた見えない回答者に選択式の問題をなげ、誤答の場合、電気ショックを与えるように指示されています。
(※回答者は役者で実際に電気ショックは与えられていません。)


権威者 → 被験者 → 回答者(演技)


この実験の結果として、被験者は苦痛を訴える絶叫や、悶絶の金切り声を聞きながら、権威者の「迷うことはありません。この実験を続行してください」の超然たる一言で、およそ"9割"の人々が最大電圧の電気ショックのボタンを押し続けたという驚愕の結果となりました。


この最初の実験は、1963年に実施されたものですが、2015年に実施された実験でもおよそ9割の被験者が電気ショックを与え続けたそうです。


時代が変われど、人々が特定の条件下で選択する行動心理に大きな違いは見られなかったということです。


上記のような結果は、「アイヒマンの罪は、(権力者に)従順であったこと」を証明するようなものであり、この9割という数値は、我々もアイヒマンになりうる可能性が大いに内在していることを証明しているような気がします。


詳しく知りたい方はこちらから。(私も参照させていただきました。)



最後に


アーレント


いかがでしたでしょうか?


全体主義という思想は、ただ凡庸であった人間を殺戮人間へと変貌させたのです。


私がこの歴史を通じてもっとも印象に残っているのは、アーレントがユダヤ人であるにも関わらず、アイヒマンという一人の凡庸な人間を通して、だれしもに宿る"陳腐な悪"の存在を世界中に提言したことです。


彼女はユダヤ人であるにも関わらず、ユダヤ人を虐殺に追いやったアイヒマンを擁護するような発言をしたため、周囲からの大きなバッシングを受けたとありました。


しかし、それでもなお人種にとらわれず、人間の本質を見抜いていたアーレントの言葉は、現代の人々によって再認識されるべきであると感じました。


情報が肥大化する現代社会において、個人が取得する情報には日々"偏り"が生まれており、興味のある情報だけを取得することが当たり前な社会で出来上がっています。


限られたインフルエンサーだけに耳を傾けていては、自身の立場を見失い、知らず知らずのうちに内から湧き上がる"陳腐な悪"に支配される人が増えていってしまうのではないでしょうか?


無思想性は服従を生み、服従は支持を生みます。この渦に飲みこまれてしまっては"善・悪"を判断することはもはや不可能に近いでしょう。


そうならないためにも、この全体主義と言う悲惨な歴史を振り返り、現代における教訓を学ぶべきであると思うのです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。









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