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ノック式鉛筆(シャープペンシル)に罪悪感を覚える

 GWの間にある平日。普段ならなんとも思わないのに休みに囲まれるとここまで億劫なのか。平日め。いっそのこと仮病でも使おうかしら。ごほんごほん。
 そんなことも言ってられないのが社会人の辛いところだ。私は布団から起き上がり、すぐにタバコに火をつけた。タバコがあるから起きられる節がある。これは喫煙者ならわかってもらえるはず。自分しか誉めてくれる人がいないくらいのちっぽけな努力に、丁度いいご褒美となるのがタバコである。吸いながら「ああ、やめてえな。タバコ」と思うのもタバコである。まあ私が吸っているのはiQOSなんだけれども。
 しかし、何故「タバコ吸うの辞めなよ」と詰めると十中八九iQOS愛好家は「いや、これは『電子』タバコだから」と返すのか。電子という点において絶対のプライドを持っている。その後に続く言葉としては、「タバコより害ないから」や「匂いつかないから」、「壁黄色くならないから」が挙げられる。すごいよ。もうiQOSの回し者だよ。
 いや、タバコのことを書くのはまた次の機会にしよう。危うく同族嫌悪に陥り、布団に逆戻りするところだった。

 吸い殻をゴミ箱に投げ捨てると、私はすぐにコーヒーを淹れる。そして無調整豆乳をちょろっと足す。熱々のコーヒーが適度に冷め、飲みやすいからだ。それに、「無調整豆乳」というとめっちゃ健康な感じするし、意識高い気がする。最近に至っては、自分はひょっとすると丸の内OLなんじゃないかと勘違いしている。あと一歩でヨガを始めそうな勢いだ。
 そういえば起床直後にカフェインを摂取すると逆に眠気が続くと聞いたことがあるが、だとしたってやめられない。ニコチン中毒であり、カフェイン中毒であり、糖分中毒であるのが私だ。これだけで9割方自己紹介が済む。そもそも、何かに依存するのが人間というものだろう。母校の校訓が「自主自立」だったのだが、そんなものは卒業する際机の中に置いてきた。チャオズではこの先の戦いについてこれまい。

 コーヒーを飲みながら、図書館で借りた本を読む。日々ボキャブラリーを増やそうと模索する私は、見慣れない単語や表現は都度ノートにまとめている。今日も今日とてメモをしようと、ノック式鉛筆(以後シャーペンと呼ぶ)の頭を二、三回小突いてやり、ノートに先を触れたさせた瞬間。あれ? 書けない。もう一度同じようにやってみてもダメだった。書こうとするとひょこひょこ芯が引っ込む。この恥ずかしがり屋さんめ!
 はあ。私はシャーペンの先から芯を取り出す。するすると1センチ程の芯が姿を現した。もう学生の頃から数えれば何千回と思っているのだが、何故シャーペンというものは最後の最後まで使えないのか。
 いやまて、私は知っているぞ。最近は無印良品やらパイロットやらが最後の一ミリまで使えるシャーペンを発売していることを。だとて、全てのシャーペンがそうであるべきなんじゃないのか? それが特徴になる時点でおかしい。だってさ、そんなのシャーペンの怠慢だよ。義務を果たしていない。シャーペン及び芯の義務は「書くこと」である。それをさ、途中でやめちゃうんだよ。こんなの自称小説家の卵がちっとも話を完結させず、途中で筆を折るのと同じだよ。是非両者とも最後まで書ききっていただきたい。
 それに、1センチも使えないなんてエコじゃない。五分の一が捨てられるこの状況に、私の「エコ臓」が疼いた。(エコ臓について知りたい方は是非私の過去に書いた記事『皿洗い、だいっきらい!』を読んでみてほしい)
 しっかりせい! とハッパをかけてみたが、シャーペンはうんともすんとも言わない。「お前の代わりなんていくらでもいるんだぞ」と最低な上司のような言葉をかけても、それは変わらない。まったく、私は昔シャーペンや芯に恨みを買うようなことをしたっていうのか。思い返してみると、あった。恨み買ってた。

 中学生の頃、私の学校ではトランプが流行っていた。休み時間になると多くの生徒がトランプに興じ、楽しんでいたものだ。遊び方はもっぱらポーカー。絶賛大人ぶりたいシャバ僧はそのギャンブル性に熱狂し、毎日カードをめくっていた。ある日、私たちは勝ち負けを決めるだけでは満足できなくなり、実際にベットしたくなった。そこで白羽の矢が立ったのが、何を隠そうシャーペンの芯である。場代として一本払い、勝ったものが総取り。(もちろん、レイズのシステムも導入した。)なけなしの芯を賭け、勝利した時は本当に脳が沸騰した。すぐに私はギャンブル中毒になり、授業中はポーカーの必勝本を読み漁るか、失った芯に思いを馳せるただの廃人となった。
 それだけ本気で芯を賭けていたのだ。当然あれよあれよと賭けはエスカレートしていき、場代も5本、10本と徐々に増えていく。するとどうなるか。それは賭ける芯が無くなった奴らが100円均一の質が悪い芯を大量に安く仕入れ始めるのだ。今までは20本入り200円のものを賭けていたのに、すぐに多くの者が60本で100円の芯をベットするようになった(まさか中学生で「悪貨は良貨を駆逐する」を体験するとは夢にも思わなかった。)。安い芯はキシキシして滅茶苦茶書きにくいんだよなあ。悪貨の働きもあり、賭ける数はさらに加速していく。

 程なくして一度の勝負で100本負けた生徒が先生に泣きついて、私たちのギャンブル生活は終わった。それは非常にあっけない幕引きだった。先生はものすごい剣幕で私たちを叱りつけた。当然だ。自分の学校がいつの間にかギャンブル中毒の巣窟となっていたんだから。これでは中学校なのか、競艇場なのかわからない。耳にシャーペンを挟み、汚いキャップを被る私たち(もしかしたらワンカップも持っていたかもしれない)に、先生は「元の持ち主に返しなさい」と指示したが、どれが誰のもので何本が自分のものであるかなんてわからない。話し合いの結果、必要のない分は捨てることになった。私は努力の甲斐あり1200本もの芯を蓄えていたのだが、それを全てゴミ箱に捨てた。涙もほろほろと落ちた。

 多分、以上がシャーペン及び芯が私を恨んでいる理由だろう。勝手に賭けのチップにされ、最後には捨てられたんだ。恨まずにはいられない。ごめん、ごめんよシャーペン。
 これからもフリクションペンやボールペンに浮気せず、普通のシャーペンを使い続けるよ。それが私の償いだ。

こんなところで使うお金があるなら美味しいコーヒーでも飲んでくださいね