noteコメントの善と悪~善(3)メールの文面が優しくなる。
noteのコメントはよく書く方だと思うが、
ある日、仕事でメールを打つ際の意識が
変化しているのを感じた。
多分それは「noteコメント」の「善」の効果
ではなかったかと思う。
*
■その前に改めて無為な「批判コメント」について
※既に読まれた方は飛ばしてください。
以前、批判的なコメントについて次の2つの投稿を行った。
つまり批判する側には落とし穴がある、
という警告でもあったのだが、
そもそもSNS上での効果的な意見の応酬は、
下記の点で極めて難しいと考えている。
■(1)知識・経験という点で釣り合いの取れない
者同士の議論が避けられないため、
どちらかの理解が追いつかない。
しかも追いついていないことすら分からない。
■(2)いかに(笑い)などという「記号」を使っても、生身の
議論なら行える「ノンバーバルコミュニケーション」を
行うことができない。
つまり、批判的な意見でも笑みを浮かべて話しかけてみたり、
自戒を込めて声のトーンを変える、など“言語以外の
コミュニケーション方法” が欠落するため誤解が増幅されてしまうのだ。
そして最後に、こうも付け加えたい。
批判するだけ、皮肉を言うだけなら、小学生でもできる。
■「noteのコメントは応援する気持ちで」。
それが基本だ。
たぶんnoteを初めたばかりの頃、
どなたかが書かれていた、
と記憶するのだが、
私など、逆に意見がかみ合った場合に、夢中になって
持論を展開してしまい、
ひんしゅくを買う愚を犯すことすらあるが、
それでも応援する気持ちで書けば
受け容れることができ、
優しくなることができる。
そして場合によっては、
建設的な情報を伝える、
発想が生まれることもある。
■メールの文面が優しくなる。
noteで「応援する気持ち」で
コメントしているうちに私は、
ビジネスの場面で、
ふと「以前メールを打っていたときの気持ちと違う」と
気づかされたのだ。
そもそもメールには、打っている自分自身が
背後に置かれるため、ネガティブ要素が増幅される
という欠点がある。
しかし、
noteで「応援する気持ち」でコメントしているうちに、
いわゆるテキスト情報で気持ちを伝える際の
基本スタンスが、
まず受け容れることを基本に、
優しい気持ちで咀嚼しながら、
だけどこうしてほしい、
と頼めるようなマインドセットが
自然のうちに出来あがっていたのだ。
*
この感覚は、そもそも私が、
メールのネガティブな側面を無反省に
増幅しながら伝えていた事実を明らかにしてもいる。
それでも、
そんな私でも、
心の在り様って、
いつの間にか変わっていくんだ。