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8つのトーンで枕草子_文章のトーンを変える(8)古今亭志ん朝口調で


「文章のトーンを変える」8回目は、これまで通り「枕草子」現代語訳を
原文(一般的な現代語訳を私的にアレンジ)に、落語口調で、
と言うより、私の大好きな古今亭志ん朝口調で書いた。

 ■私と古典落語


私は高校時代、古典落語研究会に所属し、3年次には先輩の芸名を継いで五代目隆遊亭武生(りゅうゆうていぶしょう)として襲名披露も行った。社会人になっては「日本社会人落語連盟(JARA)」に入会し、いまはなき
「上野本牧亭」の高座にも上がっている(安藤鶴夫の小説「巷談本牧亭」の舞台となった講談専門席だ)。

好きだった噺家は古今亭志ん朝さん。
六代目三遊亭圓生をして
「将来、三遊亭圓朝を継ぐとしたら、この人です」と言わせた、
江戸っ子が高座に出現したかのような、何とも粋な噺家だった。
三代目らしいが、
志ん朝と言えば、五代目志ん生の息子のこの人しかいない。

したがって、ここで言う“古今亭志ん朝口調”とは、
私の脳裏に焼き付いている、私のなかの
“志ん朝節”を基本とする。
古今亭志ん朝が「枕草子」を落語口調で語ったら、
という思い込みで一席、綴ってみたい。

 ■コピーと古典落語

コピーライターが落語口調で書くケースは極めて稀だろうが、そうした企画もなくはない、と思う。CMプランで落語を取り入れる場合は、プロの噺家がキャラクターとして登場するのが常だが、少なくともその脚本はコピーライターが書いているはずだ。私自身は、1度だけ落語口調でコピーを書く新聞広告の案をプレゼンテーションで提出した経験がある。

既に(1)やさしく(2)硬質に(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく(4)口語体で (5)社史のトーンで(6) スノビッシュに (7) ハルキムラカミ風にと7パターンのトーンで書いてきたが、4回目から行っている通り、今回も(1)~(7)を並記し、新たに8番目に「落語口調で」書いた文章を記してみた。

いずれにしても「枕草子」から発した8文、
比べながらお読みください。

■【春】


(1)やさしく

春は、夜明けがいい。
窓の外がゆっくりと明るくなって、
遠くに見える山が空と溶けあうあたりが、
ほんのりとあたたかくて、
淡い紫色に染まった雲が、
細くたなびくような景色もたまらない。

(2)硬質に
春は、夜明けを推す。
外が徐々に白み、稜線で切り取られた空が少し明るさを帯びて、
淡い紫色に染まる雲が、
細くたなびく如き景色が好みだ。

(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく
春は、夜明けにまず指を折るだろう。
世界が、だんだんと白んできて、稜線のラインを引かれた空が、
明るさの容量を増して、
淡い紫色に染められた雲が、
細くたなびくように形を変えて流れる。

(4)口語体で
春は、夜明けですね。
窓を開けると外の景色がだんだんと明るくなって、
山のシルエットに光が差して、
薄い紫色に染まった細い雲が、
たなびくように流れてる感じが好きです。

(5)社史のトーンで
春は、夜明けであった。
外が徐々に白み、稜線で切り取られた空が僅かに明るくなって、
淡い紫色に染まった雲が、
細くたなびく如き景色を第一とした。

(6)スノビッシュに
春は、夜明けにこそある。
外の世界がスローに明るさを増して、山のラインに
切り取られたかのような空が、表の顔を現し、
スペクトルに含まれる紫色に染められた雲は、 
空の景色の主役の如く繊細に着飾る。

(7)ハルキムラカミ風に
春は、夜が明ける頃だ。
窓の向こうに少しずつ明るさが戻って、
稜線が空だと教えてくれるあたりに、
淡い紫色が当然であるかのような雲が、
小さく腰をふるように流れる、
そんな景色を愛していた。

(8)古今亭志ん朝口調で
春ってぇと、夜明けと寸法が決まっておりまして、
あたりがだんだんと白んで、山の端っこで切り取られた空が
ほんのりと明るくなりましてね、
淡~く紫色かなんかに染まった雲が、細く、たぁ~と、
たなびくような景色がいいですな。

■【夏】

(1)やさしく
夏は、夜がすき。
月がきれいな日はもちろん、新月もいい。
たくさんの蛍がふんわりと飛ぶ姿も、
ほんの一匹二匹が、ちいさく光りながらただようのもいい。
雨が静かに降るなかで感じる闇も、すき。

(2)硬質に
夏は、夜だ。
月が美しい日は無論だが、新月も格別である。
多くの蛍が飛び交かう様も、
僅か一匹二匹が、幽かに光りながら飛ぶ風情にも心動く。
雨が静かに降る闇の中も好きだ。

(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく
夏は、夜の魅力が満開だ。
月が美しく輝く日はもちろん、新月も負けてはいない。
たくさんの蛍が交差するシーンも、
わずか一匹二匹が、精一杯の光を放って夜に浮かぶ。
音を消し去った雨が、闇に溶け込むのを静かに聞いていたい。

(4)口語体で
夏は、夜かな。
月がきれいな日はもちろんだけど、新月もいいなと気づいたんです。
たくさんの蛍が飛んでいるのもいいし、
一匹か二匹が、少し光りながらふわふわするのもいい。
雨がしとしと降る暗闇も意外に心落ち着きます。

(5)社史のトーンで
夏は、夜となった。
月が美しい日はもちろんだったが、新月も好まれた。
蛍が群舞する情景も、
単に一匹二匹が、弱く光りを放ちながら漂うのも良しとされた。
静かに雨が降りしきる闇に佇むのも格別に感じていた。

(6)スノビッシュに
夏は、夜がなおさら。
月の美しさに耽る日はもちろん、太陽を背に陰になる月の夜でさえ。
夜空には蛍と言わんばかりに飛び交う様も、
ほのかな光りこそ蛍と、ほんの一、二匹が舞ういずれの情景も。
密やかな雨に彩られた闇にも惹かれていく。

(7)ハルキムラカミ風に
夏は、自動的に夜だ。
月がきれいなら誰にとっても都合がいいし、新月もたぶんいい。
死ぬほど多くの蛍が飛んでいる場面も、
たとえそれが一匹二匹の、小さなフィラメントのような光でもよかった。
雨粒を黒く塗りつぶすような闇のなかでさえも。

(8)古今亭志ん朝口調で
夏は、夜ですな。
お月さまがきれいな日はもちろんですが、新月も負けてない。
たくさんの蛍が飛び交かってるところなんぞも、
ほんの一匹二匹がね、ほのかに光りながらふわふわしてる、
なんてのもいいですな。
雨がしとしと降るなかで、真っ暗闇にいるなんてぇのも乙でね。

■【秋】

(1)やさしく
秋は夕暮れにうっとり。
夕陽の赤が空を染めて、いまにも山にかくれそうなとき、
なじんだ巣へ帰る烏が、三羽四羽、二羽三羽と急ぐうごきにさえ、
しみじみとした趣があって。
もしも連なってはばたく雁が、
遠くに小さく見える景色に出合うときには、おもわず見とれてしまう。
日がすっかり落ちて、風の音、虫の音などがひびく時間は、
もう言葉になんてできない。

(2)硬質に
秋は、夕暮れが一番。
夕陽が赤々と射し、山の輪郭にいまにも沈むかという瞬間、
古巣へ帰る烏が、三羽四羽、二羽三羽と急ぐ風景さえ、
深い感慨に満ちた趣がある。
まして、連続して飛ぶ雁が、遠くに小さく見える景色に胸躍る。
日が完全に落ち、風の音、虫の音などが響く時間は、
言葉で表現不可能なほどだ。

(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく
秋は夕暮れにこそある。
赤々とした夕陽が、山と夕空の境を染め上げて、
古巣へ向かう烏が、三羽四羽、二羽三羽と急ぎながら羽ばたく情景は、
心に沁み入る。
まして、列を成してはばたく雁が、遠くに模様のように
刻まれる景色には、思わず瞳を動かすのを忘れる。
日が落ちて陰影を濃くし、風の音、虫の音などが空気を震わせる頃など、
言葉を忘れさせてしまう力を感じる。

(4)口語体で
秋は、夕暮れがいいな。
夕陽が真っ赤になって、山のシルエットに消えていくころに、
お家に帰っていく烏が、二羽とか三、四羽、急ぐように飛んでいくのが
いじらしいなと思う。
連なってはばたいていく雁が、遠くに小さくなっていく景色には
胸がキュンとします。
日が落ちて暗くなって、虫の鳴き声や風のそよぐ音が
響いてくる時間があって、言葉にできないほど心が動くんです。

(5)社史のトーンで
秋は、夕暮れとなった。
夕陽が赤々と射し、山の輪郭に今にも沈もうとするそのとき、
古巣へ向かう烏が、数羽ずつ分かれて急ぎ飛ぶ風景さえ、
胸に深く沁みる趣を感じずにいられなかった。
連なってはばたく雁が、彼方に点のように見えるのも楽しかったが、
太陽が完全に落ち、風の音や虫の音などが響く時間は、
筆舌に尽くし難く思われた。

(6)スノビッシュに
秋は、夕暮れにあると信じる。
空は茜色と言うべき色合いに変わり、太陽が山のシルエットとける、
そんなとき
やすらぎの巣へ急ぐ烏が、数羽ずつ並んで羽をはばたかせる風景でさえ、
いくつかのドラマの筋書きが浮かぶかのようだ。
あるいは、目を細める遥か遠くに、
はばたく羽を並べた雁が、小さな点を描く情景にも胸ときめく。
日は落ちて闇のなか、風と虫の音が響き合うころは、
最早、考えることすらやめる。

(7)ハルキムラカミ風に
秋は、夕方の終わり。
朱赤の夕陽が稜線にもぐり込んで、
羽根を休める場所へ、烏が三羽あるいは四羽、
二羽または三羽と急いで飛ぶシルエットには
深い恍惚感がある。
そこに、並んではばたく雁の小さな姿を見つけたりするのが嬉しい。
日がすっかり落ちて、風や虫が運ぶ音が反響した気がしたが、
それを伝える言葉をすっかり忘れていた。

(8)古今亭志ん朝口調で
秋は、夕暮れでしょうねぇ。
夕陽が真っ赤に射して、山の端をなぞった辺りに、
いまにも沈もうってぇときに、
古巣へ帰るんでしょうか、烏がね、三羽四羽、二羽三羽と急いでる、
なんて姿も、何かこう、しみじみとした風情がありますな。
まして、連なってはばたいてる雁が、遠くにわずかに見えてる、
そんな景色はたのしいでしょうなぁ。
日がもうすっかり落ちて、風の音や、虫の音なんぞが響いてくる。
そんな時分のことを、言葉で何か言う、なんてのはもうできゃしない。

■【冬】


(1)やさしく
冬の朝は早いほどいい。
雪が降る日はもちろん、霜がいちめんに白く降りても、そうでなくても、
こごえるように寒い夜明け、大急ぎで起こした炭火を
運んで回るうごきは、とっても冬の朝らしい。
昼になっていつの間にか寒さがゆるんで、
火鉢の炭火が白く灰につつまれてしまってはつまらない。

(2)硬質に

冬は、早朝である。
雪が降る朝は言うまでもないが、霜が一面に白く降りている朝も、
そうでなくても、
凍えるように寒い夜明け、大急ぎで起こした炭火を
運んで回る動きは、いかにも冬の朝だ。
昼が来ていつの間にか寒さが緩み、
火鉢の炭火が白く灰をかぶるに至っては興ざめである。

(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく

冬は、早朝である。
雪が降る朝は言うまでもないが、霜が一面に白く降りている朝も、
そうでなくても、
凍えるように寒い夜明け、大急ぎで起こした炭火を
運んで回る動きは、いかにも冬の朝だ。
昼が来ていつの間にか寒さが緩み、
火鉢の炭火が白く灰をかぶるに至っては興ざめである。

(4)口語体で
冬は、朝早い時間ですね。
雪の朝は最高なんだけど、霜が一面に降りた真っ白な朝も、
もちろんそうでなくても好き。
凍えちゃうような夜明けの寒さに、炭火を大急ぎで起こして
運んで回るのを見ると、ああ冬の朝だなと思います。
やっと昼になって、寒さが緩んだことに気づくころは、
火鉢の炭火が白く灰をかぶってしまって、つまらなくなるんです。

(5)社史のトーンで
冬の、早朝だった。
雪が降る朝はもちろん、地面一面に霜が白く降りた朝も、
そうでない朝も、
身も凍るような寒い夜明けに、大至急起こした炭火を
運んで回る姿は、それこそが冬の朝であったと言えよう。
昼になっていつの間にか寒さが緩むと、
火鉢の炭火が白い灰をかぶるため興ざめであった。

(6)スノビッシュに
冬は、寒さ増す朝。
降る雪に銀世界となる朝も、一面を霜に覆われた朝も、
それが白い朝でないとしても、
体温すら奪われる夜明けだからこそ、暗いなかで起こした赤い炭火を
運んで回る動きに、それこそが冬の朝と頷く。
昼が来ていつの間にか寒さが緩み、
火鉢の炭火が白く灰をかぶるに至っては最早心は動かぬ。

(7)ハルキムラカミ風に
冬は、朝の始まり。
雪が降ったか、あるいは霜が一面に白く降りた
白黒映画のような朝も、もしもそうでなかったとしても、
耳が千切れそうな寒さで夜が終わり、特急で起こした炭火を
運ぶ影が、いかにも冬の朝という気にさせた。
ふと気が付くと寒さを忘れていて、
火鉢にあった炭火が白い灰をかぶり始めていたのはうんざりだった。

(8)古今亭志ん朝口調で
冬は、朝早いうちと決まっておりまして、
雪が降る朝はもちろんですが、霜が一面に白ぉ~く降りてる、
なんて朝も、そうでなくったって、
凍えるように寒い夜明け、もう大急ぎで起こした炭火をね、
運んで動き回る様なんてぇのは、いかにも冬の朝らしいですな。
昼になって、いつの間にか寒さが緩んでくる。
するってぇと、火鉢の炭火がね、
白く灰をかぶってしまっちゃあ、もういけやせん。

■後記

※元にしたのは下記の「枕草子」私的現代語訳です。

春は、夜明け。
あたりがだんだんと白んで、稜線で切り取られた空がほんのり
と明るくなって、
淡い紫色に染まった雲が、細くたなびくような景色がいい。

夏は、夜。
月がきれいな日はもちろん、新月もいい。
たくさんの蛍が飛び交かう情景も、
ほんの一匹二匹が、ほのかに光りながらただようのもいい。
雨が静かに降る闇にいるのも好きだ。

秋は、夕暮れ。
夕陽が赤々と射して、山の輪郭にいまにも沈もうというとき、
古巣へ帰る烏が、三羽四羽、二羽三羽と急ぐ風景さえ、
しみじみとした趣がある。
まして、連なってはばたく雁が、遠くに小さく見える景色はたのしい。
日がすっかり落ちて、風の音、虫の音などが響く時間は、
言葉に尽くせないほどだ。

冬は、早朝。
雪が降る朝はもちろん、霜が一面に白く降りている朝も、そうでなくても、
凍えるように寒い夜明け、大急ぎで起こした炭火を
運んで回る動きは、いかにも冬の朝らしい。
昼になっていつの間にか寒さが緩んで、
火鉢の炭火が白く灰をかぶってしまっては興ざめだ。


(1)~(7)それぞれのトーンの説明は、マガジン「コピーライティングにおける「書く」ということ。」のバックナンバーを参照ください。
            +
文章の「トーン」については、こちらのnoteでも書いています。
リライト論[第二章]リライトの定義(1)トーンを変える  
https://note.mu/noriyukikawanaka/n/nea9bef184705

                  

【オマケ】
古今亭志ん朝さん。
よく、「〇〇〇が私の青春だった」なんてぇ言い回しがありますがね、
私はってぇと、この志ん朝さんがそうだったんですな。
2001年の10月1日、もう20年以上、前になるんですねぇ、
志ん朝さんが亡くなったという知らせを耳にしたとき、
もう言い様のない感情がこみあげてきましたねぇ。
後にも先にも、有名人の死去の報で、これほど
悲しかったことはありません。
好きでしたからねぇ、だから、
高校の落研の襲名披露では、
志ん朝さんのテープで覚えた
「鰻の幇間(うなぎのたいこ)」を演りました。
出囃子もはなから「老松」を使う凝りようでね、
これは、そんときに詠んだ句なんですが、

志ん朝の いない浮世や 落ち葉掃く




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