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バーボンと無関係の、紛れもなくバーボンらしいお話。

薀蓄のある話は酒を旨くする。
歳月を濃く染み込ませた渋みのあるカウンターで、
なめらかな口当たりのバーボンで喉を湿らせながら話すとき、
そこに脳が食らいつくような話題があれば、まさに快楽の極みだ。

バーボンでもストリートでもない

沢木耕太郎のエッセイ集「バーボン・ストリート」は、
別に酒飲みの話ではない。
「バーボンとも、ストリートとも関係ないから、バーボン・ストリート」
とは、あとがきで書かれた著者自身の言葉である。

ただ、最初の作品「奇妙なワシ」のように、ワシと言っても
猛禽類の「鷲」ではなく老練なプロスポーツ選手
(本書では江夏豊)の一人称
としてよく使われる
「ワシ」という言い方について書かれた内容に始まる
15編のエッセイは、どれもがバーボンウイスキーを
傾けながら読んだら旨く飲めそうな薀蓄と人生の機微に溢れた
話ばかりなのだ。
そしてその15編の最後に「トウモロコシ畑からの贈物」が配された構成が、
心憎い“落ち”をこのエッセイ集に与える。

「トウモロコシ」に始まるこのタイトルは、
フロリダのタンパに住む元カレッジ・フットボールの
選手だという米国男が言う
トウモロコシ畑からの贈物だもんな」という一言から付けられている。
そしてその男の手に(トウモロコシを主原料とする)バーボンが
入ったグラスが握られているように、
沢木耕太郎は、この最後のエッセイだけに
“十代のなかば”に始まる自身の酒遍歴をはじめ、
バーボンにまつわる逸話を濃密に凝縮させているのだ。
例えばヘレン・メリルの歌声を聴きながらアーリー・タイムズを頼む
バーのシーン
のように。

あえて批評家然とした解説を加えれば、「バーボン・ストリート」とは、
バーボンはいつ出てくるのかと心待ちにしながら読む読者を、
14編のエッセイが、バーボンのお話が待つ15編目へと道案内をしながら
語られていくバーボンを匂わすエッセイのストリートと
解釈することもできる。
しかし恐らくそれは外れている。

成功した本のタイトル

私が言えることは、この「バーボン・ストリート」という
スマートなタイトルが放つネーミングとしてのセンスだ。
読者はこのエッセイを読み進めるうちに
「バーボンとも、ストリートとも関係ない」お話から、
甘いトウモロコシの匂いが立ち上がるような錯覚を覚えるに違いない。
そうした雰囲気を醸しだす源こそ、

沢木耕太郎の芳醇とも言える筆力と、
焦げた樽の色と匂いが移ったかのような余韻のあるお話の中身、
そして他ならぬこのタイトルの力なのである。

忘れていた。そういえばお話とは関係なく、
アーリー・タイムズのイラストが挿入されていた。



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