エッセイ 終わらなかった戦争
(私の個人的意見です。事実誤認もあるかもしれません。ご不快に思われる方がいらっしゃるかもしれないことを先にお詫びします)
今年も暑い8月がやってきた。6日は広島への原爆投下の日、9日は長崎への原爆投下の日、そして15日の終戦記念日。私は若い頃から戦争に関心を持ってきたが、といって特別深い知識を持っているわけでもないが、戦争は8月15日をもって、終わるべくして終わったものだと思ってきた。原爆を2発も落とされ、日本中を空襲で焼かれ、もう戦い続ける気力も戦力もなくなってしまったんだと思っていた。ほんの一部の往生際の悪い軍人が、無条件降伏に反対していたんだと思っていた。
ところが、実際は違った。目に見えない地下の世界では、恐ろし気な一億玉砕の作戦が進行していたのだ。日本だけでなく、アメリカを中心とする連合国も、「長崎の次」の作戦を入念に、しかも、1942年(昭和17)頃からすでに計画していたのだ。日本側の作戦を「決号作戦」、連合国側の作戦を「ダウンフォール作戦」という。
日本側の作戦は、日本中に穴を掘って、その中で、敵の空襲、艦砲射撃に耐えて、上陸して来たところを、穴から出て、地の利を生かしての竹槍攻撃、あるいはお粗末な特攻兵器で水際で迎え撃とうとするものであった。それに対して、連合国は、さらなる原爆の使用も視野に入れていた。南九州と関東の2か所に分けて攻撃を仕掛け、原爆を6発ぐらい落とした後、上陸し、洞窟にはサリンで攻撃するつもりだったらしい。どうみても日本に勝ち目はない。軍部上層部の考えていた「降伏しない戦争」を突き詰めると、こういう結論になるのかもしれない。
もし、8月15日に降伏していなかったら、いったいどういうことになっていたのだろう。想像するだけでも恐ろしい。終戦の決断も天皇の力を借りなければできなかったと聞く。それは自分たちで責任を取りたくないということなのだろうか。天皇制を責任逃れの道具に使っていたのだろうか。
そこまで追いつめられる前に、戦争をやめることはできなかったのだろうか。私が考えるに潮時は2回あったと思う。ひとつは1943(昭和18)年、ガダルカナルで負けた後だ。この頃を境に、日本は初めの頃の勢いをなくし、守勢に転じていく。その直後に連合艦隊司令長官山本五十六が戦死している。戦死とはいっても、死に場所をさがしていたのではないかという気がする。自分が死ねば、国民も意気消沈して、戦争をやめようという気運に傾くのではないかと考えたのではないだろうか。
もうひとつは、1944(昭和19)年、サイパンが陥落した時だ。サイパンが落ちたことによってB-29による本土への直接爆撃が可能となり、そうなれば単なる空襲ではすまず、兵器工場が壊滅することとなり、武器が作れなくなるのだ。そのタイミングで東條英機も政権を投げ出している。
少しでも講和を有利に進めようとして、今度こそ、今度こそと、ずるずると戦争をやめるタイミングを逸してしまった。切れて狂犬化した日本には、すでに冷静に戦局を見定める人間はいなくなっていたのかもしれない。
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