生まれて初めて産みの母にコンタクトを取った日の記憶
私の母は、私が生まれて間もないまだ0歳の赤ん坊の頃に、私を児童養護施設に預けることで、実子との関係を清算しようとした。
その時の記憶は当然残っていないけれど、それ以来私は産みの母親と話をしたことも、会ったこともない。だから私の記憶の中に、産みの母親というものは一切残っていない。
それどころか「母親」という存在にはずっと蓋をして35年間生きてきた。
「母親がいなくても困ったことなどない」と自分に高をくくって生きてきたつもりだけれど、35歳になってようやく自身が愛着やトラウマの深刻な問題を抱えて生きているということを目の当たりにした。
それは私を捨てた母親への恨み、そして私を適切に養育しなかった原家族への恨みを買うことになったわけだが、私の原家族は母親以外全員亡くなっているため、いまさら怒りの矛先すら残っていない。
そんな母親のもとに生まれた私も今年で35歳を迎える。奇しくも母親が私を産み、私を捨てたときの年齢も35歳だった。
私の方は、愛着やトラウマの問題に直面したことがきっかけとなり、産みの母親のことにも向き合うことになった。そして先日母親の戸籍を取得し、69歳で現存であること、父と離婚依頼35年間再婚をしていないこと、さらには住所さえも分かった。加えて私には二人にお兄ちゃんがいることも分かった。
35年間兄弟がほしいと思い続けていた私だが、お兄ちゃんが二人もいると知ったときには、駅のロータリーで失神したように倒れてしまったらしい。
母親が現存であったこともよりも、何よりも私にお兄ちゃんという存在がいるということの衝撃は計り知れないほど私には大きいものだった。
以前にもこのnote上で母親に手紙を書いたり、母親の行方を追う中での葛藤については、その思いを綴っていた。
そんな母親に先日生まれて初めて手紙を書いた。簡易書留で送ったので、不在票を見て郵便局の窓口で受け取っていることも確認が取れた。
このnoteは私自身が愛着やトラウマの問題を乗り越えるための大切な記録なので、母親への手紙についても個人情報にマークをしたうえで、ここに残すことにする。
要は産みの母親に会って、当時何があったのか、なぜ私を捨てたのかを教えてほしいという趣旨のもの。母親に会ってみたいという私の子どもとしての根源的な欲求もそうだが、一番の目的は当時不完全だったであろう母親を許すことができれば、生い立ちへの恨みを軽減でき、残りの人生は私らしい生き方をしたいというもの。
もっと言えば、亡父や産みの母親への恨みを捨てられない限り、私はいつまでも自分の人生を生きることはできないのではないだろうか。
母から手紙の返信が来るかは分からない、実際に会ってもらえるかなんてもっと分からない。
でも35歳にして母親にコンタクトを取ろうとしたことに後悔はない。
この世に産みの母親は一人しかいないわけだし、実の子どもが自分を産んだ母親に会ってみたいと思う気持ちなんて、あって当然だと思うから。
そして忘れてはならないのが、この手紙を書くという行為自体が、私の愛着やトラウマの問題を乗り越えるための確実な一歩になっているということ。
だから本当に後悔はない。
ただ死ぬまでに一度でいいから、自分を産んだ「母親」というものをこの目で見てみたい。
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