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10/15_生まれて初めて産みの母親に会った日のこと+今日のランニング記録

2024年10月15日、私は35歳にして生まれて初めて母親に会うことができた。正確に言えば、0歳にして生き別れた母と35年ぶりに再会したわけだが、0歳の当時の記憶なんてないわけだから、実質的に生まれて初めて会ったことになる。

当日母は私を空港の到着ロビーで待ってくれていたけれど、私が到着してもお互いに誰が母で子なのかは分からない。地方の小さな空港がゆえに、到着した人と出迎えの人がすべて掃けたのち、残ったのが母と私になり、ようやくその女性が私の母親だと分かった。

生まれて初めて会った母親は、私が想像していた母親とはまったく違う69歳の一人のすてきな女性だった。
昼食を食べながら、母と3時間ほど話をした。初めて会った親子なわけだから、当然敬語でしか話せない。でもお互いに妙に緊張していたり、とまどったりした様子は全くなかった。特に母親の温かい目で私を見てくれている姿が何だか頼もしくも思えて恥ずかしい気持ちになり、私は母を見つめることができなかった。
これまで伝言ゲームで聞いていた母親像が、実物の母親と会って話をすることで、全く違うものであったということも分かった。
母親は私からいつか連絡が来ると思ってその日を待っていたということ、会いたくても離婚調停時の取り決めがあり、父の存在の恐怖から連絡すらもできないまま時間が過ぎてしまったことも話をしてくれた。
そして0歳の私を捨てたのではなく、私の父親から暴力が母の連れ子まで及んでおり、離婚後一切私と母は接触しないという父の要求を受けざるを得なかったことも正直に話をしてくれた。

母いわく、父は1回目の離婚の際に同様の暴力行為が原因で、子どもと一切会えなくなったことを怨んでおり、2回目の離婚の際に私の母に自分と同じ思いをさせて苦しめてやろうとしたのではないかとのこと。
結局、私は夫婦の間の揉め事を解決するために、モノとして取引材料にされていたということもよく理解ができた。

母と会って二日ほどたったいま、母に会いにいって本当によかったと思える私がいる。そして私には立派な母親がいて、いつでも連絡をしたり、会うこともできるという事実が、私の心の支えとなってくれると思っている。そして私には心の拠り所として母親の存在が必要なのだろう。

今後は、手紙などでやり取りをしながら、次は年末に会う約束をした。
今回、産みの母親に会って35年間のわだかまりを少しだけほどいたことで、私はひとつ大きな課題を乗り越えることができたと思っている。

今日も今日とてわたしは走る(ランニング記録)

母を見送ったのち私はホテルにチェックインをし、その足で久しぶりに地元の町に走りに出かけた。
日本海沿いの浜辺から出身高校の近くまで、のんびりと市内を1周ほど走って回った。私が高校生の15年ほど前よりも、歩く人も減り、街自体が寂しい感じは歪めない。でも海や山といった自然だけはその景色を変えず、15年ぶりに地元を走る私を見守ってくれているような気がした。

夕暮れの浜辺からの景色
陸上部時代によく走った浜辺の道
わたしの故郷である萩の街をぐるっと一周走る

7月9日から始めた断酒生活100日目を迎えて

「お酒に頼らずにストレスや負の感情をコントロールできるようになる」そう決めて断酒を始めてから、今日で100日が経った。
この100日間、アルコールは一切飲まずに生活した結果、お酒の無い生活が当たり前の日々を送ることができるようになった。

今日をもってnote上での断酒日数のカウントも終了することにしたい。
そして今日をもって「断酒」という言葉を使うこともやめる。
それは酒を意識的に断っているのではなく、酒を飲まない日常を手に入れることができたから。

最後に感謝の気持ちを

今日は二人の母親に感謝の気持ちを伝えたい。
まずは産みの母親へ、35年ぶりに会ってくれてありがとう。
そして私の妻へ、今日も私たちの大切な子どもを育ててくれて本当にありがとう。






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