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ショートストーリー 苦くないよ

 独特の色をした粒子の粗い粉薬を、息子の康介は毎朝飲んでいる。

 この薬がとても苦いことを私は知っている。服薬を始めた頃、康介があまりにも飲むのを嫌がるので、この薬の味がどんなものなのかとテーブルにこぼれた粉粒を指に押しつけて舐めてみたのだ。思わず顔を歪めて水を飲んだ。

 康介の治療が始まって1年後、私は仕事を辞めた。

 検査入院や受診のたびに会社を休んでいたら、いつの間にか有給を使い果たしていた。そして担当の仕事がオーバーフローし始めた頃、会社は私に自宅から電車で2時間かかる工場への異動を命じた。解雇するのが難しいから条件を悪くして退職させたかったのだろう。

 部長から呼ばれて内示を出された時、不覚にも泣いてしまった。仕事に女の涙はご法度と思い、12年間何があっても涙は見せなかったのに。

 悔しかったのだ。会社には自分なりに最大限の貢献をしてきたと思っていたから。倒産の危機を救った今や誰もが知るあの大人気商品は、私ともうひとりの女性社員で一から企画したものだった。その時には社内表彰されて、社長からは「わが社の救世主」とまで言われたのに。

 内示を持ち帰って夫と相談すると、夫はお前の好きなようにしたらいいと言った。工場勤務になるなら自分が家事をもっと引き受けてサポートするし、退職するのならばそれはそれでまた新しく自分らしい働き方を探せばいいじゃないかと。

 勝手な自負を持って働いていただけで、結局会社にとっては歯車のひとつでしかなかったという現実に打ち負かされた私は、退職願を書いた。上司は残念だと言ってそれを受け取ったが、表情から安堵の色が読み取れた。

 その後、朝起きると体が重く昼過ぎになるまで何もすることができない日々が続いた。すぐに始めようと思っていた就職活動にもなかなか取り掛かれない。そして気づくと涙を流していたり、夜遅くに帰宅した夫に少しのことで当たり散らしたりしていた。

 その頃から、康介は急に薬をごねずに飲むようになった。それまではふん反り返って泣きながら拒否してきた粉薬を、自分から飲もうと言うようになった。

「こうちゃんね、もうお薬ぜんぜーん苦くないよ」

 無理をしている。康介は自分のせいで私が仕事を失ったと思い、心を痛めていたのだ。私に負担がかからないよう、小さな体であの強烈な苦みを受け入れようとしているのを知った時、情けなさと申し訳なさでいっぱいになった。

「こうちゃん、苦いものは苦いって言っていいんだよ。苦いおくすり、がんばって飲んでるこうちゃんは、本当の本当にかっこいいな」

 そう言うと康介はにっこり笑って言った。

「こうちゃんがかっこいいのはママに似たんだよ」


 動き出さなきゃ。無理しなくてもいい。今やれることを少しずつやっていこう。まずは自分の疲れ切った心をなんとかしなくては。康介の言葉で、前向きになれた。

 良薬口に苦し。この苦みを飲み下し続けた先には、きっともっといい未来が待っていると信じて私たち家族は今日もゆっくりと歩を進めている。

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