カオスなコンサルタントの本音
こんな愚かなことを誰もが見られるところに書いている時点で、どうかしているのだろうと感じる。今だってそうだ。
最近、つくづく感じるのは、結局何十年も変わらないで、ずっとそのまんま進んでしまっている、自分が自分としてそうとしか生きられない何かが自分にあるということだ。
そのままで生きやすいわけでもない。かと言って、これを覆い隠して生きようとすると、無自覚に人をだますことにもなるし、結果、迷惑をかけることになる。こりゃ、生きているだけでしんどい。
今、やっている地域のことのために、ある社会福祉協議会に保険のことなど相談に行ったときには、多重債務相談とか、貸付相談とかで来た人と勘違いされそうだった。たしかに見た目からも地域のことやっている人なのか、相談者なのかわかりにくいのかもしれない。
実際にも、そういった相談機関にいって社会的な支援を受けてもいいかもしれないぐらい、社会不適合だと思うところも多々ある。今は、周囲の人たちがそれを支援してくれているとも言える。
最近、仕事やいろんな方々との付き合いから思うのは、こんな僕で喜ばれる個性的な影響を何かしら与えているらしいということだ。
実は僕はずっと子どもの時から変わることなく、世界と人と時間について考えている。
思い返せば、ドラえもんを読むようになって、さらにそれは加速したように思う。そのときから蓄積されている世界の成り立ち方をずっと探究しているとも言える。
今、僕は、SX(Sustainability Transformation)を推進することをミッションにコンサルティングやセミナー研修、そしてさまざまな人のメンタリング(壁打ちパートナー)をしている。
直面する相談事はさまざまな様相を呈しており、知らないこともあったりもするけれど、僕が一定の機能性を確保しているのは、ずっと探究し構築してきている世界観・人間観・時間観の体系があるからだ。
まず相談事を聴く。
それがどのような感じになるといいか、それはどのような構造で今があり将来があるのかをイメージできるまで、相手の方の話をインストールしていく。整理されている内容でなくても、本人が自覚できていないことがあっても、いろいろと話してもらえると頭の中で全体が構成されていく感じで、インストールという感じがしっくり来る。
そうして全体的な構造(過去・現在・未来も含めた感じ)をとらえる。もう少し詳しく書くと、全体的な構造と言っても、社会や時代の影響下でそれらを僕らがどのように認知理解しがちかというかなりメタな視点でも考察して、大きな構造において相談されている構造を明らかにする感じになる。あわせて『時間』の流れではなく、大きな傾向性というとらまえから将来のあるべき姿を見いだすことも含まれる。
相手の方にすべてを話すわけでもないけれど、ここのとらまえがあると前提の前提の前提まで検討しており、活動上何かの不具合があっても戻るべきところが最初から枠組みの中に含まれているので、実際に進捗状況を聞けば対応できるのだ。
次に全体構造の確認の上、どの部分からとりかかるといいのかを決めていく。実際に具体的な活動を決めていく上で、現場や本人しかわからない障壁(ハードル)があり、そこをしっかりと聴いていく。また僕が構造的に見えている障壁についても詳細をシミュレーションして聴いていく。なぜならそれらが見えると一番楽なルートをプロセスとして設計でき、またさまざまな現実的なリスク(落とし穴)も予測できるからだ。
成功確率100%の手立ては存在しないので、最悪でも最高の結果に近づけていくためには時間的にも実際的にもちゃんと戻れる足場をつくることが大切だ。最悪でもこういう結果までは行けるという見通しを話し合うためにも必要である。
現場や本人しかわからない障壁(ハードル)については、2パターンしかない。物理的な障壁と心理的な障壁である。物理的な障壁は具体的に何かを構築するか、迂回するかになる。心理的な障壁については、3つのアプローチがある。ここは詳しく書くと長くなるからまたの機会とする。
こうして一緒に話しながら見えてきたステップについて確認したうえで、具体的な活動が決まったら、スケジューリングと共有ミーティングは必ず設定する。と書いておいてなんだけど、社会不適合な僕はここが一番苦手。だから、これは相手方に握ってもらうか、仲間に握ってもらうようにしている。
だいぶ長くなってきたけど、こういうことが僕の個性的な影響のひとつだと思うだけど、僕は残念ながら自分にこのことを適応できないようなんだ。あらゆる事象を観察して、それらを体系的に整理することが好きなんだけど、僕は自己管理能力がないのといろんなことに意識が跳ぶためにいつもカオスな感じになる。
つまるところ、わざわざテーマとしなくても、いつもカオスの中で、心から狂い、歌い踊っているようなものだと。それをただ認め、自覚して生きていくことが残された唯一の進歩なのだろう。
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