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史上最大の決断 -「ノルマンディー上陸作戦」を成功に導いた賢慮のリーダーシップ (野中 郁次郎・荻野 進介)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 以前参加していた野中郁次郎氏主宰フォーラムの事務局から送っていただいた本です。

 最近はいわゆる「ビジネス書」は全くと言っていいほど読んでいません。野中氏の著作も久しぶりです。
 この本は、かなり長い間“積読”状態になっていたのですが、新型コロナウイルスの影響でいつも行っている図書館が長期間閉館されて、手元に読む本がなくなったので改めて手を伸ばしたものです。

 内容は、近年の野中氏の論考のメインコンセプトである “フロネシス” の視点から、ノルマンディー上陸作戦に関わる人物が下した数々の決断の場面を考察したものですが、前半のかなりの部分は、ノルマンディ―上陸作戦の詳細なノンフィクション的記述が続きます。

 その中で、ところどころに「戦略」「戦術」「組織」といったマネジメント色が感じられる解説が挟み込まれています。
 たとえば、アメリカ軍とイギリス軍の対比について。

(p264より引用) 同じ連合軍でも、アメリカ軍とイギリス軍の戦闘スタイルには大きな違いがあった。アメリカ軍では現地司令官に一定の使命と兵力とを与え、その実行に関して参謀本部が細かく干渉することはほとんどなかった。その裏には、現地にいる人間のほうが数千マイルも離れた場所にいる人間より判断が的確だという考え方があった。アイゼンハワーは現地司令官について、「彼らはどんな場合にも、上から逐一指摘を受けなくても、敏速かつ効果的に行動するものと期待していた」と書いている。それに対してロンドンにあったイギリス参謀本部は毎日、司令官と密接な連絡を取り、情勢や兵力の状態を絶えず報告させていた。アメリカ軍は先に紹介したライノー戦車にせよ、歩戦一体作戦にせよ、実戦を通じてさまさまな戦い方の新機軸を生み出したが、イギリス軍には目立ったものはなかった。彼我の戦闘スタイルの違いがそこに反映しているのかもしれない。

 もうひとつ、

(p338より引用) ノルマンディー上陸作戦は、機動戦と消耗戦という両方の性格を持っていた。将兵や兵器の物量だけでなく、人間の判断力や知力、そして行動力が大きな鍵を握っていた。既に見てきたように、勝利を収めた連合軍においては、通常の指揮統制に加え、現場における各人の文脈判断と行動が重んじられた。
 連合軍の組織は、官僚制的なヒエラルキー組織だったドイツ軍に比べて、圧倒的にフラクタル性が強かったことが衆知のマネジメントを可能にした。さらに連合軍の中でも、イギリス軍よりアメリカ軍のほうが機動戦に適合した組織だった。アメリカ軍の司令官はどんな場合にも上からの指示を参照しつつも、各状況に応じて主体的に、すばやく、効果的に動くことを期待されていた。その意味で、ノルマンディー機動戦の最大の立役者はやはりパットンであった。

 「消耗戦」と「機動戦」とは対置される戦術ですが、両者は現実的な適用においては、相互補完的な関係にあります。敵を固定化する消耗戦(通常兵力)と敵陣を突破する機動戦(臨時兵力)のタイムリーな合体が、ノルマンディー上陸作戦でも連合軍に大きな成果をもたらしました。

 また、本書では、ノルマンディ―上陸作戦をはじめとする第二次世界大戦を舞台に活躍したチャーチル・ルーズベルト・アイゼンハワーといった当代一流の人物像についても、その特徴的な人間力を紹介しています。

(p335より引用) パットンについて次のような言葉が彼の指揮官としての柔軟性を物語っている。
 「指導者とは、原則を状況に適応させられる者だ」。パットンは戦史や軍事科学を実によく読んだが、その際、メモをインデックス・カードに打ち出す習慣があった。これはそこに書き残されていた言葉だ。鍵になるのは、「適応」という言葉だ。通常なら「応用」としそうだが、パットンはあまりにもアグレッシブであり独創的だった。単に原則を状況に応用するだけに収まらなかったのだ。彼はもっと基本的で活動的な何かを求めていた。原則は尊ぶが、焦眉の急は優先した。現実を前にしたときに大切なのは、原則を無視したり忘却するのではなく、それを必要に応じて変えていくことである。

 野中氏が唱える「人間力」にかかる主要概念は “フロネシス” です。
 “フロネシス”は通例では「賢慮」と訳されるようですが、野中氏は「実践知」と呼んでいます。

 アリストテレス「ニコマコス倫理学」において、知識を「エピステーメ(形式知)」「テクネ(暗黙知)」「フロネシス(実践知)」に分けて説明しています。「形式知」と「暗黙知」の相互変換螺旋運動によるイノベーション創出を促進するものとして「実践知」があるとの文脈です。

 この実践知は優れた判断を下すに必須の要素ですが、「実践知を有する未来創造型リーダーに必要な能力」について、野中氏はこう解説しています。

(p345より引用) われわれは、数多くの優れた政治家、軍人、企業のリーダーを研究した結果、実践知リーダーは次の6つの能力を備えていると考える。
(1)善い目的をつくる能力
(2)ありのままの現実を直観する能力
(3)場をタイムリーにつくる能力
(4)直観の本質を物語る能力
(5)物語を実現する能力(政治力)
(6)実践知を組織する能力

善い目的がなければ、多くの人を巻き込むことができない。現実を正確に把握できなければ、間違った判断を下してしまう。場をつくる能力がなければ、衆知を創発できない。うまく物語る能力がなければ人を説得できない。政治力なくしては優れた構想も画餅に終わってしまう。実践知を組織に広められなければ、メンバーが育たず、組織が一代限りになってしまう。だからこそ、この6つが必要不可欠なのだ。

 本書ですが、ノルマンディー上陸作戦の戦略・戦術の詳細にも興味がある方は、第一章からじっくり読み進めていけばいいと思いますし、ノルマンディー上陸作戦を材料にした戦略論・リーダーシップ論に関心のある方は、第7章・第8章から読んでみるというアプローチの仕方もあるでしょう。

 いずれにしても、“知識創造に係る実践的ストーリーテラー” としての野中氏の面目躍如たる中身の濃い著作だと思います。



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