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月と六ペンス (モーム)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 先に読んだひろさちや氏による「「善人」のやめ方」という本の中で、仏教の教えとサマセット・モームが著した小説の主題とを関連付けて自説を語っているくだりがありました。
 振り返るに、恥ずかしながら私は、モームの著作をキチンと読んだことがありません。というわけで、まずはと思い手にとった本です。

 読んでみると、確かに日本流にいうと「世間」との関わり方についてのモームの考えが其処此処に伺われます。

 たとえば、ストリックランド夫人に請われ、彼女を捨てたストリックランドに会いにいったシーン。
 「僕」は、あまりにも自己中心的なストリックランドの物言いに憤慨しました。彼には、良心に訴えるような説得は何の効果ももたらさなかったのです。
 ただ、モームは、世間体を気にするような「良心」に対しては否定的な考えをもっているようです。

(p105より引用) およそ良心というものは、社会が自らを維持する目的でつくった規則が守られているかどうかを監視するために、個人の内部に置いている番人である。・・・世間の人に支持されたいという人間の願望はとても強く、世間の非難を恐れる気持はとても激しいので、結局、自分の敵を自分の城内に引き入れてしまったのである。・・・良心は個人の幸せよりも社会の利益を優先させる。

 「良心」の欠片もなく利己主義の権化のようなストリックランドですが、タヒチでの暮らしは肌に合いました。

(p344より引用) イギリスやフランスでは、ストリックランドはいわば丸い穴の中の四角い釘であったが、ここでは穴の形など決まっていないので、釘もどんな形でも構わないのだ。・・・彼はこの地で初めて、生まれ育った国で与えられると期待もせず、望みもしなかったもの-共感-を得たのだ。

 ここでもモームは、ストリックランドが変わったとは描いていません。彼は彼のままですが、彼を取り巻く世間の受容度・寛容度が異なっていたのです。

 さて、本書を読んでの感想です。
 やはりこういった本は実際に読んでみないとだめですね。年を経ても、また、多くの国々においても一定の評価を得ている作品は、素直に素晴らしいと思います。

 読書量自体が落ちつつある昨今ですが、今年は実用書のウェイトを抑えて、少しでも気になった文芸作品を積極的に読んでみましょう。



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