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旅人よ!(五木 寛之)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 このところ図書館で予約している本の受取タイミングがうまくいかず、また読む本が切れてしまいました。

 ということで、久しぶりに納戸の本棚を探ってみて、肩肘張らないで読めそうな昔の本を引っ張り出してきました。
 選んだのは、今から30年ほど前に買った五木寛之さんのエッセイです。最近「こころの散歩」という五木さんのエッセイ集を読んだところなので、いい比較になりますね。

 世代を経て五木さんのエッセイを何冊か読んでみると、この時期に五木さんの頭に浮かんでいる考えのいくつかは、その後も、そして今になっても引き継がれていることに気づきます。

 たとえば、「老いはじめた町NY」という小文のなかでは、最近の五木さんのエッセイで登場する “人生の下り坂の豊潤さ” と同じ想いを綴っています。

(p116より引用) こんどのニューヨークは、すっかりくたびれて、そして目もとに小じわも出来、白髪も目立ってきた初老の人物といった感じがしたのです。・・・
 それはとても人間的な風景です。人は成長期よりも、人生の峠をこえて、ゆっくり下降してゆくときのほうが成熟するのです。
 ニューヨークも、そんな印象でした。年齢でいうと、そうですね、五十五、六歳といったところかな。

 同じ小文の中には、こういうくだりもあります。

(p119より引用) とりあえず、文化とは罪ぶかいものです。それは貧しい社会には育ちません。豊かなだけの社会にも育たないのです。
 はっきり言ってしまえば、権力と富の偏在するところ、そこに芽生え育つ寄生虫のようなものではないでしょうか。ギリシャ・ローマ文明以来、常に文化やアートは、そんなシーンに黄金期を迎えてきました。
 一方に貧しく苦しい生活があり、一方に少数者の豊かな社会がある。そんなアンバランスな裂け目に、アートも学問も発展してゆく。

 「格差が文化や歴史を生む」、これも同様に今につながる五木さんの考え方ですね。

 さて、こういう読書の “タイムトラベル” もなかなか楽しいものです。
 これを機に、今度はできるだけ初期の五木さんのエッセイにも立ち戻ってみましょう。
 学生時代に買った本は此処には持ってきていないので、近所の図書館のお世話になるのですが、やっぱり「風に吹かれて」あたりですかね。



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