随感録 (A. ショーペンハウアー)
ショウペンハウエルの著作は、以前、「読書について」「知性について」あたりを読んだことがあるのですが、本書はショウペンハウエルのいくつもの随筆を採録したのものです。
まずは、初章「判断、批評、喝采ならびに名声について」から、いかにもショウペンハウエルらしい語り口の一節です。
ショウペンハウエルに言わせると、カントは偉人・哲人であり、ヘーゲルは似非哲学者となります。
優れた先人の後に登場する数多くの模倣者を持て囃す「大衆の評価眼」への批判であり、さらに、この主張は、同時代の傑出した業績をその時期に見出せない「大衆の判断力の無さ」の指摘に繋がっていきます。
続いて、第三章「自分で考えること」から、定番の「読書」についてのショウペンハウエル節です。
この点は「読書について」でも声高に指摘されていたことで、私も常に心しなくてはならないと自戒しているところです。
そして、さらに、こう続けます。
「現実に拠ること」「自分の頭で考えること」、これらが重要であることは極めて当然なのですが、実社会においては、それらを忘れた「似非」なるものが「真実」のものを駆逐することもある、そういう不満がショウペンハウエルの著作には通底しているように思います。
ショウペンハウエルの言葉は辛辣でシニカルなものという印象がありますが、必ずしもそうではありません。特定の思想・人物には厳しい口調であっても、当然の示唆の語りはとても論理的で分かり易いものです。
たとえば、第五章「読書と書物について」の中のこういうフレーズです。
(p167より引用) 「反復は学問の母である」と言われる。すべて重要な書物は何によらず、すぐ二度読むべきだ。それは、二度目にはその問題の関連がいっそうよく把握されるし、おしまいの結論がわかっているため最初の部分がいよいよ正しく理解できるからである。さらにまた、二度目にはどの個所に対しても最初の時とは違った気分で臨むことになるから、印象も違ってきて、同じ対象を違った照明で見るようなぐあいになるからだ。
また、第九章「教育について」では、子供の教育方法・順序についてこう諭しています。
概念が先だと、それが先入見になって他人の尺度で物事を考えるようになってしまうとの指摘です。
「読書」に対する否定的な見方とともに、ショウペンハウエルの「自らの頭で考える姿勢」へのこだわりが顕示された主張ですね。
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