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人口減少社会の未来学 (内田 樹 他)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 以前、「未来の年表」という本を読んでみたのですが、その流れで手に取ってみました。
 内田樹さんをはじめとして池田清彦さん、ブレイディみかこさん、隈研吾さん等バラエティに富んだ方々が寄稿されているので、それも楽しみでした。

 本書で取り上げられているメインテーマは「人口減少社会」ですが、それを論じるにあたっての問題意識、別の言い方をすると「危機感」について冒頭の序論で編者の内田樹さんはこう語っています。

(p16より引用) 僕たち日本人は最悪の場合に備えて準備しておくということが嫌いなのです。
「嫌い」なのか、「できない」のか知りませんが、これはある種の国民的な「病」だと思います。
 戦争や恐慌や自然災害はどんな国にも起こります。その意味では「よくあること」です。でも、「危機が高い確率で予測されても何の手立ても講じない国民性格」というのは「よくあること」ではありません。それは一つ次数の高い危機です。「リスク」はこちらの意思にかかわりなく外部から到来しますが、「リスクの到来が予測されているのに何も手立てを講じない」という集合的な無能は日本人が自分で選んだものだからです。

 さて、それぞれの論客の方々の指摘の中から特に私の気になったところを以下に書き留めておきます。

 まず、「東北食べる通信」編集長高橋博之さんの提唱する「関係人口」を拡大させるという考え方。

(p239より引用) 確かに被災地は甚大な被害を受け、定住人口は減った。しかし、そのまちに暮らす人の現状に思いを馳せ、未来を案じ、継続的に関わりを持ち続ける人は震災後にぐんと増えている。私はこうした人々を「関係人口」と定義し、4年前からその拡大を訴えてきた。
 遠く離れた地域にも関わりを持ち続けようと主体的・能動的に動く人たちは、常に自分にできる役割を探している。つまり、観客席からお節介にもよそのグラウンドに降りようとしているのだ。この「関係人口」を第二住民として地方のまちづくりに参加させればいいというのが、私の提案である。

 たとえば農業や漁業での「生産(農家・漁師)→消費(都市居住者)」という関係を一種の “相互依存/相互支援の関係” と位置づけ、その人と人とのつながりをひとつの社会として活性化を図っていくという活動です。
 人口も減少しつつ孤立化も進むという「人口減少社会」にとって、有益かつ現実的な対処策のひとつでしょう。

 もうひとつ、東京大学名誉教授姜尚中さん「斜陽の日本」の現状と今後の在り方についての示唆。

(p285より引用) もはや、戦後の、そして明治維新以来の、人口増大と潤沢な労働力、男女の性別役割と疑似家父長制、国家主導の科学技術動員体制と均質的な国民教育制度を土台とする国力増進型社会は確実に終焉を迎えつつある。それは、米国のような特殊な移民型社会を除けば、西欧の成熟社会にも共通した傾向である。

と現状を捉えたうえで、こう提言します。

(p287より引用) 「縮む」イメージで語られがちな日本の未来は、決してグルーミーなわけではない。少なくとも、「熱い近代」の呪縛から解き放たれ、そのソフトパワーを外交戦略重視の平和主義へと転換し、低成長=定常化を受け入れ、減災に優れた地域分散型の国土をネットワーク的に結びつけ、優れた文化的付加価値を多品種少量生産のシステムとリンクさせるサイクルを築ければ、日本はなだらかに斜陽を謳歌する成熟社会へと移行することができるはずだ。

 本書の体裁は、各論客の主張をそれぞれの個性の任せるままに “ただ1冊にした” との様相です。
 それ故か、最後の章を受け持った姜尚中教授のパートは行きがかり上「最後のまとめ」を引き受けたかのようで、なんとか無理やり投稿者の最大公約数でも最小公倍数でもない “共同声明” を発したような印象です。

 それはそれで悪くないと思いますし、この論考集の基本ポリシーや掲載順序も内田さんの判断だとすると流石としか言いようがありませんね。



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