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伝言 (永 六輔)

(注:本稿は、2019年に初投稿したものの再録です)

 先日、たまたまつけたテレビに黒柳徹子さんが出演していて、60年来の友人だったという永六輔さんの思い出を話されていました。

 永さんの著作としては、ちょっと前にも「芸人」というタイトルの本を読んでいるので、今年になって本書で2冊目です。こちらでも永さんのテンポのいい語り口は健在でした。
 その中から私の関心を惹いたところを書き留めておきます。

 まずは、幸田露伴の「五重塔」を取り上げて、“ルビ”の振り方の妙を語っているくだりです。
 「言葉使いの知恵」ですね。

(p77より引用) 「純粋」と同じ意味・発音の「醇粋」を「いっぽんぎ」とルビを振った露伴の思いをどう受けとめるかが、読む側に要求される。
同時に、「携帯・Eメール文化」の21世紀、符号化しつつある将来の日本語がどうなるか、という問題にも重なってくるのが、『五重塔』という一冊なのである。

 もうひとつ、永さんがラジオの仕事を始め、続けるにあたってとても大きな影響を受けた民俗学者宮本常一さんの言葉。

(p83より引用) 民俗学者の宮本常一さん。・・・
「これからは放送の時代が大事になる。
 ただ、そのときに注意してほしいことがある。
 電波の届く先に行って、そこに暮らす人の話を聞いてほしい。
 その言葉をスタジオに持って帰ってほしい。

 スタジオで考えないで、人びとの言葉を届ける仕事をしてほしい」
ぼくは、これをずっと肝に銘じてきました。

 本書では、永さんの言葉、永さんが親しくされている方々の言葉のほかに、極々普通の市井の人々による語り合いの中からの言葉も紹介されているのですが、その中にもこれはというピリッとスパイスの効いた名言が山盛りにあります。
 例えば・・・

(p90より引用) 「むかしは、いい仕事をして有名になったもんですが、
 テレビからこっち、ただ有名という有名人ばかりになりました」

であるとか、

(p108より引用) 「ひさしぶりに日本に帰ってきて、テレビを見てると・・・
何か食べているか、悪ふざけをしているか、という番組ばっかりね」

とか、このあたりは、昨今の “テレビ番組の劣化” を取り上げたものが多いですね。

 さて、本書のテーマは「語り伝え」です。
 今、この瞬間にも消え失せつつある “人々が依然に辿った貴重な記憶や経験” を、これからの人たちに “心に留め置いて欲しい教訓” として伝えていくこと。
 自らの体験を自らの口で語ることのできる人々が年を経るに連れ数少なくなっていく今、永さんは、語り部の一人として改めて「語り伝え」の大切さを訴えています。

(p159より引用) 戦争、災害、公害、拉致。
 「悲惨さ」と向き合うとき、その語り伝えが悲惨である必要はない。
語り伝え力を、もういちど考える必要があると思った夜だった。
 たとえば、被爆者だった故江戸家猫八さんの広島レポートは、見事な漫談だった。
 それでいて怖さが伝わった。
 技術と智恵があれば、寄席でも「広島」は語れたのである。

 昨年(注:2016年)、その永さんも「記憶の中」の語り部として語り伝えられることとなりました。



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