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古寺巡礼 (辻井 喬)

 辻井喬氏の著作は、以前「伝統の創造力」という本を読んだことがあります。今回は、2冊目。「辻井喬」氏の「古寺巡礼」という組み合わせに興味をもって手に取ってみました。

 辻井氏流の面白い着眼や発想があり、私にとってもいろいろと気付きがありました。

 まずは、仏教思想理解における「仏像」の意味づけについての辻井氏の考えです。

(p16より引用) 仏教が中国大陸や朝鮮半島を経由してわが国に伝えられた際、その時代の権力の必要性や、文化的伝統に根ざす解釈で意訳されたりした結果、かなり原典とは異なったものになっているという。・・・
 そうした学問の進歩の中にあって、もっとも確実な仏教思想の受容は、まず仏像などの作品に表現されている感性を受け取ることのような気が僕にはしてくるのであった。

 後世の様々な意図を呑み込んで変貌した教義よりも、不変の仏像の姿に原始の教えが残されているということです。

 次は、「新薬師寺」を訪れ、その「新」の意味から繋がる「進歩史観」についての辻井氏の思索です。

(p26より引用) 新薬師寺の新というのはあたらしいという意味ではない。・・・「別の」とか「霊験あらたかな」ということらしい。
 そう教わって僕にはいつの間にか自分が、新しいものほど進歩している、秀れているという通俗的進歩主義の考え方に染まっていたことに気付かされた。その背後には時間を直線的な流れのなかでのみ理解し、空間を伴っての後戻りや曲線を描いて円環を作ることもあるという考え方から遠ざかっていたという事情があったと分かった。

 本書で紹介されている寺院や仏像は、今に残る素晴らしい文化の結晶です。もし直線的な進歩史観が正しいとするならば、往時のものよりも後年の創造の方が優れていることになります。
 文化はその時代の人間の社会性・精神性が作り出すものです。今の建築や美術作品のいくつが1000年の月日を経てもなお心に響く感動を与えうるか、文化における進歩史観は成り立ち得るか・・・、考えされられます。

 もうひとつ、会津金塔山惠隆寺の薬師堂を訪れた際のくだりです。
 辻井氏の「伝統文化と新しい文化との関係性」についての考え方が表れています。

(p220より引用) 建築様式の和様と禅宗様の融合はおそらくその室町の頃に成立したのだろうが、そのことは太古から伝えられてきた文化の深さが、外来の様式を地域の伝統によってしっかりと受け止めたことを意味していよう。そこには新しいものや流行を追う都会人の軽薄さはない。
 そのためだろうか、薬師如来坐像の独創性が見る者に訴えてくる存在感は圧倒的であると言っていい。言い方を変えれば、伝統文化が深く生きていればいるほど、新しい文化を迎えたときに創造性が発揮されるという思想が、この坐像に見事に体現されているといえよう。

 最後に、最も私の印象に残ったくだりを記しておきます。
 福井県小浜市の名刹棡山明通寺を訪れ、鎌倉時代に再建された本堂を目にしたときの辻井氏の気付きです。

(p78より引用) 僕には、建て替えを前提とするということは、その建て替えの際、その時代の様式が入ることをも認めたうえでの再建なのではないかと思えてきた。
 つまり、最初造られたとおりに再現するのではなく、その最初の様式がその時代の人に与えた感銘と同じものを今の時代の人に与えようとする時、その時代の様式が混ざるのを当然の前提として考えていたのではないかということである。
 そこにあるのは、美というものの永遠性とは、時代と共に変わってゆくことのなかにその本質の重要な部分があるという美意識なのではないか。

 この着眼・発想は大いに勉強になります。美という価値観の継承において、過去の静的な美意識を寸分違わず再現するのではなく、その本質を伝えるがために変化を積極的に取り込むという考え方です。
 そして、そういった継承の仕方を、最初の創造の段階から織り込んでいるのだとすると、その構想力の雄大さは驚き以外の何ものでもありません。



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