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半歩先を読む思考法 (落合 陽一)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 著者の落合陽一さんは学問・アート・ビジネス等様々なジャンルでその多彩な才能を発揮している “旬な俊才” です。(私の年代だと、今でも書棚に並んでいるお父様の著作のインパクトが真っ先に頭に浮かびますが)

 こういった感じのタイトル(●●法)の本はこのところできるだけ読まないようにしていたのですが、この歳になってもどうにもミーハー気分が抜けないので、流行りものに負けて手に取ってみました。

 が、内容は全く予想していたものとは違っていました。単純な “HowTo本” とは全く正反対といっていいでしょう。
 落合さんがここ数年 “日々の思索のプロセスやアウトプット” を綴ったnoteへの投稿記事をベースに編集されたもので、そこに表出しているコンテンツは「ただ真似をすればいい」といった普遍的方法論の紹介ではありませんし、思索そのものですから、そもそも誰でもが簡単に「真似ができるもの」でもないんですね。

 ということで、本書を読んで、私自身、同時代・リアルタイムの先端思考について行けたかというと、ほとんど無理だったような気がします。

 それでもその中で、印象に残ったくだりをいくつか書き留めておきましょう。

 まずは、博士課程を振り返っての落合さんの述懐。

(p84より引用) 博士課程の訓練はずっと考え続けること、興味を持ち続けること、自分の世界観と世界の間の距離を埋め続けること、そういった知的活動を愛し続けること、今この現実で価値があるという価値基準に支配され切らないこと、ミクロとマクロ、主観と文脈の間をいったりきたりしながら、常に思い込みの力を忘れない訓練だったようにも思う。

 「今この現実で価値があるという価値基準に支配され切らないこと」というフレーズは私でも腹に落ちます。

 そして、落合さんの「チームビルディング」について語ったくだり。

(p252より引用) 結局人と人とのコミュニケーションはミームが最強だし、人を見る目と信頼性によって成り立つ関係性を活かしていかないと伝達速度に限界が来るから信頼と現場力と場数を組み合わせながらやっていくしかないと思って人生を生きている。イマジネーションの共有がもっとも重要。脳が直列するような並列するような場づくりが一番大切。同じものをイメージできるか。

 この部分は普通の日本語?なので、私が読んでもよく分かりますし首肯できる考えです。

 さて、本書を読み終わってですが、(繰り返しになりますが、)正直なところ落合さんからのメッセージは1割も理解できなかったというのが実感ですね。

 現代哲学的表現なのだと思いますが、たとえば落合さんは、自身の “作品作り” についてこんなふうに切り出します。

(p131より引用) Uberみたいないわゆるギグエコノミーで働く人たちのポートレートを集めて、アマゾンの倉庫で働く人々のDNAをサンプルして、ギグエコノミーの低賃金さ、AIシステムと代替可能な人の関係性を語るために彼らの肖像をGANで生成画像を作って、人と機械が融合したディストピアの不完全なイメージのためにDNAのデータからシミュレーションした生物と機械の融合した姿の悲哀についてバイオ系立体造形で語る現代アートみたいなものを作ることで、資本家が牛耳るカリフォルニアスタートアップのお祭り騒ぎの中の人間性の危険な状態をAIやバイオアートの最新テクノロジーを用いて表現する・・・

 完全に確信犯的難解表現の披露ですが、私にはあまりにも???でした。

 落合さんの著作を何か1冊でもしっかりと読み込まないと、本書で紹介されている彼の思索のフラグメンツを理解するスタートラインにすら着けないということのようです。

 

半歩先を読む思考法 落合陽一 新潮社


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