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昭和史の人間学 (半藤 一利)

(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)

 会社の近くにある図書館の新着書の棚で目についた本です。

 著者の半藤一利さんは私の好きな作家のひとりで、今までも「戦争というもの」「日本のいちばん長い夏」 「昭和史をどう生きたか」等をはじめとして何冊か読んでいます。

 本書は、半藤さんの共著も含めれば100冊近い著作の中から “昭和史を彩る人物” を評したくだりを採録したもので、登場する人物は半藤さんが注目した “昭和史のキーパーソン” ということもあり政治家軍人がほとんどの割合を占めています。

 それらの人物評はまさに半藤さんの歴史観を写したものでとても興味深いのですが、特に印象に残ったところをいくつかを覚えとして書き留めておきます。

 まずは、 “戦犯” といえば必ずと言っていいほどに登場する人物。
 陸軍代表は辻政信大佐です。
 ノモンハン事件で大敗しても、なお彼の強気の姿勢は全く変わることなく、陸軍中枢でその悪しき影響力を発揮し続けました。

(p131より引用) 辻は、「ノモンハンでソ連の実力は知っている。それより南だ。南方の資源を押さえろ」と主張した。北はややこしいから今度は南というわけですが、そうなると米英との戦争は避けられません。危ぶむ同僚に対して、「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない」と一喝するわけです。
 こうした主張がまかり通る陸軍とは、いったいどういう組織だったのか。不思議でしょうがない。

 ともかく、

(p132より引用) 理性的な人たちがいかに功績をあげても中央に迎えられない一方で、失敗した人たちが、責任を問われることもなく繰り返し中枢に登用されています。これもまったく不可解。

 ということです。
 もちろん「失敗」という事象のみを持ってその人に恒久的な評価を下すべきではありませんが、しっかりとその「失敗の要因・責任」を明確にすることは必須でしょう。
 この点をあやふやにして事を運ぶのは、何も戦時中の陸軍に止まりませんが。

 もう一人、太平洋戦争における軍人を語るのなら、海軍の山本五十六大将に触れないわけにはいきません。
 半藤さんが紹介している彼に関する数あるエピソードの中からひとつ書き留めておきます。

(p85より引用) 山本五十六は、部下が特殊潜航艇で真珠湾に突入したいといったとき、許可しなかったんです。九死に一生ならともかく、「十死零生」ではだめだと。自分が責任をもてないことを命令してはいかん、というのが指揮官の覚悟でしょう。ところが、特攻作戦を命令した人たちにはその覚悟がない。特攻は志願によるとされていますが、ほとんどが命令なんです。特攻で死んだ日本青年たちの精神を考えるとき、同時に、それを命じた日本人の堕落ぶりを忘れてはいけないと思います。

 そして、半藤さんはこうも語っています。

(p198より引用) 様々な軍人たちの戦前と戦後の生き方を考えてみると、そこには日本人そのものの生き様が見えてくる。組織としても個人としても、昔も今もほとんど変わってないんじゃないかという気もします。気高く生きた人もいた。許すべからざる生き方を続けた人もいた。歴史とは人間学だとつくづく思えてきます。昭和史から学べることは、まだまだ多いです ね。

 こういう観点から本書に採録された人々を見ると、極僅かな「許すべからざる生き方の人」によって、圧倒的多数の人々の人生が無残なまでに蹂躙されたことに改めて大きな憤りを感じます。
 ただ、そういう一握りの人の声を通らせていた要因の一端は私たち自身にもあったことは認めざるを得ず、それゆえに、私たちは、そういう状況に今後二度と向かわせないよう努めなくてはなりません。

 また悲劇が繰り返されそうな危惧を感じる今なればこそです。



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