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世界遺産にされて富士山は泣いている (野口 健)

(注:本稿は、2014年に初投稿したものの再録です)

 新聞の書評欄で紹介されていたので読んでみた本です。

 著者の野口健氏は、7大大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立する等で有名な日本の代表的なアルピニストです。最近は、エベレストや富士山の清掃登山等、環境問題への取り組みでも注目されています。

 本書は、その野口氏が、富士山の世界文化遺産登録をひとつのシンボリックな材料として、日本の環境保護問題の課題を浮き彫りにしたものです。

 まず、野口氏は、その課題解決には、行政・観光業者・山小屋関係者・環境保護NPO等々、複雑に絡み合った関係者間の利害調整という過程が不可避だと指摘しています。

(p62より引用) 環境問題というと、自然を相手に取り組む活動というイメージがあるかもしれないが、僕は富士山に関する活動をしていて、自然が相手だという気になったことがない。誰が相手なのか。
 その答えは「人間」だ。

 この「人間」相手に課題解決を進めるにあたっては、関係当事者間で「なんのために」という解決の「目的」の共有が最も重要になります。
 しかしながら、この点からして、日本の場合は “ボタンの掛け違い” が見られるのです。それは、「世界遺産」登録の目的に端を発しています。

(p73より引用) そもそも世界遺産とは、1972年にユネスコ総会で採択した「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」に基づいて、「顕著な普遍的価値」を有する遺産として登録されたもののことを指す。

 世界遺産条約成立の経緯を辿ると、1960年に始まったアスワン・ハイ・ダム建設事業に伴う古代エジプト遺跡群の保存キャンペーンがその発端でした。

(p89より引用) 世界遺産は、その誕生の経緯からして「遺産を顕彰する」ことではなく、「遺産を守る」ことが目的なのである。この点を多くの日本人は、はき違えている。世界遺産は遺産を「守るため」にある。なったら終わりではない。

 この「遺産を守る」という観点から、富士山の場合は、そもそも今回の登録にあたって「宿題」が課されています。それは、2016年2月16日までに世界遺産センタに対し、
 ①文化的景観の手法を反映した資産の総合的な構想(ヴィジョン)
 ②来訪者戦略
 ③登山道の保全手法
 ④情報提供戦略
 ⑤危機管理戦略の策定に関する進展状況
 ⑥管理計画の全体的な改定の進展状況
等を明らかにした保全状況報告書を提出するというものです。

 ここに、他の世界遺産に見られない「富士山」の難しさがあるのです。

(p92より引用) 富士山の難しさは多くの世界遺産とは違って「現状維持」を求められているのではなく、「現状からの改善」を求められているところにある。したがって「登録前の状況と大きく変化がなければ大丈夫」ではない。むしろ、どうやって保存状態をよくしていくか、抜本的改善策を出して”変えなければ”危ないのである。

 本書において野口氏が求めているのは、「富士山を世界文化遺産」として維持し続けるという点ではありません。それは、むしろ手段であり、究極の目的は「環境保護」にあります。

 世界遺産条約を日本が批准したのは1992年、先進国の中では異例の遅さだったとのことです。そして、1993年「文化遺産」として法隆寺と姫路城、「自然遺産」として屋久島と白神山地が登録されて以降、現在(注:2014年)まで、文化遺産14、自然遺産4が登録されています。
 最近では「富岡製糸場と絹産業遺跡群」が追加されましたが、それらの過程の中で、日本の多くの関係者は、世界遺産を保護の対象としてみるのではなく、経済活性化の起爆剤としての “観光資源” とみなし続けてきました。

 注目を集めた結果として、自然や文化を尊重する人が増え、それに触れる人が増えることは必ずしも否定するものではありません。むしろ文化活動の啓発という点では大きなメリットがあるはずです。

 しかし、その根源たる文化遺産や自然遺産が破壊されてしまっては全くもって本末転倒。そうならないための取り組みには、関係者間の真の目的の共有と、確固たる信念に基づく強いリーダーシップが不可欠です。



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