(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)
内田樹氏の著作は何冊か読んでいますが、このところ少々ご無沙汰していました。ということで久しぶりに最近の著作を手に取ってみました。
さまざまな媒体やブログに発表した内田氏の小文を取りまとめた「時事エッセイ集」という体裁なので、取り上げているテーマはそれこそ多種多様です。
その中から、私の興味を惹いたくだりを覚えとして書き留めておきます。
まずは、「気まずい共存について」というエッセイの中から、「日本の社会意識醸成の傾向」について言及している箇所です。
この傾向は、特にSNS内の投稿において典型的に見受けられるものですが、私もこの内田氏の憂慮に大いに首肯します。
そして、このコメントに続いて、「民主主義の定義」を踏まえた “公人と私人” について内田氏は自らの考えを開陳しています。
この捉え方も、今の、そして今後の社会の在り様を考えるうえでとても大切な視点だと思います。
次は、「比較敗戦論のために」という短い論考で触れられている「イタリアの第二次世界大戦観」についてです。
私も「日独伊三国同盟」のイメージが強かったせいもあり、第二次世界大戦において「イタリアは敗戦国だ」と思い込んでいました。
しっかりと事実から抑え直さないとダメですね。恥ずかしい限りです。
そして最後に、国際ジャーナリスト堤未果さんとの対談の中から、「大学でのイノベーション」に関する内田氏の指摘。
ともかく、近視眼的な損得勘定にもとづく意思決定が幅を利かせ、10年先50年先を見通して今何に手を付けておくべきかといった観点からの政策はすべて後送りにされているというのが、特にここ数年の社会状況です。
マスコミの劣化も激しい中、さて、頼るべきは結局のところ「個々人の自律的思考」ということになるはずなのですが・・・、“同調圧力” という言葉をとみによく見かけるようになったのは何の「兆し」と捉えるか。
受け身で解釈するのではなく、それを “転換の契機” にするのでしょう。