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サル化する世界 (内田 樹)

 (注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 内田樹氏の著作は何冊か読んでいますが、このところ少々ご無沙汰していました。ということで久しぶりに最近の著作を手に取ってみました。

 さまざまな媒体やブログに発表した内田氏の小文を取りまとめた「時事エッセイ集」という体裁なので、取り上げているテーマはそれこそ多種多様です。

 その中から、私の興味を惹いたくだりを覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「気まずい共存について」というエッセイの中から、「日本の社会意識醸成の傾向」について言及している箇所です。

(p93より引用) 今の日本の状況で一番僕が困っていることは、みんながシンプルでわかりやすい単一解を求めているということです。たった一つの「正解」があって、それを「選択」して、そこに全部の資源を「集中」するという「選択と集中」の発想をしたがる。だから、切り口上でまくし立ててくる。「この案に反対なんですか?反対なら、対案出しなさい。対案なければ黙っていなさい」と。そういう非常にシンプルな問題の設定の仕方をしてくる。そのことがわれわれの生き方をとても息苦しいものにしていると思うんです。

 この傾向は、特にSNS内の投稿において典型的に見受けられるものですが、私もこの内田氏の憂慮に大いに首肯します。

 そして、このコメントに続いて、「民主主義の定義」を踏まえた “公人と私人” について内田氏は自らの考えを開陳しています。

(p94より引用) オルテガ・イ・ガセットというスペインの哲学者がおりましたが、この人がデモクラシーとは何かということについて、非常に重要な定義を下しています。それは「敵と共生する、反対者とともに統治する」ということです。それがデモクラシーの本義であるとオルテガは書いています。これはデモクラシーについての定義のうちで、僕が一番納得のいく言葉です。
 どれほど多くの支持者がいようが、どれほど巨大な政治組織を基盤にしていようが、自分を支持する人間だけしか代表しない人間は「私人」です。「権力を持った私人」ではあっても、「公人」ではありません。
 「公人」というのは自分を支持する人も、自分を支持しない人も含めて自分が属する組織の全体の利害を代表する人間のことです。それを「公人」と呼ぶ。なぜか、そのことがいつのころからか日本では忘れ去られてしまった。
 ・・・自分を支持しない人間に関しては、その声を代弁しないどころか、敵視し、積極的に弾圧し、黙らせようとさえしている。こういう人のことを僕は「公人」とは呼びません。「権力を持っている私人」としか呼びようがない。

 この捉え方も、今の、そして今後の社会の在り様を考えるうえでとても大切な視点だと思います。

 次は、「比較敗戦論のために」という短い論考で触れられている「イタリアの第二次世界大戦観」についてです。

(p139より引用) 事実は事実としてまっすぐみつめる。非は非として受け容れ、歴史修正主義的な無駄な自己弁護をしない。そのとき僕は「敗戦の否認をしなかった国民」というものがあるとしたら、「こういうふう」になるのかなと思いました。
 イタリアは「ほとんど敗戦」という他ないほどの被害を蒙った。内戦と爆撃で都市は傷ついた。行政も軍もがたがたになった。戦死者は30万人に及んだ。でも、その経験を美化もしなかったし、否認もしなかった。「まったくひどい目に遭った。でも、自業自得だ」と受け止めた。だから、戦争経験について否認も抑圧もない。

 私も「日独伊三国同盟」のイメージが強かったせいもあり、第二次世界大戦において「イタリアは敗戦国だ」と思い込んでいました。
 しっかりと事実から抑え直さないとダメですね。恥ずかしい限りです。

 そして最後に、国際ジャーナリスト堤未果さんとの対談の中から、「大学でのイノベーション」に関する内田氏の指摘。

(p316より引用) イノベーションというのはいつだって「まさか、そんなところから出て来るとは思っても いなかったところ」から出て来るものです。・・・
今は社会的有用性があり、換金性が高いことがあらかじめ証明できる研究にしか予算がつかない。でも、先に何が出て来るかわかっている研究がイノベーティヴであるということは論理的にあり得ないんです。

 ともかく、近視眼的な損得勘定にもとづく意思決定が幅を利かせ、10年先50年先を見通して今何に手を付けておくべきかといった観点からの政策はすべて後送りにされているというのが、特にここ数年の社会状況です。

 マスコミの劣化も激しい中、さて、頼るべきは結局のところ「個々人の自律的思考」ということになるはずなのですが・・・、“同調圧力” という言葉をとみによく見かけるようになったのは何の「兆し」と捉えるか。
 受け身で解釈するのではなく、それを “転換の契機” にするのでしょう。



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