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恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇 (菊池 寛)

(注:本稿は、2012年に初投稿したものの再録です)

 先に読んだ池内紀氏の「文学フシギ帖」菊池寛氏の作品として「入れ札」が紹介されていたので、興味を抱き手に取ってみました。
 「恩讐の彼方に」などストーリーを知っているものもありますが、恥ずかしながら菊池寛氏の作品そのものを読むのは初めてです。

 本書に採録されているのは、「恩讐の彼方に」はもちろん、「忠直卿行状記」といった代表作に加え「三浦右衛門の最後」「藤十郎の恋」「形」「名君」「蘭学事始」「入れ札」「俊寛」「頚縊り上人」の10編。

 私にとっては、どの作品もとても面白かったですね。手垢のついたミステリーを読むぐらいなら、こちらの方が格段にワクワク感があります。(もちろん、こういった比較は菊池寛氏に対しては、大変失礼なのだと思いますが・・・)

 たとえば、「形」
 その結末は容易に想像できるとしても、主人公の心情の機微を辿りつつ、超短編の中でググッとクライマックスにもっていく筆力は、改めて見事だと感じ入ります。

 主人公の侍大将中村新兵衛。彼のトレードマークは猩々緋の服折りと唐冠纓金の兜。その武者姿で戦場に立つ彼は「槍中村」との武名を恣にしていました。あるとき、懇願され自らの猩々緋の服折りと唐冠纓金の兜を初陣に臨む主君の側腹の子に貸しました。そして、その若侍とともに敵に相対します。

(p119より引用) その日に限って、黒皮縅の冑を着て、南蛮鉄の兜をかぶっていた中村新平兵衛は、会心の微笑を含みながら、猩々緋の武者の華々しい武者ぶりをながめていた。そして自分の形だけすらこれほどの力を持っているということに、かなり大きい誇りを感じていた。
 彼は二番槍は、自分が合わそうと思ったので、駒を乗り出すと、一文字に敵陣に殺到した。
 猩々緋の武者の前には、戦わずして浮き足立った敵陣が、中村新兵衛の前には、びくともしなかった。・・・
 新兵衛は、いつもとは、勝手が違っていることに気が付いた。・・・手軽に兜や猩々緋を貸したことを、後悔するような感じが頭のなかをかすめた時であった。敵の突き出した槍が、縅の裏をかいて彼の脾腹を貫いていた。

 時に大衆小説家とも揶揄される菊池寛氏ですが、私のように文学への造詣の深くない読者の立場からいえば、適度に装飾された筆致で素直にストーリーに没入できる近づきやすい作品を生み出す名手との印象です。
 人の心の弱さを高邁な理想から徒に非難するでなく、極く当然の苦悩として捉える包容力には共感するところ大ですね。

 最後に、本書にも採録されている「俊寛」について。
 菊池寛氏の描く俊寛は人間味と生命力に溢れた陽性の人物ですが、本書を読むまで私が抱いていた「俊寛像」は、十八代目中村勘三郎さんの演じた姿でした。歌舞伎座で初めて歌舞伎を観たとき、その演目が「俊寛」。
 心からご冥福をお祈りいたします。



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