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世間とズレちゃうのはしょうがない (養老 孟司・伊集院 光)
(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)
養老孟司さんと伊集院光さんの対談本です。
いつも聞いているピーター・バラカンさんのpodcast番組で伊集院さんがゲスト出演したとき紹介していたので、気になって手に取ってみました。
昨今の新型コロナ禍に対する日本人の行動様式を語る際、“同調圧力” とか “世間” といった言葉を耳にすることが多くなりましたね。
そのわが国において隠然たる影響力を持つ “世間” との折り合いのつけ方を、まさに世間とのズレを自覚している養老さん伊集院さんのお二人が語り合った本です。
予想どおりなかなか面白いやりとりが交わされていましたが、その中から特に印象に残ったところは養老さんによる「あとがき」に書かれたくだりでした。
(p181より引用) 世間とのズレが仕事の動機にもなり、努力の源になる。私は長年そう感じてきたが、今度の対談で伊集院さんもそうだったかと、あらためて知った。なにも世間に受け入れられようとして全面的に努力するわけではない。世間とどう折り合うか、それを苦心惨憺して発見していくのである。
世間とは「社会の正統」だと養老さんは語っていますが、その世間と真っ向から戦ってもリソースの差で勝ち目はない、かといって完全に同化してしまうと “自分” というものがなくなってしまう。
養老さんや伊集院さんは、その間で世間と折り合いをつけながら生きてきているということのようです。
そして、お二人は「ズレ」ている、すなわち世間と完全には迎合していない分 “真っ当な批判精神” を持ち続けることができるというわけです。
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