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何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から (斉加 尚代)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつも聞いている大竹まことさんのpodcast番組に著者の斉加尚代さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。

 斉加さんは、毎日放送(MBS)入社後、報道記者等を経て、現在は毎日放送ドキュメンタリー担当ディレクター。
 本書で、現代の社会的問題を扱ったドキュメンタリー作品制作の実態を明らかにしつつ、著しい劣化を示しているマスコミ報道の在り方に一石を投じています。

 読み通してみて、知っておくべき現実や大切な気づきが数多くありましたが、その中からいくつか書き留めておきます。

 まずは、沖縄の基地問題に取り組んでいる琉球新報政治部長(当時)の松永勝利さんへのインタビューから。

(p45-46より引用) 結局、沖縄の新聞社っていうのは・・・取材することを先輩から学ぶんじゃないんですよ。沖縄戦でつらい思いをした人から取材を学ぶんですね。私もそうでしたし、だから沖縄の新聞社は沖縄戦のことを忘れちゃいけないと思います。

 “沖縄戦”、沖縄のジャーナリズム原点です。

 また、ヘリパッド建設工事反対を訴え続けている高江区長仲嶺久美子さんのことば。

(p91より引用) 「何が事実で何がデマなのか、わからなくなる」。そうなれば生活する者の声が届かない。まさしく、民主主義の危機を語ってくれました。

 今この瞬間にも、意図的なフェイクニュースは止めどなく流されています。

 斉加さんはMBSが放送している月1回のドキュメンタリー番組で、その制作過程そのものを材料にするという試みにもチャレンジしました。
 「バッシング」という番組ですが、予想どおり放送直後からツイッター上では「バッシング」という単語がトレンドワードに入る等、ちょっとした炎上状態になりました。

 こういったネット社会の現状について、斉加さんは、社会学者倉橋耕平さんの言も借りつつ、こうコメントしています。

(p234より引用) 民主主義社会の根っこである対話や叡智である学問を軽んじ、眼前の「勝ち負け」を左右する「物量作戦」に血道をあげる。倉橋さんは、ネット空間をこう評します。つまり、真理の追求ではなく、市場原理にシンクロする、数の「勝者」の絶対視、それが「正義」だという結果主義です。圧倒的多数を取りにいくには客観的事実や歴史に残る史実は後回しでもよく、徹底的に相手を叩いてもよい。ネット言論は、いわばリング上の勝負なのだ、そのゲームに勝たねばならない私は、この勝者こそすべてである、という社会を覆う論理におののくしかないの です。

 と同時に、自らが身を置くテレビというメディアの現状にも思いを巡らせます。

(p234より引用) しかし、テレビというメディアを振り返った時も、視聴率という物差しによって「勝者を決める」「コンテンツを決める」考えがどんどん深化し、ついにはジャーナリズム精神すら蝕も うとしている現実に唖然とします。

 「真実の報道」を蔑ろにし、「専門知の軽視」「デマの拡散」に加担しているに等しい現状が身近に展開されているという嘆きです。

 それでも、本書で紹介された斉加さんたちの行動を鑑みるに、テレビ・新聞といった “オールドメディア” の中にもまだ “一縷の望み” はかろうじて残っているように感じます。

 斉加さんが語る「ドキュメンタリー制作」への思いです。

(p267より引用) ドキュメンタリーは制作者の視点や個性で成立します。けれど、何かひとつだけの答えを用意し、そこへ導くものではありません。短歌にもよく似て、解釈は作品を受け取ってくださる側に委ねられるものです。私が思い描くドキュメンタリーは、どんな時代にあっても決して一 色には染まらず、視聴者を信頼し、問いへの答えを託すものです。

 良質の「ドキュメンタリー」や「ノンフィクション」は、しっかりと “大脳で考える” 大切さを思い起こさせてくれるんですね。
 社会のそこここに “反知性主義” が幅を利かせ始めている昨今、とても貴重な “良識の砦” です。




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