のりのりの

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最近の記事

2021年公開映画 DJ Last Christmas的ベスト10

18 竹林亮『14歳の栞』 できることならもう一度2年6組のみんなに会いたい。 17 大森歩『春』 映画におけるグラフィックの力について。 16 平尾隆之『映画大好きポンポさん』 呪いの映画。 15 松本壮史『サマーフィルムにのって』 ハダシ達の世界/時代劇/JKホイホイが混ざり合いメタに語りかけてくるラスト20分で泣いた。 14 藤井道人『ヤクザと家族 The Family』 令和に骨太なヤクザ映画、爆誕。 13 堀貴秀『JUNK HEAD』 キモカワクリーチャー

    • 民藝展と国立近代美術館がよかった話

      「日本民藝美術館設立趣意書(1926)」では民藝は“Fork Art”と翻訳されていた。現在は“Fork Crafts”と翻訳される。 柳宗悦没後60年だそう。東京国立近代美術館で開催中の「民藝の100年」展にいってきました。 (やなぎそうえつではなく、やなぎむねよしだそうです。ずっとやなぎそうえつだと思っていました。ごめんなさい。長男・柳宗理のことしか知らなくてごめんなさい。) 日本の○展に満身創痍で模型を差し出して以来約4年ぶりの近美。 展示は柳宗悦が中心となって蒐集し

      • 江戸前サバからみえた環境問題

        鯵が食べたくてアジングに初挑戦してみました。 アジングとは、ルアーでのアジ釣り。ほぼ全国で季節問わず岸壁や陸っぱりからライトタックルで楽しめる近年大人気のルアーゲームです。 釣りにハマっていた中学生の時はアジなんてルアーフィッシングのターゲットではなかったけれど、ここ数年で1g前後の軽量ジグヘッド+ワームがメインのライトショアゲームが大流行のようで、私も流行に乗っかってみました。 アジング用に買い揃えたジグヘッドとワーム。 場所は手軽に行ける豊洲ぐるり公園。夕マズメ+

        • 初ソロキャンプ&釣りを終えて分かったこと

          6年半ぶりのnote更新です。マイナーだった(?)noteが6年経ってメジャー化してた。 *** 2020年9月中旬、某河原にていわゆるソロキャンプ&渓流釣りをしてきました(移動手段は徒歩・電車)。キャンプ熱は以前から根強くありましたが抑えきれないものに変わり、キャンプ一週間前からキャンプギアを勢いのまま買い漁り当日を迎えました。連日寝る間を惜しんでのギアのリサーチ・購入はすごく楽しかった。 当日持っていった物の記録。キャンプギア:釣り道具=9:1といったかんじ。左下の

        2021年公開映画 DJ Last Christmas的ベスト10

          Ⅳ 直接演劇

          真に創造的な俳優は、初日には、これとは違った、そしてこれよりずっとひどい恐怖にとりつかれる。稽古の間中、彼は自分が演ずる人物の様々な面を探求してきたが、それらはどれも部分的で完全な真実とは言えないように感じられた。そこで彼は、誠実に探求を続ける者らしく、すべてを捨てて一からやり直すという手続きをあきることなく繰返すほかない。創造的な俳優とは、最後の稽古になっても、自分の役に対する硬直化した捉え方をいさぎよく捨てるような人間のことである。なぜなら、ここまで来ると、初日が近づいて

          Ⅳ 直接演劇

          Ⅲ 野生演劇

          たとえば、強姦された娘が涙を流しながら登場するとしよう。この場合、彼女の演技が十分に感動的なものであれば、わたしたちは、彼女が犠牲者であり不運な人間であるという暗に語られている結論を、自動的に受け入れてしまう。しかし、かりに道化が彼女の後からついて出て来て、彼女のしぐさを真似、その才能によってうまくわたしたちを笑わせようとする。道化による愚奔はわたしたちの最初の反応を打ち砕くのだ。そうなれば、観客の共感はどこへむかうだろうか。彼女の性格の真実も、彼女の状況の本当らしさも、道化

          Ⅲ 野生演劇

          Ⅱ 神聖演劇

          <観客>という観念を本当に理解するのはまことにむずかしい。観客とはそこに存在しながら存在しないもの、無視されながら不可欠なものだ。俳優の仕事は決して観客のためのものではなく、しかしつねに観客のためのものだ。見物人とは、忘れらるべき、そしてたえず意識さるべき相棒なのだ。身ぶりとは陳述であり、表現であり。伝達であり、孤独な私的告白である。――それはアルトーの言葉を借りれば、つねに、燃えさかる炎による信号である――だが、そのことはとりもなおさず、それが相手に到達したとたんに経験が分

          Ⅱ 神聖演劇

          Ⅰ 退廃演劇

          芝居を作るということはたしかに気が遠くなるくらいむずかしいことだ。演劇という表現形式はあらゆる形式の中でいちばんやっかいなものなのだ――少なくとも本気でやるつもりならば。それは非常な芸術だ。失敗や浪費は許されない。小説なら、何ページか、あるいは何章か、とばして読んでしまうような読者にかかっても、結構もちこたえる。芝居の観客は一瞬のうちに興味から退屈へと急転しまいがちで、こういう観客の気持は一度取り逃がしたら二度と取り戻せるものではない。二時間というのは短くもあり永遠の長さでも

          Ⅰ 退廃演劇

          『アナと雪の女王』

          今日は、『アナと雪の女王』を観ました。 映画を観ながら、在籍していた大学で開かれた、ある建築家のスタジオ課題のことを思い出していました。それは、2010年から2011年にかけての冬、学部三年生を対象に開かれました。 そのスタジオの課題は、 「天気を施主にした建築をつくれ」 という一風変わったものでした。私はその建築家の作る建築、そしてテキストが大好きで、修士課程の身分であるにもかかわらずその建築家に直談判し、学部生にまじってこの課題を履修させて頂く機会を得ました。

          『アナと雪の女王』

          ニコモ

          さっき帰宅してごはん食べながら録画したRの法則を適当に観ていたらファンキー加藤さんのMVにニコモの黒崎レイナさんが出ていてちょっとびっくりしました。ぼくは黒崎さんの憂いのある感じが結構好きなんですが、この子、「ニコラ」の誌面にあまり出てこないんです。でも、ニコモで誌面登場頻度が少なかった(少ない)能年玲奈さん、山本舞香さん、黒崎さんなどには共通して影というか、憂いのある大物特有のオーラのようなものを感じています(山本さんしか生でみたことがないのであくまでぼくのメディアを通