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民藝展と国立近代美術館がよかった話

竹橋といえば 林昌二「パレスサイドビルディング」(1966)
「パレスサイドビルディング」名物の樋群
“作をして美しきものたらしむべし 用途より遠きものを作るは罪なり”
柳宗悦『工人銘』器物七則より

「日本民藝美術館設立趣意書(1926)」では民藝は“Fork Art”と翻訳されていた。現在は“Fork Crafts”と翻訳される。
柳宗悦没後60年だそう。東京国立近代美術館で開催中の「民藝の100年」展にいってきました。
(やなぎそうえつではなく、やなぎむねよしだそうです。ずっとやなぎそうえつだと思っていました。ごめんなさい。長男・柳宗理のことしか知らなくてごめんなさい。)
日本の○展に満身創痍で模型を差し出して以来約4年ぶりの近美。

修士の時に「建○はどこにあるの? 7つのインスタレーション」展で2週間近美に通って
「とうもろこし畑」をみんなでつくったり、何かと縁があり思い出深い美術館のひとつです。

展示は柳宗悦が中心となって蒐集した民藝品コレクションの時系列での展示を中心に、

・日本と世界(中国/朝鮮/欧州/北欧)のトラベローグ
・出版/エディトリアル/グラフィック手法論(フォント/トリミング/挿絵の取扱/色彩)
・表具
・メディア展開
・衣服
・戦時下の活発な活動
・柳宗悦の没後の展開
・インダストリアルとの融合
・衣食住への侵食

など盛りだくさんが過ぎる章立て。写真撮影は(割とどうでも良い一箇所を除き)全面禁止。先週行った庵野展同様舐めてましたが、見終えるのに4時間を費やしました。<展示品-照明-鑑賞者>の関係がうまくいってない部分も多々あったが、それを凌駕するコンテンツ。デザイン・アート畑に限らずモノ好きなら主婦でも小学生でも楽しめる展示。超おすすめ。

雑誌「工藝」創刊号から柳が始めた連載「美の標準」では、二つの挿絵を対比的に示しその優劣を論じていて興味深かった。テーマは「画家の絵と陶工の絵」「茶趣味の茶碗と普通の茶碗」「造作と無造作」など。丁度来年2022年1月10日-3月20日まで、「美の標準-柳宗悦の眼による創作」展(日本民藝館)をやるらしいので、いきます。


<建築・家具>
今和次郎、堀口捨己、タウト、谷口吉郎など建築人と柳との関係性やエピソードもふんだんに紹介、新たに知る情報も多くあった。なかでも「民藝建築」という言葉は初めて目にした。展示キャプションによると「民藝建築」は「1950年代に新しい建築様式として異彩を放っていた」ようです。数点の「民藝建築」の展示を見る限り、要は伝統民家の近代的パラフレーズ復刻版。なのでどうしてもキッチュになる。和風ファミレスなどで現在も続く手法だ。その他小ネタでは、1928年に上野公園で開催された「大礼記念国産振興東京博覧会」(知らなかった)での奇天烈アールデコ建築群を初めて認識して結構な衝撃を受けた。その多くは岡田信一郎の設計らしい(岡田新一ではない)。

家具、とりわけ椅子についても示唆に富む。シェーカー家具とウィンザーチェアを手本として日本的に進化した畳摺りのある鳥居型の木製椅子や、明代から続く中国の木製椅子の系譜は、のちにハンスウェグナー「チャイニーズチェア」の原典となる椅子史の中の重要史料。また1940年頃の台湾の竹製椅子は、ARTEKや天童木工が木を曲げて家具を製作する前から既に真っ直ぐの竹を曲げて作っていてちょっと信じられなかった。

<東北・アイヌ・沖縄>
東北・北海道(アイヌ)・沖縄と、日本の端っこにまつわる展示も多かった。土着の風俗・信仰が根付く土地の良さを再認識。1927年「諸国おもちゃ番付」では「陸奥 八ノ戸 八幡駒(現在は八幡馬)」が関脇として掲載されていた。(柳が1927年にコレクションに加えた南部藩の絵馬も。)

うちにあるちっこい八幡馬コレクション

その他、小学校の「せいかつ」の時間にとりくんだ「津軽こぎん刺し」の衣装や、津軽の「蓑(伊達げら)」も迫力満点(“Straw raincoat”と英字キャプションがあったが、どう考えても“Straw snowcoat”だろう)。1941年の「アイヌ工藝文化展」以降、柳が注力したアイヌのコレクションの中には、内地から渡ってきた古着に刺繍を施した木綿の「切伏衣装」があり、内地との交流史を物語る展示となっていた。

<好きな展示自分用メモ>

・(3_29)農閑期の副業として民藝教育を進めた「農民美術運動」の生活はあこがれる。じじいになったら山奥に篭って畑や陶芸その他に手をだしつつアマゾンでインダストリアルな素材仕入れて好きなように加工して売って暮らす生活してみたい。

・(4_1)芹沢銈介(1年目担当)による布表装『工藝』誌、ちょうかわいい。

・(4_25鍋「作務衣」(濱田庄司着用)かわいすぎ。

・(4_72)「革羽織の挿図」のトリミングがグラフィックとして良い

・(4_103)「伸縮式中折傘木製電気スタンド」小津安二郎映画によく登場する木製電気スタンド。昭和の中流階級家庭の象徴。

・(5_4)「鉛釉青飴流土鍋」オレンジの小さな土鍋。かわいすぎ。欲しい。

・(6_13/6_14)朝鮮民画「文字絵」。朝鮮には文盲の民衆に絵解きで文字を教える文化があった。かわいい。

・(6_16-18)「実は、当館(国立近代美術館)は1958年に柳宗悦から痛烈な批判を受けている。(中略)「国立」「近代」「美術」を反転させた「在野」「非近代」「工藝」こそが民藝館の立場」から始まるテキストには笑った。批判のきっかけは1954年「現代の眼-日本美術史から」展。展示デザインは国立近代美術館も手がけた建築家の谷口吉郎。

・(6-63)芹沢銈介によるアンリ・マティスの切り絵のような装丁本や品書き(メニューカバー)がひたすらかわいい。

とにかくよかった民藝展。ものづくりに対するモチベーションが沸々湧いてくる展示でした。
(あと、一年前(?)に近美工芸館が金沢に移転したらしく、びっくりした。)

***

民藝展を4時間堪能したあと、「ヴァレリオ・オルジャティ」展以来、約10年ぶりに常設展を覗いてみようかという気持ちになりました。民藝展の終着点である2階からエレベータで4階に登り、エレベーターホールに出ると、以前の重苦しい「くうき」が変質しているとすぐに気づき驚いた。2012年に西澤徹夫さんによる常設ギャラリーのリニューアルが行われたためだ(西澤さんは青木淳事務所で「青森県立美術館」を担当。西澤さんら設計の「八戸市美術館」も開館したばかり)。


青木さんは「新建築」月評でリニューアル前の近美の常設展スペースを「無理な一筆書きの動線になっていて、空間と展示が合っていない」と評している。谷口吉郎の空間とはいえ、確かにリニューアル前の常設展スペースは美術と展示を巡る現代的な空間の要求に近代の手法が取り残されてしまっている印象だった。このリニューアルは、壁を全てやりかえるなどの大掛かりな工事は入っていない。ここでの西澤によるハンドリングについては、青木淳によるテキストを引用したい。

行われたことの一つ一つを挙げれば、小さいことばかりだ。大金をかけた全面的な改修ではない。床の反射を抑える。サインやキャプションを統一する。エレベータからすぐの場所に手を入れ、来訪者を、その存在さえ知らなかった展望室に、自然な形で誘導する。展望室のサッシの窓台にアルミ板をつけ加え、「眺めの良い部屋」にする。ワイヤーチェアの塗装を剥がし、クロームメッキを施す。その座をグレーの生地に張り替える。そのグレーに合わせ、オレンジ色のカーペットを使う。全体的には、一続きの部屋という方針から、小部屋の集合という方針に切り替える。柱を独立柱として露出することを許し、それぞれの小部屋のスケール、プロポーション、そのシークエンスを整える。本人の解説から言葉を拾えば、際限ない「チューニング」を行き渡らせる。(中略)チューニングというのは、コンセプト批判でもある。
青木淳『フラジャイル・コンセプト』pp161-164(初出:「新建築」2015年4月号月評)

一つ一つの小さな操作を霧の中を進むように措定し、頭の中でイメージして、設計を進める。「いかにきれいにコンセプトに近づき、コンセプトを見せるか」という(メディアを意識した)前時代的な(?)、目的地に近づく「コンセプト」による設計を敢えて無視して「チューニング」する。結果たどり着いた目的地は素晴らしい空間でした。


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