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部屋とトイレットペーパーと私、のカウントダウン

今朝、トイレに入った時に、トイレットペーパーがあと3ロールなのを見て、もう買わなくてもいいかも知れないなと思った。
入浴剤も在庫があと少しで、買い足さなくてもいいような、足りないような微妙なラインでどうしようか悩んでいる。
出勤の時に定期券を改札でピタッとしたら、月末で定期が切れることを教えてくれたが、来月は出勤する日がもうあまりないから、定期を買ったら損になるから、もうこの区間の定期を買わなくていいのだと気づいた。

なんとなく、そういうのが最近目について、ふと気付く。
長旅に出る日が確実に近づいていることを。



1年ほど家を空けることを意識し始めて、冷凍庫やレトルトや乾物の在庫の消費を始めている。
アルコールストーブをなんとなく使いたくなって、わざわざ部屋の床に置いてメスティンで米を炊いたら、失敗したし、フロアを焦がしてしまった。
こういう地味な失敗がまだ何となく不吉に感じてしまっている。
これって旅に出るなってサインじゃないか。
そんな訳はないし、何でそうなるか理論的に説明しろと言われると到底説明できない関連性の無さなのだけど、それでも。

妹にこの一連の話をしたら、「トイレットペーパーは腐らんから買ったらええやん、終活やないんやから。帰ってきた時にトイレットペーパーが豊富な方がええやろ」と言われた。
なるほど。
それもそうである。
無職で金なしの長旅帰りでローンがまだ残っている家には、トイレットペーパーの在庫は豊富な方が良い。
やはり入浴剤も買い足してしまおうかなと思った。

最近の日々は常にカウントダウンをしている。
仕事納めまでの日はあと何日か。
あと何回早起きをしないといけないか。
あと何回満員電車に揺られるのか。
あと何回この人に会えるか。
あと何回ローソンのからあげくんを食べれるか。
あと何回で鎌倉殿の13人が最終回を迎えるのか。
M-1の決勝戦まであと何日なのか。
そして、あと何回寝たら私は日本を脱出できるのか。

そういう思考で生きている。

仕事においては終わりが見えると頑張れるし、残された時間をこれまで以上に意識して大切にする。(ずっとそうやって時間を大切に生きられたらいいのだけど、そうもいかないし、日曜日も結局、部屋の片付けもできないであっという間に終わっていったけれど。)

終わりばかりを意識して、旅の始まりが近づいていることを見失いつつある。
そしてまだ旅に出てもいないのに、いつか来る旅の終わりを想像して、無職の始まり、職探しの始まりを考えて不安になる。
ネガティヴ思考なので、どうしても終わりに意識を向けやすい。
本当は一番ワクワクする旅の始まりにこそ目を向けて集中したいが、現実はそうもいかないし。
まあ、そうは言いながら、旅が始まってしまえば誰よりもその時間を堪能できるのだけど。

私は旅が好きで移動も好きなのに、そして飽き性なくせに、人生においての大きな変化を嫌う。そういう意味でも結婚とか、考えられない。
スパイス的に冒険はするけれど、生活レベルでは、大阪でずっと今と変わらずに生きていたいのである。

私の人生が、環境が、大きく変わろうとしている。
15年勤めた仕事を辞める。
働かなくてよくなる。あくまでもしばらくは、だけど。
お金が尽きて帰ってきたら、新しい仕事を探すことになる。
このことが私の中では結構大きな人生と環境の変化である。
そのせいか、旅に出るということ自体は普段の私がしてきたことなので、むしろ安心材料だったりする。
ただいつもの旅よりも連続性があり期間が長いだけで、日々としては変化の連続だけど、何も変わらないような。
だから、矛盾しているようで納得もしている。

所詮無職が一定期間、旅暮らしをする、移動を続けるだけ。
寝て起きて食べて歩いて喋って寝て移動してを繰り返す。
あくまで私のままで、私の生活のままで。
そう考えると、海外を旅することよりも、無職になるということの方が、自分の中では圧倒的に事件なんだなぁと今の私は思う。
その事件は別に悪いことではないから、全然ウェルカムなのだけど、今は少しだけ不安と未練がある。

こんなありがたい職場を辞めてまで、みんなに迷惑をかけてみんなと別れてまで私は旅に出るのだから、何としても旅の時間を価値あるものにしたい。
って一瞬思いそうになって、慌てて打ち消した。
私の旅にとってそんなことはどうでもいいのだった。
価値があるとかないとか、何かのためとか、どうでもいいのにどうした私、と慌てた。私がこんな考えに至りかけるなんて、よほど忙しくてマヒしているらしい。
そんなことを関連付けなくても、私の時間は私のものであるというそれだけで、既に価値ありまくりなので、要らん義理を乗せる必要はないのである。
失うから輝いて見えるもの。
失ってこそ手に入れられるもの。
それはある。
だけど、失ったもののために生きる必要などないのだよなと改めて思う。
これからはこれから。

最近のことを綴ると、自然とモヤモヤになっていくのは仕方ない。
そういうモードなのである。
トイレットペーパーから始まり人生を語って終わるnote。
単語を3つくっつけて並べると、テンポが良いし語呂も良くなる気がする。
それと引き換えに、どうしても平松愛理感が出てしまい、あの恐ろしい歌に似てしまうけれど、どうしても寄せたくなって無理矢理に「部屋」という単語をつけた自分自身のチョイスにも納得がいっていない。カウントダウンと付けたのも蛇足だし。
と、自分でつけたタイトルに対してもモヤモヤしている。
このモヤモヤが永遠に続いてトイレットペーパーも無くなりそうなので、今日は無理矢理この辺で終わろう。
週末は、コロナ明けの免疫無敵ボーナスタイムの人と会うから楽しみである。
それまでカウントダウンして生きる、働く。

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