見出し画像

瞑想の寺。迷走の旅。【タイランド#12】


ウドンターニーから何とか行けた赤い蓮の池、タレーブアデーン。


次は、雑誌で見て、行きたいと思った場所へ何とか行ってみたい。
その雑誌は「TRANSIT」のタイの特集号で、表紙が心に惹かれた。


中を見てみると、表紙は、私の好きな写真家の1人である佐藤健寿氏が撮ったものだと分かった。
クレイジージャーニーの佐藤健寿回は全て録画しておいてあるほどのお気に入りの人。
奇界遺産という発想が好きだし、服がいつもシンプルでおしゃれだし、何せルックスがタイプなのであった。余談。
佐藤健寿が撮ったこの表紙の寺にどうしても行きたい、という思いに駆られてしまった。
寺の名は、「ワット・プラタート・パー・ソーンケオ」。
パーがなかったり、ソーンケーオだったりする、ややこしくて長い名前。
こちらも、アクセス方法としては、「ピサヌロークから車で1時間ほど」という書き方で、レンタカーやタクシーチャーターがおすすめのようだった。ネットで調べてもあまり情報がない。
タレーブアデーンの時と同様に、また私の探究心がくすぐられて燃えてしまった。
なんとかして公共交通機関と足で行きたいと。
こちらも観光地なのだからバスは通っているはずだと信じた。

問題は、ウドンターニーからどうやって近づくかである。
地図を見るとやはり雑誌やネットの情報通り「ピサヌローク」が近そうだが、「ペチャブーン」という町から北上すれば一番近そうである。
ウドンターニーからペチャブーンかピサヌロークへとりあえず行ってみてそれから考えるか。
などと思って、ウドンターニーのバス停へまた聞き込み調査をしに行った。

ウドンターニーから寺へ

バス停での聞き込みによると、ピサヌローク行きは18:45発のAM2:00着か、21:00発のAM4:00着しかバスはないという。そんな時間に着いても困る。
ペチャブーン行きはというと、そんなバスはないと言われる。
寺の写真と地図を見せて、ここへどうしても行きたいのだと伝えると、「コンケーン」と「カオコー」というワードをもらった。
とりあえずコンケーンまで行って、ピサヌローク行きのバスに乗ってカオコーで降りれば寺の近くまで行けるという。
よし。
タレーブアデーンの時と同様、セントラルウドンから7:20発のミニバンでコンケーンまで行き、そこからまた聞いて回ることにした。
2時間半後にコンケーンに着いてからは、バス停で何人かの人に「カオコー、テンプル」と言えば話は通じた。コンケーンからピサヌローク行きの10:15発のバスに乗り「カオコー」の「ケームソン」というところで降ろしてもらえることとなった。
日帰りは無理そうなので、バスの車内でスマホでポチポチとカオコー付近に宿をとり、14:30頃、運転手が「テンプル!」と教えにきてくれて、無事バスを降りた。
遠くに寺らしきものが見える。

しまった。
帰り方や帰りのバスの時間を聞いていなかったが、まあいいや。辿り着けたのだから何とかなるだろう。
それからホテルに荷物を置いて、歩いて1時間くらいの山の上にある寺へと向かうことにした。
カオコーは「タイのスイス」と呼ばれるくらいの避暑地らしいが、それなりに暑い。
さて歩くぞ、と気合いを入れた矢先に、私のすぐ横にバイクが止まった。
お兄さんが「乗っていきな」と言う。
もちろんタダで。
すぐに甘えて、バイクでぐんぐん山を登り簡単に寺に辿り着いてしまった。

帰りは帰りで、寺を背に山を降りようとしたら、「乗っていきな」と家族連れの車が止まって、荷台に乗り込んで、何とホテルの前まで乗せていただいた。タイのスイス、カオコーは優しい人だらけであった。
(noteの最後に行き方をまとめて載せました。行きたい人はご参考に。)

そんなこんなで辿り着いた寺。
ワット・プラタート・パー・ソーンケオ。
新しくできた寺で、瞑想のために作られたものだが、何らかのハイな状態でデザインされたのではないかと思えて仕方ない、ぶっ飛んだ寺であった。

では、写真を。

Wat Prathat Phasornkaew

バスを降りたら向こうの方に。
見える、寺!
バイクのお兄さんは裏側に到着してくれた。

何かと不思議な世界観。

あまり見ない絵のタッチ
寝仏もファンシー
かわいい鹿がいる。

5体が連なった大仏も圧巻なのだが、私が行ってみて心を惹かれたのは、モザイクアート。
最初はガウディのグエル公園を意識していないとは言わせないぞ、と思いながらナナメに観察していた。
だが、これがなかなか面白いデザインだった。

スペインのグエル公園と違ってところどころに仏。

タイの高級陶器のベンジャロン焼きの食器を割ってそのまま活かしていく斬新なデザイン。そのため、普通のモザイクアートよりもさらに立体的になっている。突起物があちこちにあり、よく見るとお皿のカーブだったり、茶碗の底だったり。かなり贅沢な使い方をしていると思う。
タイの寺は時々ふざけているかのような行きすぎた派手さがあり、それだけタイの仏様が寛容なのかもしれないが、私は時々辟易してしまう。寺としての荘厳さや神聖さに欠ける気がする。ディズニーシーの一部にあってもおかしくないような、作り物的な楽しさはあるが。
しかし、行きすぎると何事もアートになる。アートは自由な発想から生まれる。
この独特な世界がなかなかクセになる魅力があった。
スペイン、バルセロナのグエル公園によく似ているのだが、ちょっと趣が違う。
同じモザイクでも、割った食器をそのまま活かしているのである。この立体感と独創的な発想に夢中になってしまった。
かなりの量のベンジャロン焼きを思い切って大胆に使っているから、相当お金がかかっているはずだ。トイレもタイで1番くらいに美しく清潔だった。(なのに入場無料)


タレーブアデーンも、このワットプラタートソーンケオも、私は自分の力で調べて、ルートにも仮説を立ててみて、情報を集めて、行けるかもしれないなこの行き方…と見つけ出した方法で辿り着いた。
そのため、もう辿り着く頃にはほぼ気持ちの上では達成していたりするが、2カ所ともが旅の力を問われるようなちょうどいい難易度で、お金を出せば簡単にクリアできるけど、お金をどこまで抑えて公共交通機関と徒歩で辿り着けるかを考えるゲームのように楽しめた。

また、この寺は、写真で見た通りの情景を行って見て確認するようなところから始まったのだが、それだけでは終わらない幅広さがあった。
観光って、どうしても、情報が溢れている社会においては、真っさらの見たことない状況で目的地に辿り着くことはほぼない。
だから、本や雑誌、ネットやテレビで見たものを自分の目で見る確認作業にすぎない、なんてこともある。
現地に来て確認して、同じ位置から同じ写真を撮って、行った記念、証を作っていく、なぞるような巡り方になっている旅人が最近は多いと思う。私もそういう時がもちろんある。
私だって、写真家の佐藤健寿が好きだから、健寿が立った場所はどこだろうと探したりもした。みんなと同じ立ち位置から同じ写真を増産していく確認作業を観光と呼ぶのかも知れないと思うことがある。
ただ、今回は、目玉となる5体の仏以外で夢中になる収穫物があった。
人と同じ観光ルートを辿りながら似たような写真を撮るのもいいけれど、それ以外の何かを見つけられた時、来て良かったなと尚更思う。私の中の観光の醍醐味は、そこへ向かう移動と、予想外の出来事や発見にある。

タレーブアデーンとこの寺に来られたこと、楽しめたことで、私の中の「タイ旅行」は終了でいいかな、という気持ちになった。
何かを終わらせるのは時に難しいけれど、今回はこの2か所がいい締めくくりになった気がする。
寺の帰りは、ピサヌローク行きのバスを待っていても来なくて、結局また小学校の送迎車を先生が運転してくれて、送迎車で1時間半の距離のピサヌロークまでタダで送ってもらえることとなった。バンコクまでのバス乗り場まで連れて行ってもらえたから、これはもうここで終了でいいなと思えた。
最後もいい旅だったなと、改めて思った。





【ワットプラタートパーソーンケオに、バスで行きたい人のための行き方】

ピサヌロークとコンケーン間、または、
ピサヌロークとペチャブーン間にある「Khao kho」「Khaem son」でバスを降りれば行けます。
コツは「Khao kho」「Khaem son」と書いたメモと寺の写真を見せながら聞くこと。
ああ、あのテンプルね、と知ってる人は細かく教えてくれます。
また、運転手にも寺の写真を見せてここで降りると伝えること。
降りるタイミングで教えてくれます。

Khao khoのバス停は、行きは歩道橋のすぐ下の黄色い三角屋根が目印。
そこから寺までは歩いて30分くらい。

黄色い国道をバスが走る。
右がペチャブーン、コンケーン
左がピサヌローク方面。

帰りは、ホテル「Ingkho Khao Kho」の前の歩道橋を超えた国道沿いのバス停に9:00にピサヌローク行きのバスが来ると言われたけど来なかった。でも何人もの人がそう言っていたから、そこで待っていればバスはいつか来ると思う。

茶色い屋根のところがバス停

Googleマップで位置関係や車での所要時間を参考にしてみてください。

ホテル「Ingkho」は一泊1000円くらいで個室でクーラー、テレビもあってきれいでした。テラスからの山の眺めも良かったです。
お湯と水あり。バス停と寺から近くて1000円台の宿はここくらいしか見当たらなかったので、寺を見て寝るだけならここで十分。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この街がすき

サポートしていただければ、世界多分一周の旅でいつもよりもちょっといいものを食べるのに使わせていただきます。そしてその日のことをここで綴って、世界のどこかからみなさんに向けて、少しの笑いを提供する予定です。