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行けなかった石岡瑛子展と、パリで見たデヴィッド・ボウイ展のこと

そうなるだろうと薄々分かってはいたけど、私が今週末に乗る予定だった伊丹-羽田便が欠航になったとANAからメールが来た。
貯めたマイルで特典航空券を押さえていたから、そのうちキャンセルしようかなと迷いながら、ずるずるとそのままにしていたからちょうど良かった。と言いつつも、ちょうど良かったと思うのも切ない。
石岡瑛子展に行くためには14日までに大阪から東京に行かなければならず、緊急事態宣言が昨日であけていれば堂々と今週末に行けたはずだったが、緊急事態宣言が大阪と東京が(それと岐阜も)延長になったニュースを見て絶望的だなあと思ってはいた。
日帰りでこっそり展覧会だけ行ってしまえばいいか、とも思ったが、なんともモヤモヤがつきまとう。
そんな中、ANAが「飛行機を飛ばしません」と言ったから、あきらめがついた。
新幹線で行けばいいんだけど、飛行機が飛ばないという事態で心が折れた。今はそういう事態なのである。
そしてそのキャンセルの波にいやいやながら乗って、まだ雪の残るうちに飛騨に舞い戻る旅の方も、いったんすべてをキャンセルした。
飛騨はいつまでもそこにあるからいいけど、石岡瑛子展はもう今週末で終わってしまい、大阪でもやる予定はない。
ああ。残念過ぎる。
行けるうちに行かないと何事もタイミングを逃したらダメだなあと思いつつ、そんなタイミングなんて今回はどこにもなかったから、とても悔しい。
最終日に滑り込めたはずなのになあ。
悔しいから週末に、着ていくはずだった赤いスカートを履いて、家で映画「落下の王国」や「セル」をまた見てとほさん(惑星ソムニウムさん)のnoteやブログを読んで、注文した図録が届くのを待とうと思う。

そういえば、6年前の春にフランスのパリにいた時に、フランスでたまたまやっていた「David Bowie is」の展覧会を見に行った。それは確か最終日で、私がこの世で、いや人間の中で(宇宙人も含む、宇宙人かも知れないから)、最も色気のある男だと思っているボウイに巡り会えた奇跡(大袈裟)に感謝しながら、パリの郊外にある会場へ走って向かった。
ボウイのTシャツを着て、パリジェンヌに混ざって、フランス語で書かれた意味不明の会場で、麗しく妖しいボウイの世界に浸った。千秋楽ってことで、ボウイが来たりしないかなぁなんて密かにドキドキしながら。来るわけなかったけど。
それでも、あの時間は最高だった。
Starmanの部屋なんて何時間でもいれた。
パリで見る山本寛斎の衣装に鳥肌が立った。
あの時は、日本にも展覧会がやってくる予定はなかったので、このチャンスをよくぞ手にしたと思って自分の幸運を讃えた。ボウイを愛してきたご褒美だと思った。 

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結構可愛い字を書くボウイ。

その半年後に、突然デヴィッド・ボウイが最後のアルバムを残して星になってこの世から消えてしまい、私は悲しみに暮れた。それから数年後に、思いがけず日本にも「DAVID BOWIE IS」展がやってきた。
東京まで行って再び見ることができたが、やはりパリで見た時とは色々と違った。
日本語で解説が書かれていて、展示物をより深く理解することはできたが、そこまで心が躍らなかった。
異国で見たというのも良かったが、パリで見たのは『同じ時代の今も生きている憧れのロックスター』の展覧会だったが、日本の展覧会は、『かつて生きていた伝説のロックスター』の展覧会になってしまった。
どちらも輝きは変わらないけど、私の中ではとても違うものになってしまって、もう永遠に取り戻せない時間となってしまったことがとても悲しかった。
パリの展覧会で買った、1番好きな横顔のボウイのポスターをドキドキしながら、しわにならないように丸めて飛行機で日本まで持って帰った苦労は忘れられない。東京の会場でも同じデザインのポスターが売っていたが、それもまた全く違うもの。私にしか違いが分からないかも知れないけど。
転がってきたタイミングや、思いがけない偶然、特別な意味を持つ時間など。
逃しちゃいけないものってあるなぁと何となくそう思った。石岡瑛子展、コロナ禍で美しい世界に浸りたかったけど、仕方ない。
それはもう、逃してしまったものなのだと思うことにしよう。

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