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岡村と矢部と私のもやもや

岡村の言葉を批判している人たち。
全員に差別意識、偏見はある。
私は自覚もしくは無自覚で誰かを差別している人間にしか出会ったことがない。
もしもアイドルがお金に困ってヌード写真集を出すことになったらめちゃくちゃ歓迎され売れるのではないか。
他人の貧困をあからさまに楽しみに思う人間は人としてとても下劣でとても残念な人間だが、それ以上でもそれ以下でもない。
そんなんだからモテない、女を下に見ている、50になろう男が結婚できないのはやっぱり人間性に問題があるからだ、といった、とても低俗な差別的な発言を用いた批判しかできない人たちの情けなさ。同等どころか攻撃的に使用する悪意を持っている分、岡村以下であることを無自覚な人たち。
真っ当な理論で批判するフェミニストの少なさ。冷静に至極真っ当な論理を説くフェミニストが現れないものか。(嫌フェミではなく私はフェミニストです。)
ルックスの良くない男が不幸になるのをそれこそざまあみろと思う女性たち。
好きでやっている芸人だからいくら傷つけても構わないという価値観のもと堂々とルックスをキモい、付き合いたくもないと言われる人生と、
風俗嬢として体を消費される仕事をしている人生と。
強いコンプレックスが人を狂わせたり悩ませたりするのはもう人類の当然の摂理。
コンプレックスの強い人間は結局とことん孤独で誰にも理解されないと思っているのに、コンプレックスが原因でもっともっと捻れていく。
擁護しそうになったが、ここで私が岡村擁護派か批判派かについては言及するつもりはない。もやもやすることを今日は深く考えずノートにただ書き殴りたいだけです、あしからず。

一番感じるのは、今の時代の社会規範やポリコレのギリギリのところに気付けないアンテナの弱さとアップデートのされなさ。
老害と呼ばれる人間は常にこの問題を抱えている。
それをカバーする教養と想像力の欠如。全てを凌駕する圧倒的な人としての魅力の少なさ。
時代にあったポリコレを過度に忠実にあろうとせずに、適切にアップデートしたり迂回したり視聴者の目をそこから背けさせるようなバランス感覚が、今のお笑いに求められているんだろうなと思うと、松本人志、岡村はもう致命的だと思う、残念ながら。
例えば有吉なんかはその点絶妙に器用だ。
誤解なきように補足すると、私は小学生の頃から「4時ですよーだ」でダウンタウンのファンになって以来、松本信者であり彼を超える芸人は出てこないと今も信じている。それは確かだけど、今の時代にアップデートするには、笑いしかしてこなかった彼の最大の弱点として教養が足りない。
どこがおもろいねん、映画監督やから教養あるで等の反論がある人は独り言を言っててください、ここはあくまで私の意見。松本人志の話題は政治と同じくらいムキになる人が多いので一応。

矢部の公開説教のオールナイトニッポン回は全部聞いたが、
内容の大半は全く持って的はずれであり、
友達の言葉として、また相方を救う助け舟としての役割としては正解でもある。

何であれまず矢部の言っていることを、岡村が理解できる精神状態ではないだろうし、子供への説教と一緒で、今の岡村には分からないと思うが。

人間には3つのタイプがあると私は思っていて
経験して初めて学ぶ人(学習能力がある)、
経験しなくても学べる人(想像力がある)、
経験してもしなくても学べない人(どちらもない)。

矢部はたまたま結婚という経験で初めて女性に対する見方などが変わって色んなことを学んだ人であること。
経験しなくても学べる人もいるし、経験が結婚だけではない。
色んな人生経験を経て人とちゃんと向き合うことを学んでこれなかった岡村に対して、
矢部は自分の経験である「結婚」を通して、岡村隆史1人に向けて、学べ、変われということが言いたかったのだろう。
まあ同じことを言って結婚マウンティングしてくるくだらない奴らはゴロゴロいる。
この場面では矢部と岡村の関係の中で通じて許される血の通った言葉であり、岡村のコンプレックスにとどめを刺した凶器ではなかったと信じたい。
とは言え、「男の方がアホやから」「女の人の方がすごいんやから」という矢部のダブルスタンダードさ加減は居心地が悪い。
私の感覚では、結婚を例に挙げて説いた矢部の言葉は、恋愛できない、していない人に対しては追い詰めるだけであり、こうあるべきを押し付けられて、ジェンダーへの配慮のなさからして孤独感が強まるだけ、絶望的な気持ちにさせるだけの極めて不正解もいいところだが、
相方との絆や、向き合って自分の思いをぶつけるという2人のプライベートな関係性の中での感情面ではセーフ。
感情論だけで納得できる人たちにとっては美談になった。

しかし、付き合いの長い矢部から岡村へのそれ以外のメッセージはとても厳しく温かい内容だった。
ありがとうが言えない姿を見たくなくて離れた、と言ってくれる人。こういう人がまだ周りにいる幸せに本当に気付くことができるかどうか。
とりあえず引きずり下ろして終わりの風潮では何も世の中は変わらないよなとも思う。

まとまらないもやもやが湧き出たので、
夜中にこっそりと。

見出しの写真はネパール、カトマンズのボダナート。ストゥーパの目は「仏陀の目」「知恵の目」と言われている。世界の真理を見渡す目。ネパールにいると、自分の中を覗かれるような気がしていつもドキッとする。

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