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最先端の過疎地域で自然との付き合いを考える(1)

去る2月3日、周防大島町の佐連地区で、大地と海の再生講座を開催しました。

私が大地の再生の考え方に出会い、地元で試したいと思ったきっかけについては以前のnoteで紹介しました。

ざっくりいうと、
 今すでに、人がたくさんいたときのような道普請や共有地の草刈りなど集落環境の整備は難しくなっていて、耕作放棄地も全体の内の50%を超えている。一度手を入れて放棄した自然は本当に自然の力を発揮できているのか?人工物を作ったのに周辺事管理できなくなったところは放置しても問題ないのか?否。さらに人口減少が進む時代に向けて、自然の力にゆだねて境界をゆるやかにしていくために、今やっておくべき手当てがあるのでは?
というところです。

美しく連なる瀬戸内アルプス、みかん山。
周防大島を囲む瀬戸内海、青く透き通り美しい―。

でも、大雨が降ると山肌が崩れたり、
耕作放棄地には蔓や竹が勢いよく入ってきます。
海の中の様子もなんだか変わってきています。

様々な要因が絡み合っていると思いますが、
その一つが、山から里を通り海へと流れ込む水の流れや水質の変化なのかも…

これからの集落維持を考え取り組む”周防大島佐連地区”と、
海を見つめる”海辺の会”がタッグを組み、
「海と大地の再生」を目指しています。

講座告知資料より

 今回、大地の再生を実践するフィールドとして、私自身の管理する土地ではなく住むエリアでもなく「佐連地区」に設定させていただいたのには、大きく3つ理由がありました。


この人たちがいる地域だから

 今回の佐連地区のキーパーソンは、生まれも育ちも仕事も佐連、ここに住み続けてきた長老の西村さんと、都会に働きに出たのちUターし現在自治会長を務める桑原さん。そしてIターンの若者、さかえだいごさんです。

左が西村さん、右が桑原さん、真ん中がさかえさん。

〇地元生まれ地元育ち、仕事も地元

 西村さんは、生業としていわし網の網元をされつつ、ミカン農家として、周防大島の2大基幹産業の栄枯盛衰、自然の変化に向き合いながら人生を積み重ねてこられました。若い頃からずっと地域運営に携われて、急峻な佐連地区の土砂災害を軽減するために集落を囲むように作られた「承兼農道」(平時は農道であり、大雨の時は水路となり、いざというときは避難道にもなるという様々な役割を兼ね備えた地域の道)の普請にご尽力されました。
 住み続けていると日々の変化には疎くなりがちですが、西村さんは常に洞察を重ねてこられたのだと感じます。いつ頃から海が変わり、現役を退かれた今もここ数年の海の変化を敏感に感じられています。私には見えない海の中のことを、陸上のことのように、つかんでおられるのかもしれません。

〇地元生まれ地元育ち、思い出を抱えたUターン

 桑原さんは、家業は瓦焼き職人だったそうです。佐連地区は良い粘土層があり、瓦生産業を営む家が何件もあったとか。当時は、瓦を船に積んで出荷されていたそうです。新建材の台頭により瓦の需要が減少したため、外に働きに出られたそうです。定年後、隣村出身の奥様とともに、地元にUターン。
 多くの島育ちの団塊世代の方々もですが、自分が幼少期を過ごした島の様子とのギャップに、驚きもあったと思います。私も一度島を離れたから共感する部分があるのですが、外にいても地元は愛おしくて仕方がありません。地元にずっと暮らし地域を守ってくれている方々への感謝とどこか申し訳なさを抱きつつ、Uターンしたら自分も地域を担うんだ!という熱い想いを持ってこられたと思います。

〇移り住んだ若者の「ここでこれから生きていく」ためのビジョン

 そんな推しのお二人と出会わせてくれたのが、私が真っ先に相談させてもらったさかえだいごさん。
 地元でもなく親戚がいるわけでもない周防大島町に移り住み、佐連地区を含む白木半島エリアの集落支援員を務めつつ、前職(銀行員)を活かしたコンサル業務、ヒジキ漁や一本釣り漁の漁師、地方で頑張る人・頑張りたい人の夢を一歩後押しする オンラインコミュニティー「田舎チャレンジャーラボ」の運営をされています。

 そんな暮らしの中で、ここ数年の海の生産力の減少をひしひしと感じ、そのためにも陸域の環境保全の大切さに目を向けられました。耕作放棄地を再生し、農業にも着手。収入の主力のひとつである「沖家室ヒジキ」の通販に抱き合わせて野菜も販売されています。
 そこで痛感されたのが、荒れ地を保全しつつ農業で収益を上げて生活を成り立たせることの大変さだったのだと思います。
 草刈りや道普請など、集落環境の保全はプライスレス(無償労働)。現役世代がそこを担うのはふつう限界があります。そこに価値を生みつつ、そこから得られる収穫物の販売等を通じて資金を捻出していかないと、”持続的な”取り組みにはなり得ない。
 イベント会場としてさかえさんの管理する土地を提供してくださいましたが、並大抵の覚悟ではお引き受けいただけなかったと思っています。

  • 自治会の方々が土地の持ち主に掛け合って、耕作放棄地の活用を認めてもらったので、しっかり管理していかなければならい

  • イベントに関わることは、時間も手間も気持ちも取られる

  • 地域外の人がイベント的に地域に関わることで生まれる地域とのハレーション

などなど、私が想像するだけでも懸念点はいくつも上がってきます。
 今回、イベント告知に寄せていただいたさかえさんのメッセージがこちら。

イベントのときだけでなく、継続的に自ら手を動かし、土地をメンテナンスしていく同志と出会えたらと思っております。”100人の烏合の衆に、たった1人の情熱が勝る”、そんな本気の人に出会いたいです。

イベント告知資料より

山と海と里が近接

 今回講師としてお招きしたのは、岡山で大地の再生を実践されている杉本圭子さんと、全国の海に潜り調査研究とその活用のアドバイザーとして多方面で活躍されている新井章吾さん。周防大島の海にも、35年間潜って変化を見つめてこられています。
 島に暮らしていると当たり前になってしまっていたのですが、島は、山と海と、両方の自然に支えられて生活してきた人間の里がとても近い郷里にあります。人は日々、山にも海にも触れながら生活してきました。
 以前から交流のある新井さんと雑談する中で、私は「長年自然を痛めつけてきた影響が今出ているので、それを回復しようと思ってもすごく時間がかかるのでしょう?」と諦めモードで訊ねたことがあります。それに対して新井さんは、「そんなことはない。山と海が近い場所で、山と海の水や空気の流れの滞りが改善出来たら、狭いエリアでだけど効果は数年で現れると思うよ」と答えられました。
 うっそ~。
そんなふうに感じてしまいました。海は広いし、狭い陸域を改善してもそんな効果ないんじゃない?
 でも実際、新井さんが関わっておられるエリアで効果が出ているところの事例もうかがい、また私にとって身近なところで考えると、広島の宮島と本土の間の大野瀬戸。ここはカキ養殖も盛んですが、今でも瀬戸内海でアサリが育つ数少ない漁場になっています。それは、宮島の山が神聖なところとして保全されてきているからではないか、とも思えました。小さな宮島だけど、そこから流れてくる、さらには地下を通って海底から湧き出す水の性質が、海底の生物相にダイレクトに効いているのではないか。
 だったら、狭いエリアでも(だからこそ)チャレンジする価値はきっとある、と思えたのです。


9月、現地の下見に来られた杉本さんと案内するさかえさん

ここで効果が出たら、周辺にも波及する(期待)

 高齢化率50%を超える周防大島町ですが、その中でも佐連地区を含む白木半島地区は、高齢化率は70%を超えています。
 そういう地域で、集落を囲む自然環境とコンクリートだけのハードな境界で対峙するのではなく、本来自然の持つ力をより発揮してもらってハードの寿命も伸ばしつつ、付き合っていく方法がうまくいけば。
 沿岸の生産力が回復して、これからも漁業で生計が成り立つフィールドが整い保たれれば。
 人口の少ない田舎では、数人でも”これからの人生をここで豊かに暮らしていく”という現役世代がいると、集落にインパクトを生むと私は考えています。
 戦後成長してきた時代の、人口が増え続けていた時代のやり方や考え方、常識が、通用しない時代になっていると思います。
 山も海も豊かなここで、楽しく充実した暮らしを送っていきたいと考えている人が、私含めて少なからずいます。次世代にもそういう人がいると思います。その思いがかなえられるためにも、周防大島らしいこれからの時代の暮らし方を模索する一つ。それが今回の活動の大きな狙いだったと、やってみてから確信しました(おそ…)。


次回は、イベント当時の様子と振り返りをお伝えしたいと思います。

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