お年玉

子どもの頃、お年玉を貰えたけれど、親戚が少なかったからあまり貰えなかった。
親戚が少なければお年玉も総額としては少ないのかと分かったのは大人になってからで。
貰える事は嬉しかった。

母方の祖父母は福島にいて、福島に行けるのはお盆休みだけだったから、お盆休みにはたくさんお金を貰えた。

あの頃のお金、何処行ったのだろ。


お年玉はお母さんが預かる。


そう言ってお母さんに預けていたけど。
大人になって戻る事はなく。


母の父、福島のじいちゃんは、消費者金融にお金を借りていた事が亡くなってから分かった。

今はその借金は娘である母が返す義務がない様に出来る手段がある様だけど、母さんはじいちゃんの借金を返す為に必死だった。

元々福島の身内の事を、父は良く思ってなかった。そんな父の態度に腹が立って居たけど。

大人になって、父の対応は真っ当だったと、後々分かる事実も判明した。

じいちゃんの借金は、何年も掛かって母が返していた。父に言えばまた、福島の親族の事を悪く言うのは目に見えていたから。


じいちゃんが、消費者金融で借りたお金が、私たちのお小遣いに消えてた。

それ以外、生活の為にも遣われていたのだろうけど。



お母さんが預かっておく。

大人になって、そのお金は返って来なかったけど、お母さんは全て知ってたのかもしれない。

じいちゃんにそんなお金、あるはずないって。



姪っ子、甥っ子のお年玉をそろそろ用意しなきゃなあ…

そんな事思っていると、過去の事をふと思い出す。


バブルの時親戚のおばちゃん、たくさんお小遣いくれたなあ…。

そんなおばちゃんも、年金払ってなくて。今は老人ホームに居るけど、どうしてお金を工面しているのだろ…。諸々保険料も払ってなかったのだろう。


バブル期にスナックを経営していて、華やかな時期も知っているから、今のおばちゃんを見ると悲しくなる。



取り敢えず…姪っ子甥っ子のお年玉を、借金せずとも作れるような生活を今後もしたい。

日本という国が、賃金を相応に払う国であれば、それが続けられるだろうけれど。

岸田首相はダメそうだ。

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