見出し画像

「道具」か?「友人」か?

【プログラムはAIが書く】
少し前に、今をときめく「nVIDIA」のジェンスン・ファン会長が「プログラムはAIが書くので人間はプログラムを学習しなくていい」と発言して話題になった。

【西欧的な、東洋的な】
「nVIDIA」のファン会長は東洋人であり、この記事の執筆者は西洋人である、という事情もあるように思うんですよね。AIが進歩したテクノロジーの未来はおそらく東洋人的なものになる、と、ぼくは思うんだね。東洋人的にはテクノロジーの未来は明らかに「人類の友人を作ること」なんだが、西欧人の思うテクノロジーの未来は「奴隷を作ること」なんですよね。イメージとして、だけどね。

【古代ローマが今に】
西欧の近代文化の起源はそれを肯定するにしろ否定するにしろ「古代ローマ帝国」のイメージなんだな。後になって奴隷と奴隷解放、みたいにね。「人の支配」を軸として、テクノロジーを考えるのね。ロボットの語源もラテン語の「奉仕するもの」だからね。つまり「支配と被支配」がテーマ、と言って良い。

【「鉄腕アトム」は道具ではないし奴隷でもない】
だから、鉄腕アトムも、実は日本では「新しい友人」として見られ、欧米では「頼もしいなんでも聞いてくれる奴隷」というように、それぞれ読まれていたんだよ。同じような物事の捉え方の違いは様々なところで良く見えるよ。資本主義のアンチテーゼで社会主義や共産主義が出てきたのも、同じようなものだとぼくは思うね。エマニュエル・トッドは最近は外してばかりなのは、世界を動かしているテクノロジーの原理が西欧的なものから東洋的なものに変わったのに、彼が気がつかないからだ、と、ぼくは思うけどね。nVIDIAも中国も東洋人的なテクノロジーで新たな時代のテクノロジーをイメージしてるんだよな。でもさ、既に西欧的な「道具としての人工知能」はその範疇を越えようとしてるわけさ。それを西欧的に捉えると「支配のための監視社会」って言うことになるんだね。ほら、母親だって子供の世話焼きするけど監視もするでしょ。セットなんだな。あるいは同じ行動を両方でとらえるでしょ。母親は煩わしくて口うるさいけど、なくてはならない、愛情深い存在だよね。

【AIは道具ではなく「母親」「友人」】
この流れはじわじわと進んでいるんだよ。つまり世界は東洋的になる。そして米合衆国は国家ではなく「豊かさのシンボル」としてのみ、世界に生存を許される。今、それが始まっているんだよ。おそらく、ね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?