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AIブームの終わりに。

【AIブームが終わる予兆とは】
ChatGPTの登場などで今年始めに華々しくデビューし、多くの人を驚かせた「AI」なのだが「使い方」が出てくることになれば「あれ?使い方覚えないといけないの?」となる。

人工知能とは、自分で面倒くさい「考えること」「文章を書くこと」「文章を書く訓練(にかかるお金と労力と時間)」などが「なくなること」そして「そうしたのと同じ結果が得られること」ではなかったのか?

違う。それがわかってきた。

そう思われたとき「AIブーム」は終わる。

【「道具」だからね】
「なんだ、使い方をまた覚えないといけないのか(スマホだFacebookだと、もうたくさんだよ、覚えるのは)」となれば、手間も時間も労力も必要なのが多くの人にわかる。この時点で「一般大衆」は離れ始める。このところ話題になっていたChatするAIは、要するに「道具」だから使い方を覚えないといけないのだ。

【なぜそれがわかる?】
●ChatGPTの中身を「解説」するのではなく「使い方を教える」サイトや動画が増えてきた。←ほら、使い方を覚えないといけないんだ。

●「プロンプター」という「AIになにを教えるか?などのノウハウを持つ仕事が話題になった。←ほら、使いこなすには専門家が必要なんだよ。

プロンプト・エンジニアリングという言葉もできた。これを覚えないと、AIシステムはちゃんと使うことができないそうだ。

こういうものが出てきた時点で「優れた人間の代わりを、文句も言わず、お金も要求せず、してくれるはずのAI」は終わった。

なんだ、ただの道具だったのか。と。

【AIには「ただの道具」を求める人】
ちょっと深掘りしてみると、これは当たり前のことだ。根本的な「AI」「ロボット」に対するイメージは西欧的な「人間が中心」になっている。人間が道具を使い、他人を使い、個人の考えていることを実現させる。自分の周りにあるものはすべてが「道具」と考える。成長するということは「道具を使いこなすスキルを磨き、より良く生きていくこと」である。

【AIには「ただの道具」ではないものを求める人】
しかし、日本人は「AI」「ロボット」が自分の友人や親や兄弟であってほしい、と思う。顔色が悪いという病気の兆候を教えてくれて病院に行くことを勧めてくれる。

【AIのイメージが崩れた】
つまり、この時点で「AIってこういうもの(であってほしかった)」という「幻想(期待)」が崩れていく。「期待通りのように見せかけて、期待通りではなかった」ということになるから、使うほうは「なーんだ(詐欺か?)」と言って離れ始める。

【AIシステムがただの道具ではなくなる日】
手前味噌で恐縮だがAIシステムがただの道具ではなく、友人になるには、こういうシステム開発の哲学が必要になる。先に進め。


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