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「ITは道具」から抜け出せ。

【なぜこんなことに。。。】
なぜ、こんな事になってしまったのか?「ITでみんなハッピーになるはずじゃなかったのか?」って思いませんか?今のITはどうですか?「GIGAスクール」は「使い方」ばかり教えている。使い方を覚えるまでに、親も子も、つかれちゃいませんか?新しい道具ができたら、その道具を使いこなして、ハッピーな世の中になるはずだった。でも「使いこなす」までにいかないよね。使い方が難しいし、覚えきれない。だから、誰も彼もがハッピーにたどり着かない。多くの人が不幸になるだけだ。

【まるで「注文の多い料理店」?】
「このレストランでは、美味しい料理がいただけます。まずはいらしてください。人気のレストランです」そう言われて、森の中のレストランに二人の紳士が行ってみると「料理を美味しくいただくために」と言われて、服を脱がされ、体にバターやクリームを塗り。。。「え?これ、もしかして」と、おかしいな、と気がついたそのとき、猟師の猟犬の声が響き、レストランはこつ然と消え、二人の紳士はすぐにその料理店から逃げ出した。紳士は危うく、山猫の料理になって食べられるところから逃げ出した。これが、宮沢賢治の「注文の多い料理店」(青空文庫へのリンク)のあらすじだ。ITでメシを食ってきた自分が言うのもなんだが、多くの人にとって「IT」は「注文の多い料理店」なんじゃないのか?

【「道具」は放り出せ】
今のスマホは、暇のある人のおもちゃにはいいだろう。覚えることがたくさんある。そんな時間も楽しいだろう。しかし、多くの人は働いたり、家庭生活もある。「面白いからスマホに触る」わけじゃない。多くの人は、スマホでなければ行政サービスが受けられなかったり、安価・手軽に他の人との会話が楽しめなかったりするから、スマホを使う。ゲームは楽しい。ゲームをしていれば、それで暇な時間が潰せる。人にも、できれば会って話したいけど、時間もない。遠くに行けばお金もかかる。仕方なくスマホを使っている。「スマホが楽しいから使う」ということもあるだろうが、一日中、スマホだけと付き合うわけにはいかない。結局「普通の人」は、スマホに触る時間は限られているから、操作は完全には覚えられない。いつまでたっても「初心者」のままだ。「便利に使えるようになるまでの(時間も労力も含めた)コスト」は、多くの人にとって本当に見合ったものなのか?。使うのに時間がかかり、労力もかかり、ときには危険な「IT」は、人間を幸せにできる「道具」なのだろうか?それは、単なる「技術者のおもちゃ」以上のものでは、本当はないんじゃないか?ぼくはおもちゃを使って楽しんできて仕事にした。それを意識して使っていたからね。

【「ITは道具」という発想はやめよう】
もうITに関わって30年位になる。最初の頃、デジタル技術は人の世の中を便利で快適にする、と言われていた。しかし、それが人の使う「道具」という発想である限り、その道具はどんどん機能を増やして複雑になり使いにくくなり、それを使う人を生きにくくするだけなんじゃないか?。子供の頃「鉄腕アトム」というマンガがあって、それは日本でのTVアニメの嚆矢(こうし - 物事の始まり)となった。そこに出てくる主人公のロボット「アトム」は、私達の「友だち」として目の前にあった。言うことを聞いてくれるだけの「道具」ではなく、危険を事前に察知して、僕らを安全なところに連れていってくれたりした。ときには襲ってくる敵と戦ってくれた。

【どこで間違えたのか?を考えてみた】
ITというものをこの人の社会で発展させていくにあたって、ぼくらはどこかで道を間違えたのかもしれない。そういう視点からITを見てみる試みを、最近はしている。そして、原因を考えてみた。そして、解決策を考えてみた。noteにその記事も書いた英文でスライドも作った。日本だけでなく、多くの今どきの先進国は、高齢化もあるし、本当はこういうものが必要なのではないか?と。


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