高度経済成長と安部公房
【3回めの安部公房展】
安部公房展への訪問3回目は仕事の合間に訪れた。いろいろ確かめたいことがあったからでもある。見終わって暮れて行くこの神奈川近代文学館の「寿司喫茶」店「す・す・す」からの景色も素晴らしい。静かだ。自分以外誰もいない。
【表現者:安部公房の育った時代】
安部公房の作家としての全盛期はやはり昭和20年から30年くらいで、ぼくが産まれる頃までなんだな。27歳で芥川賞を取る前後の時期になるが、やはりこの時期の彼の文学は、世界に紹介されるだけのものがあったように、私は思う。別の言い方をすると、このときが「頂点」だったように思うのだ。これは、前の記事にも書いた故・Henry Stokes氏とお話したときも、彼も同じように思う、ということを言っていた。
【演劇に行った安部公房】
次第に彼は演劇に行くが、その活躍の合間に舞台女優との不倫なども取りざたされたことがあった。その後、演劇経営では興行的失敗など、かなり疲弊した感じだ。誤解を恐れずに言うと、その挫折から彼が立ち直った頃には、時代の環境も変わり、既に「大御所」になった彼は、時代に飲み込まれるように、若い頃のような鋭さが少しずつ消え、経済で豊かになっていく日本社会に順応していったように、私には見える。この前映画にもなった「箱男」はこの演劇にハマっていた前後の作品だ。
【安部公房の戦後の始まり】
東大医学部を出てインターンには行かず、食うや食わずの戦後に、よく行っていた喫茶店で知り合ったやはり芸術家の妻・安部真知と漬物の行商をしてなんとか生計を立てていた。売血もしていたというから、かなりの貧困だったのだ。その時書いていたものが文学として認められ、アバンギャルド、日本共産党入党、そして脱党など、様々な時を経て、嫌っていた文壇にもだんだんと馴染む。前衛だったものが、意識せずか?してか?わからないが、前衛を捨て、そこから彼の戦後の高度経済成長期も始まった。やがて箱根に別荘を持ち、クルマもBMWやJeepなどに買い替えている。出たばかりのワープロを使い、演劇の音を作るとして当時のアナログのミュージック・シンセサイザー(たしか当時の国内価格で250万円くらいだったと思う)も購入して使った。
【安部公房展でなぞる戦後日本】
私にとっては、だし、おそらく他の戦後の三島由紀夫や大江健三郎などの作家も同じとは思うが、この展示は安部公房展と言うより、戦後日本の知識人の縮図を見るような、そんな展示であるようにさえ見える。戦中から戦後、高度経済成長期が始まり、そして終わる頃、安部公房は夫妻で、その恩恵をたっぷり受けて、高度経済成長期の終焉が見えたところで亡くなった。そう言うと、言い過ぎだろうか?
【父をたどり母をたどる展示】
私も、私と父・母の時代を一緒にこの展示でタイムマシンに乗って旅したように思った。そして、これからは世界の混沌の時期が訪れる予感がある。