多間野 蓮

英雄とは、決めたゴールを達成した時の自分自身である。

多間野 蓮

英雄とは、決めたゴールを達成した時の自分自身である。

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はじめましての人は「はじめまして。」

「はじめまして。」 記事を書き始めて1週間以上経ちました。 しかし...肝心の自己紹介を忘れていました。 🚗 自己紹介 🚗南の島の住人です。趣味は映画鑑賞で、映画館で2年間アルバイトするほど、映画を熱狂的に愛し、僕自身の人生を写鏡のようにして投影させていきました。 縁もあって最近始めた映画ライターのアルバイト。 しかし、それまでの道は簡単ではありませんでした... 吃音に悩まされた小・中・高学校「は、は、は、はい! 元気です...」 僕は、発音が出来ない吃音という悩みを

    • 短編小説:公園での話

      ひらひらと舞い落ちる桜の向こうには、みずみずしい葉が顔をのぞかせている。4月は一番好きだ。花粉症もないし、じめじめしているわけでもない。それに秋よりは春のほうが、なんだかさわやかな感じがしないか。 そんなことを考えていると、表示板の前に男がいた。ダウンにスラックス、おまけに靴まで黒いときた。ナイロン生地のダウンは朝日に反射して、テカテカと小刻みに光っている。腕を組み、人差し指を上下に動かしては、小声であーでもない、とつぶやいている。異物さを例えれば、公園のゴキブリである。

      • 転職ブームで感じること

        転職ブーム近頃、周囲には転職を考える人々が増えてきた。それはまるで、新たな風が吹き始めたかのように、自然に力強く、選択を迫ってくる。しかし、私は転職を思い立っていない。仕事の不満もなければ、業種を変えるほど挑戦したいことがないからなのなどだが、一番は低燃費で仕事ができているからになるだろう。 仕事は何も背負ってないと長く走れるこの状況を例えるならば、私は荷物を背負っていない長く走れるトラックのようだ。一方、熱量や思いを背負った人々は、その重さを抱えて走るトラックだ。彼らは

        • 東京の村社会について

          東京の村の存在東京は日本の首都であり、全国から集まる人々の多様性と活気にあふれている。しかし、その中には"村"と呼べるような独特のコミュニティが存在する。村と聞けば、田園風景や木々を思い浮かべる人も多いだろうが、今回の”村”とは具体的な地理的な位置づけや農業地帯を指すものではなく、そこに根付く人と人との強いつながりや共通化されたルールを指す。 バーの暗黙のルールこの"村"の一つがバーの世界。バーには、特定の暗黙のルールや常連客との特殊な付き合い方が存在する。例えば、特定の席

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        はじめましての人は「はじめまして。」

          ブルームーンになりたくて

          数か月前の話。 これがブルームーンってやつか。酒を1杯ひっかけて気持ち良くなってた俺らは月が見える高台に来ていた。蒸し暑い日中も夜になって風が吹くと心地がいい。夏はこうでなくっちゃなと喉に流し込むビールがなおさら美味しかった。はしゃぐ彼女を耳で感じながら、右手はポケットに突っ込んでただただ月を眺めてたんだ。 高台といえど、ビルの光が強くて、月がなんだか申し訳なさそうなんだよな。ブルームーンっていうくらいだからもうちょっと頑張れよ。だけど、そんな弱弱しい月を見ながらなんだか同

          ブルームーンになりたくて

          糞みたいな世界で楽しく生きていきたい

          生きていれば辛いことだらけだ。それは日常的なもんで、飯を食らうと糞をするような頻度で平等に訪れる。そりゃあ、褐色がかった吐しゃ物みたいな糞を見たら気分が悪くなる。だが、キショい糞を便所以外でまき散らしたら駄目だ。ましてやぶん投げたり、まじまじと大事な人に見せつけるなんて、こっちが見ていて吐き気がする。だから、糞をしたら便座を占めて流さなくてはならない。トイレの常識だ。 しかし、糞を投げつけては周りを不快にさせてる輩を時々見かける。日々の恵まれない境遇を吐き捨てては、そうだよ

          糞みたいな世界で楽しく生きていきたい

          久しぶりに高校の同級生に会いました

          鼻にツンとする臭いは隣のスーツからにじみ出ているようだった。臭いは車内の上空に滞留し、前へ後ろへと行ったり来たり、逃げ場を失ったようにさまよっている。もし君の背が高いのであれば拷問でしかないだろう。そんなことは何処吹く風と、隣のスーツはニタニタした表情を浮かべ、窓ガラス越しに身だしなみを気にしている。これから推しにでも会いにいくか。金曜日の夜に。神奈川に向かう電車は、1週間の疲れと微かな週末の楽しさをかき混ぜて運んでいた。 集合場所は傾斜のあるエスカレーターの先にあるドンキ

          久しぶりに高校の同級生に会いました

          出世ルートから外れる中で

          長旅で疲れた頭を窓ガラスに預けて、後ろへと過ぎ去る風景に思いを馳せていた。私は激しく瓦解した2年半の努力をゆるやかに市街地から郊外へ運んでいたのである。それは敗戦の一言ではまとめられない、忸怩な出来事であった。 新案件にアサインされた私は浮かれていた。重要な役割かつ大規模な案件だったからである。それに、2年半の経験で会社に貢献できることが少なからずあるという自負が私にあった。 しかしながら、案件に対する私の期待値は想像していたよりもはるかに高いものだった。日を跨いで作成し

          出世ルートから外れる中で

          彼女と別れた理由が未熟だったので

          この胃もたれは、夜ごはんにパフェを食べたからだけではないようだった。金曜の終業後、一緒にパフェを食べた帰り道。そっと明日に向かって彼女に話しかけた。 「今夜、泊まりに行ってもいい?」少し間が空いて、「ごめん、明日の朝は楽器の練習がしたくて...」かすかに聞こえた声は少し奥歯に何か詰まったような、ぎこちなさを含んでいた。少しうつむいた彼女の横顔は髪に隠れて、見えない。 澄み渡った東京タワーの下で、僕は「好きを大切にする彼女」に惚れ、告白をした。周りに流されず、大切にしたもの

          彼女と別れた理由が未熟だったので

          天才を車窓で説明してみた。

          中野のバーでまどろんでいた金曜の夜。隣の会社員が「天才とは?」という話題をひざを突き合わせて熱心に語り合っていた。 目のギョロリとした方が、輪廻転生には時間の逆行性があり、現世のひらめきを過去に持ち込めると言っている。 正直なところ、私の中では輪廻転生の概念はあったらいいな程度の願望に過ぎず、現実味を帯びないものとして位置していた。 そんな感じで蚊帳の外でぼーっとしていた私だが、「天才とは?」に対する比喩的な解答をぼんやりと持っていた。 天才とは、人生というキャンバス

          天才を車窓で説明してみた。

          運命をどう使うべきなのか - 劇『檸檬』

          運命とは都合がいい言葉である。ある時には心の緩衝材として、ある時には免罪符として機能するからである。 劇団papercraft第8回公演『檸檬』の感想を本日は書いていきたい。 この作品は、「口の消滅」と「超次元的存在の井上さん」の非リアルな設定に意識を持っていかれがちだが、対峙する名取の心の動きにもぜひ注目して欲しいし、そうすれば、より香ばしく作品を楽しめるなと感じた。 私が読み取った名取の心情の変化は以下のとおりである。(以下、ネタばれを含みます。) 名取は、学生時

          運命をどう使うべきなのか - 劇『檸檬』

          山をたとえにした2つの教訓

          教訓を伝えるとき、例えを持ってくることが多い。 それはマラソンであったり、壺であったりと様々だ。 今日は「山」を例えとした教訓を共有したい。 1つ目は小学生の恩師の言葉で、2つ目は私が社会人になって学んだことだ。 登るなら高い山に登れ 小学の卒業式の前日、J先生は黒板にそれぞれ大小の山を6つほど書きならべた。 「これから、お前らは中学生、高校生、そして社会人となっていく。そこで、俺が大事にしていること伝えたい。登るなら高い山に登れ。高い山には危険がつきものだ。楽ではな

          山をたとえにした2つの教訓

          2年目にしてチームから求められる期待値が上がったという話

          目まぐるしい日々を過ごす中で、こうやって腰を据えて仕事への姿勢を振り返ることがなかった。今回は、社会人2年目の中で、私が言ってみたら苦しんでいる課題について語っていきたい。 ずばり苦しんでいるのは、「チームから求められる期待値に応えきれていないこと」だ。その背景には1年目→2年目で期待値が大きく変わったことが理由だと考えている。 社会人1年目の期待値 1年目は、お客さんに対峙するための準備期間であるから、業務は議事メモの作成や簡単な資料のドラフト作成など、事務作業が多か

          2年目にしてチームから求められる期待値が上がったという話

          劇「世界が朝を知ろうとも」を見て

          演劇に足を運ぶようになった経緯は別で書くとして 最近、鑑賞した演劇の感想を書いていきたい。 本公演はすみだパークで行われた。 晴天で浮かれた気持ちの一方で、 見終わった後の薄暗い気持ちを今でも覚えている。 確かに、観客の心を大きく動かしたという点でこの劇は成功である。 しかしながら、あまりにも観客に一石を通すような作品ではなかったか。 テーマに入る前にあらすじを書いていきたい。 劇の詳細には立ち入らない。できれば実際に足を運んでその目で、耳で味わってほしい。 であれ

          劇「世界が朝を知ろうとも」を見て

          日記が見せる自堕落な生活/今年の目標

          昨年度の目標は、日記を毎日欠かさず取ることだった。平日も休日も関係なく、二日酔いだろうが、失恋しようが、とりあえず朝起きたら机に向かおうと決めたのである。 そして、日々の集大成を見ながらにんまりしていると。角が擦れたノート達が、侘しい目でこっちを見つめながら語りかけてくるのである 「お前はとりあえず1年間書き切ったが、何か得たものはあったのか?」 日記を書くことが目的になっており、何か行動に移せたことはあったのかと。。。 確かに些細/つまらない内容が9割程で、書く作業

          日記が見せる自堕落な生活/今年の目標

          2021年を振り返って

          2021年は「あっという間」で表すには、勿体ない程の濃い1年でした。 ところで年末になると過去数年を振り返って、自分が年をとったことを感じます。そして、人生のフィルムを辿る中で、懐かしくて悲しい気持ちになるんですよね。 僕は例年、これじゃ良くないと、宛もなくドライブに出かけます。何も考えずに目の前の道を進むことで、過去に引っ張られた感覚が現実に戻って来るんです。 ドライブは、年越し前の通過儀礼の役割を担っていました。 しかし今年は、そこまで深く考えずに車に乗り込みまし

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