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東京の村社会について

東京の村の存在

東京は日本の首都であり、全国から集まる人々の多様性と活気にあふれている。しかし、その中には"村"と呼べるような独特のコミュニティが存在する。村と聞けば、田園風景や木々を思い浮かべる人も多いだろうが、今回の”村”とは具体的な地理的な位置づけや農業地帯を指すものではなく、そこに根付く人と人との強いつながりや共通化されたルールを指す。

バーの暗黙のルール

この"村"の一つがバーの世界。バーには、特定の暗黙のルールや常連客との特殊な付き合い方が存在する。例えば、特定の席に座ることや、他の客との話し方、注文の仕方など、その場所特有のルールがある。これらのルールを守ることで、バーのコミュニティに溶け込むことができる。しかし、ルールを逸脱すると、その場から締め出されることもある。このような状況は、地方の小さな村社会が持つ規範やコミュニティの繋がりと似ている。法律や条例以上に拘束力を持つルールは明文化されておらず、会話の中で見定め、体現することで答え合わせをしていく。

噂の速さと仮面舞踏会

村という共同体の特徴として、噂やゴシップが速く広がることも挙げられる。これは、村の中で人々が密接につながっているから。そのため、東京の"村"でも、自分の情報を大ぴら話すと、すぐにその情報が広がってしまう可能性がある。それを避けるため、人々は自分のプライベートな部分は隠し、仮面舞踏会のように深くは詮索しない、その場限りの交流をすることが多くなる。これは、自己保護とも言える行動であり、村の中で生き抜くための戦略とも言える。

東京の自由と村の存在

私自身、田舎から東京に出てきたとき、東京は無関心が渦巻く場所だからこそ自由だと思っていた。個々が自分自身であることを許され、法律さえ守れば誰も干渉しないと思っていた。しかし、東京にも人々のつながりや共有のルールを持つ"村"が存在することに驚いた。そして、自由であるからこそある種の縛りに浸かり、つながりを感じたくなる。田舎から単身で上京してきた私は、いわゆる一匹狼で、力強く東京で根を張って生き抜くためにはコミュニティに属することが必要だと本能的に感じていたのかもしれない。

まとめ

東京の"村"は、大都市の中に存在する人々のつながりを築くため、共有のルールを知らず知らずのうちに作り出している。それは、一見自由で無関心に見える都市の中にも、人々は互いに関わり合い、共に生きていることを感じたいという私たちの欲望なのかもしれない。私たちは、それぞれの"村"の中で、自分自身であることを許され、同時に他人とのつながりを感じながら生きている。

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