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山をたとえにした2つの教訓

教訓を伝えるとき、例えを持ってくることが多い。
それはマラソンであったり、壺であったりと様々だ。

今日は「山」を例えとした教訓を共有したい。
1つ目は小学生の恩師の言葉で、2つ目は私が社会人になって学んだことだ。

登るなら高い山に登れ

小学の卒業式の前日、J先生は黒板にそれぞれ大小の山を6つほど書きならべた。


「これから、お前らは中学生、高校生、そして社会人となっていく。そこで、俺が大事にしていること伝えたい。登るなら高い山に登れ。高い山には危険がつきものだ。楽ではないし、時には辛いこともあるだろう。しかしながら、高い山に登ることは可能性を増やすことだ。高い山に登れば見える景色が壮大になるだけでなく、もし周辺の今いるところより、低い山に登りたいとしたとき、お前がいる高い山からは近道が見えるだろう。」

当時は何を言っているかわからなかった。しかし今ならわかる。高い目標を設定して、達成した先にはその目標達成自体だけでなく、付随する人間関係や忍耐力の構築など、長期的に糧になるものが手に入るのだ。視座が高くなれば達成したいことが、思いのほか手の届く範囲にあることに気が付くようになる。

山は登れど、感情の起伏は覚えれられない。だから記録しよう。

上司が部下に解決策を教えるとき、それは山でいう近道を教えるようなものである。上司が起伏の高いところにいて、部下が山麓にいるイメージだ。確かに近道は見えるかもしれない。しかし、山麓にいる部下の気持ちに寄り添うことはできるだろうか。難しいのではないだろうか。我々だって、数年前の苦痛も、いい思い出だと笑い話にすることがある。人間は忘れやすい生き物だ。

時には近道を教えることで、「信頼されてない」と部下は感じるかもしれない。だから記録を取る。私の場合は日記だ。何を言われて辛かったか、何を言われて嬉しかったかを、生々しく記録している。いつか、部下ができたときにその気持ちに少しでも寄り添うためである。

今回は山を例えに教訓を共有してきた。どちらも山道をキャリアとしている。今後も働いていく中で、学びがたくさんあるだろうから、また更新していきたい。

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