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短編小説「分かれた朝はパンケーキを焼こう」Ⅲ章




「溜息なんかついてどうした?」
さっき溜息をついたのは自分の方なのにとと可笑しかった
「えっ!わたしため息ついた」
「ああ、もうこんな関係嫌になったのか。もしそうなら僕はいつでもきれいに身を引くよ」
悪戯っぽく顎をすこし持ちあげてたずねる。
男はわたしがどれだけ自分を必要としているかを知っていて、
わざと試しているのだ。

「わたしだって、こんなこといつまでも続くとは思っていないわよ。
どこの誰とも知らないどうしが、SNSで知り合って、
ただ抱き合うだけの関係なんて、発情期の猫以下だもの。
だけど、もう少しだけ待って。今はまだあなたが必要なの」
甘ったるい声を出したり、べたべたと絡みついたりは出来ないが、
わたしの方がより強く今の関係を望んでいるのだ。
悔しいけれど、
底なし沼のような寂しさを埋める方法をまだ見つけられない。
「本当に変わった奴だな。もう三カ月になるのに
俺のことも聞かないし、自分のことも一切話さないんだから」
男のわりにはしなやかな指で、わたしの項をなぞる
力仕事をしている手ではない。昼間突然会うことになっても、
来ているものがラフなので、
銀行員と公務員とか堅い仕事でもないのだろう。
もしかしたら自営業なのかもしれない。
項から鎖骨へと降りてきた男の人差し指を握り、動きを止めた。
「あのね。出会った日に自己紹介をしたわよね。
あなたは47歳の既婚者で、車とお酒が趣味だって。
わたしは38歳バツイチで子供はいない。
山田詠美と吉本ばななの小説がすきで
ハリウッドのアクション映画をよく観るって。
最後に地球が滅んだとしても、
一緒になろうなんて絶対言わないとお互い確認し合ったよね」
男の言葉を待ったが、ただ少し唇を緩めて、
わたしの顔を見つめているばかりだ。
少し腹がたってよりきつい口調になった。
「ほかに何か言いたいことでもあるの。
名前、家族構成、仕事のはなし、それとも身の上話。
そんな事どうでもいいわ。打ち明けたとしても本当かどうかも分からない。
名前すら知らない。
だからこうして気兼ねなく抱き合えるんでしょう違う?」

ますます語気が強くなる。
あたり前だ。
わたしは嘘をついている。
38歳で一度も結婚したことのない女なんて
重たく感じるだろうと思ったのだ。
ネットの婚外セックスなどゲームである。
男も女も家庭を壊すつもりなどないのだ。
手軽に出会えて、飽きたら簡単に別れられる。
前の夫がとんでもないDV男だったので、
二度と結婚は考えてないが、
たまに会って抱き合える人が欲しいとプロフィールに書いた。
「おいおい、今日はご機嫌斜めだな。
俺はさ、お前のことならどんな些細なことだって知りたいよ」
そう言って、抱き寄せた。
「こうして抱き寄せた時に、耳元で名前を囁きたいし、
声が無性に聴きたいときだけでもある。
せめて携帯番号のだけでもおしえてほおしいな」
歳に似合わず甘ったるい言葉を平気で口にする。
「名前なんか知ったって、別れ後で面倒なだけよ。
アドレスも着信もブロックできるけど、名前は変えられないからね。
違う名前で呼ばれるのはもっよいやなの」
「俺さ、お前が別れたいっていって言ったら、
それ以上追いかけたりしないから・・・」
真顔でそう言った。
「怖いのはあなたじゃなくて、自分なの。
突然何かの理由で会えなくなった時、
つまらないことを知ったせいで、いつまでも未練がましく
あなたの家の前に立ってる自分を想像するとゾッとするの」


ややあって
「それって、もしかして俺に本気で惚れてるってことか?」
「ばか~、例えの話でしょうが」
「しまし、お前ずっとこんなんでいいのか?
まだ若いんだし、子供がいないのなら再婚考えないのかよ。
割り切ったセックスっていわれても、しっくりこないよ。
確かにスケベな男には、後腐れのない都合のいい話だけど、
後でひどく怖いことが待ってたりするんじゃないかと思うんだ」
苦笑いした。
「何子供みたいなこと言ってんの。
ネットの世界は割り切ったセックスで溢れているのよ。
中にはお金が関わるセックスだってあるの。
ただ刺激がほしいなんて理由で、
どれだけの人妻が不倫に走るか、あなただって知ってるでしょう。
まだ、割り切った関係の方がずっと罪がないわ」
そうは、言ったものの男の言い分ももっともだと思う気持ちもある。
わたしも30過ぎまでは、結婚をし、女の子が欲しいと思っていた。
20代半ばと、ちょうど30歳の時に
実際結婚してもいいかなと思う男性がいた。
しかし、どちらも両親のことを切りだすと
および腰になり、結局いつの間にか会わなくくなっていた。

もしかしたら両親のことは口実で、
自分が一歩踏み出せなかっただけかもしれない。
最初に付き合った男性は、
おれは両親を捨てても構わないと言ってくれたのに、
ためらったのは、わたしの方だった。

あの15歳の冬、見知らぬ男に弄ばれたことに、
嫌悪感も憎しみも感じなかった自分には、
間違いなく母のふしだらな血が流れていて、
平和な家庭もためらいもなく
壊してしまうかもしれないという不安がいつも心にあった。
平凡で幸せな家庭を望んでいる自分と、
それを望んではいけない人間なのだと責める自分が葛藤していた。

しかしそんな不安定な精神状態も35歳の年に解決した。
生理痛と出血の多さに、仕事に出るのがつらい日があったので、
休日に婦人科の診察を受けうと、
子宮にこぶし大の腫瘍がふたつもあることが判明し、
出産や結婚をあきらめて、子宮摘出手術を受けた。
わたしの生活の基盤は仕事だった。誰一人頼る人はいないのだから

落ち着く場所があれば、そこに縛られる。
人生とは多くを捨てて唯一の選択をしなければならいものだ。
それならば、なるべく柵の少ない生き方の方が
楽にあの世に行ける気がするのだ。

今回も前回に引き続き
見出し絵はみきたにしさんのパンケーキのイラストを使わせていただきました。マガジンにまで入れていただき誠にありがとうございます

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