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短編小説「別れた朝はパンケーキを焼こう」1章

この話はわたしが中学生の時に、同級生の身に本当に起きた話をもとに書いた小説です。当時小さな街が大騒ぎになった事件ですが、すべてフィクションであることをまず断っておきます。


黒い雲が空を覆い、星も月もない夜だ。
海を渡る風が身を切るように冷たい。
こんな夜は体の芯から温まりたい。

その日は、
午後1時38分に、1年余り入院していた患者が最期の時を迎えた。
主治医だった医院長は外来の診察日だったため、
手の空いていた麻酔科の医師が臨終の確認をした。
胸に聴診器を当て、脈の確認をし瞳孔を調べる。
何度立ち会っても辛い瞬間だ。

医院長は、早朝と手の空いた11時過ぎに病室を訪れ、
側に付いていた家族に最期が近いことを伝えたが、
結局臨終に立ち会ったのは、
患者と面識のない麻酔科の医師と、
私たち担当の看護師ふたりだけだった。
数日前から意識はなく、物体化しつつあった肉体に
彼は、そう重きを置いていなかったのだろう。
午前中の診察を終えると、病室を覗くことなく
昼食を摂るため、自宅へと続く扉を開けた。

骨に出来たガンが脊髄まで達し、入院当初から
回復する見込みのない患者だった。
大学病院で、もう治療法がないので転院をと突き放され、
その余命も大まかに聞かされていたので
本人も家族も余分な延命治療を望まないことを
この病院に来た時に医院長に伝えてあった。

本来ならホスピスに入院すべき患者だが、
この町にはまだホスピスがないのだ。
身の置き所のないほどの倦怠感や痛みと闘いながらも、
その患者は、元気のない看護師がいると、
「なにかつらいことでもあったん?」
と問いかけるような細やかな気遣いを
意識がなくなるその日まで失わない強い人だった。

自分のようなめんどうな患者を受け入れてくれて有難いと
彼女は医院長に対する感謝の気持ちを、しばしば他の患者に話していた。

それなのに医院長は最期のところで彼女を切った。
看護師たちの中からも、なぜ院内にいたのに
臨終に立ち会わなかったのかと、囁く声が漏れきこえた。

しかし、個人病院ではたとえそれが理不尽だと感じても、
医院長の判断が絶対で、
他の医師でさえ自分の意見を主張することはできない。
まして、看護師は医師の手足に過ぎない。
そんなことに反旗を翻し、気持ちを高ぶらせていては
肝心の看護の仕事がおろそかになる。
今までもプライドとか、不満など一切断ち切って
自分の役割に徹してきた。

わたしにとって看護師は、
女がひとりで生計を立てるための手段だった。
看護学校を出たころ抱いていた、白衣の天使像など直ぐに消え、
医師、師長、主任と順に降りてくる指令をこなすだけの日々だった。

何度か辞めたいと思ったが、正看になり2年くらい経ったころ、
患者から看護の適切さを褒められるようになると、
それなりに喜びも感じるようになっていた。

整形外科は、ただ優しい言葉掛けをするだけでは、
患者が完治できない科だ。
事故などで骨や筋などに異常のある患者がほとんどで、
以前と同じ生活が早く送れるように、時には厳しい言葉で
リハビリを受けてもらう。
最初わたしの厳しさに怖がっていた人も
最終的に日常生活に支障をきたさないほど回復してくると
ほとんどの人が達成感で輝いてくる。
あなたのおかげよと涙まで流してくれる方もいる。
そういう積み重ねが励みになった。

一時の感情で仕事をやっめたところで、
中学しか出ていない自分に出来ことはそうない。
かれこれ20年整形外科一筋でやってきた。
ふり返ってみると、泣いている暇もなかった。
いつのかにかここの病院でも3番目の古株で、整形外科の主任になった。


中学3年生の進路を決めるとき
将来は、看護師か美容師になろうと決めた。
クラスメートが夢を語るのを、少し醒めた感じで聞いていた。
高校へ行かせもらえそうにない環境から、
自立する道はこの2つしかないように、そのころのあたしには思えたのだ。
担任と祖母が話し合って、最終的に看護師の道を選んだのだ。
住み込みで下働きをしながら、
先代の医院長に看護学校に通わせてもらった。
優秀だと言われ、もう一つ上の学校にも行かせてもらい、
正看の免許をも取得した。恩義があるのだ。

考えてみると中学1年生の5月転校をしてから、親しい友は作らなかった
親しくなると、どうしても家族の影が見え隠れする。
そのことを羨ましがったり、妬んだりする自分を見たくなったのだ。

最期の仕事に入る。
決められた通り、体を清め詰め物をする。
白い着物に着替える。
ファンデーションを塗ったところで、女性の親族を呼び入れて
一緒に紅をさす。
72歳と言えば、今の時代まだまだ若い。
家族にとっては覚悟の上だとしても、早すぎる死だ。
主任として家族の心のケアーにも気を配る。

葬儀社の車が車が彼女を乗せて病院を後にしたのは
午後4時を回ったところだった。深々と頭を下げて見送った。
すると再び医院長に対する怒りが胸に沸き上がってきた。

しかしそんな感情も、次の仕事に取り掛かるころには忘れている
直ぐに入院患者への夕食の配膳が始まる
その日のすべての仕事を終えたのは、
普段の日勤より2時間遅い時間になった。
すべてを忘れるようなアクション映画が見たいと
マトリックスを三本まとめて借りた。
だが、胸がざわついてじっとしていられない。

そして気がつけば爪を噛んでいる。
その後もソファーに体を沈め、爪を噛み続けていた。


見出し絵はみきたにしさんのイラストをつかわせていただきました
ふっくらパンケーキがとてもおいしそうです
ありがとうございました


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