読んでない本の書評65「ラテンアメリカ怪談集」
188グラム。アルゼンチン、ウルグアイ、グアテマラ、キューバ、メキシコ、ペルー。それぞれ場所もあまりよくわかっていないので、読む前から十分幻想的だったりする。
冬至も近いこの頃は、ほんとうに日が短い。朝起きてもまず電気をつけなければ真っ暗だし、やっと明るくなったと思っても、あっという間にまた本も読めないほど薄暗くなる。寒くて暗い冬である。
うちの猫たちも、二匹揃って風邪をひいている。まるで人間の子のように四六時中くしゃみをし、熱に浮かされた顔でこちらをぼんやりみつめて、鼻づまりでぐずぐずと音をたてながら甘えてくる姿もかわいそうに。ここらでは、冬が少々長すぎるのだ。
アボカドの木とか、鳥の声とか、湿度の高い極色彩とか、土の匂いのする風とか、何かしらそういった成分がふいに恋しくなってラテンアメリカの本を探しだしてくる。
しかし、もとより怪談集として編まれたものが、長い冬にのんびりと暖を取るために都合よくあつらえた小説などであるわけもないのだ。今まで出会ったことがない魔術と生命力みたいなものは空間を思いがけない方向に横滑りさせる。
「ねじの回転」みたいな生真面目なイギリス人家庭教師がアルゼンチンにやってくる。教え子ボルフィリア・ベルナルの日記によると、その家庭教師はもしかしたら猫なのかもしれない。
……いやいや。まさか家庭教師が猫だなんて荒唐無稽なことが起こるはずはない。おかしいのはボルフィリアの方にきまっている。しょせん子どもの言うことだ。自分をしっかり保っていなくてはいけない。
わたしに猫の風邪がうつらないのだって、彼らが猫でわたしが飼い主だからだ。猫風邪は人にうつらない。
だけどまて。それならば、彼らが人でわたしが猫だとしても、やはり風邪はうつらないではないか。本当のところ、この世でいったい誰が猫なのか。夢がわたしか、わたしが夢か。
ほら、いつの間にか本も読めないほど部屋が暗いのは、やつらに屋敷を奪われたせいかもしれない。あんまり安穏と暮らしていると、目に見えない不安が少しずつ部屋を切り取って奪い去っていくものだ。この部屋はなんだか急に暗すぎる。
次から次へと、あまり変な気分になるので本を閉じる。おそるおそる世界の様子をうかがうために外を覗くと、窓の外は何度も溶けては固まった足元の悪い雪道が広がっている。現実だ。
冬の夜にアボカドの木どころの話ではない。引き込まれて奇妙な気分になり過ぎた。世界は見た目ほど盤石ではないのだから、ゆめゆめ油断してはいけない。
さあさあ、猫たち、ご飯にします。そしてわたしは大きな猫ではないことを、あらかじめしっかり言っておきますよ。わたし、人間。きみたち、猫。入れ替えは、ありません。