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読んでない本の書評52「ナイン・ストーリーズ」

168グラム。一話あたり18.666グラム前後だが、バナナがたくさん含まれる。

 まだライ麦畑でつかまりそうなくらいの年だったころ、その年頃にしては珍しくちょっと賢そうな男の子が同級生にいたのだ。
「アメリカの作家は好きだよ、サリンジャーとか」などと言ってるのを聞き、ほほお、と思った私は古本屋でサリンジャーを探しだして読んだ。
読み終わって、ふふうん、と思い、それきりちょっとばかり賢そうだった彼にアメリカの文学について積極的にはなしかけるのはあきらめた。

 昔から、とにかく長く座っていると眠くなる性質だ。授業中でも試験中でも寝てしまうのは本当に困ったものだった。そうとう真剣にこなさなければならない模擬試験でも一時間目の試験は時間の半分くらいは必ず眠り込んでいた。
 いくつになっても眠いのは相変わらずである。それでもある時点でヨガというとりわけ便利な生活の技術を手にいれたのは画期的なことだった。
 大人になってから、逆立ちができるようになったのだ。正確には「頭立ち」という三点倒立に近いポーズだが、全部の筋肉を普段と逆向きに使うとさすがに眠気をさますには手っ取り早い。受験勉強してた時も、こういう知恵があればいくらか良かったかもしれぬものを。

 サリンジャーを机において、猫を膝から退けて、地面にむかって逆さに立ってバナナフィッシュのことを想像してみる。はじめは、穴に入れるような体型。しかしバナナを78本も飲み込むことができる。おまけにバナナを6本くわえて泳ぐこともできる。「そうなってくると、マンボウみたいなものじゃないかなあ」という気がする。おちょぼ口の魚ではバナナ6本は無理だし、小さな魚だと水の流れが乱れてうまく泳げない気がする。人類の想像を超える独創的な形状をしたマンボウが、バナナを6本くわえて、黄色い水着を着た少女の前を茫漠と横切っていく。

 とたんにいろんなものがふっつりと息絶えたのだ。
 たとえば、疲れたときに駅に入ってきた一番最初の電車をみて、全部が面倒くさくなって行き先も確かめずに乗ったら案の定知らない駅についてしまった時みたいな感じだろうか。そこにつくことは最初から漠然とわかっていたけど、実際ついてしまうとこんな気持ちになるのか、そうかあ、と思うものだ。

 空中を踏んでいた足をゆっくり地面におろしたら頭の中のバナナフィッシュの姿も消える。あの、年の割に賢そうな顔をしていた男の子も、もういい年になっているはずだ。生活の中のどこかでバナナを六本咥えたバナナフィッシュを見かけただろうか。

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