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アメリカはなぜ騙されたのか?❶:稼げるが正義!リベラル・エリートとは?

リベラル・エリートとは?

リベラル・エリート考の発端

コロナ騒動が始まって以来、ずっと考えてきたことの1つが、リベラル・エリートと呼ばれる人たちはなぜ、ファウチ博士やビッグファーマーが主張する”新型科学”が嘘だとわかっていながら、積極的に乗っかったり(批判者を徹底的に潰したり)、素人でもわかる科学の嘘に容易に騙されたのか?ということでした。これは乱暴に、「おバカさんだったから」と結論づけられる問題ではありません。なぜなら、彼らは一般的には優秀で、高給で、”立派”な仕事ーー科学者や医師、政府機関、メディア、ビッグテック、ビーグファーマー、WOKE企業等々ーーに就いている、ヒトコトで言うならエリートだからです。ただ、騙されたエリートの共通点として、本人は”リベラル”と信じて疑わない、実際には共産主義利権グループによる教義が正しいと思い込んでいる傾向にあります。

念のため、私は保守的な考えではありますが、リベラル思想がダメだと言っているわけではありません。同じ主義主張、考えの人が集まった人たちばかりが集まった社会はつまらないものだと思います。それに年齢や経験を重ねるごとに、人の考えには変わっていく部分もありますし、社会や時代の変化に影響され、変わるという部分もあるかと思います。ですから、ここでいうリベラルは、本来の政治主義的なものではありません。

では、私のいうリベラル・エリートのリベラルとは何かと言いますと、特定のグループだけが儲かるために、その場その場で、でっち上げられた”良さげに聞こえる主張”です。代表的なものの1つはフェミニズムーーただし、これも女性の権利を純粋に主張したフェミニズムではなく、「歴史を”His-story”とするのはおかしい。”Her-story”にしろ!」と主張するようなフェミニズムのこと。この手のフェミニストたちは、男性が女性の権利や安全を脅かすことに関しては、度を超えた要求をしていきますが、同じことをLGBTQにされても沈黙を守るのみです。

”稼げる”が正義!

では、なぜリベラル・エリート、いわゆる左翼的な人たちは、なぜダブルスタンダードが多いのでしょうか。ヒトコトで言ってしまえば、自分の中に筋が通った考えがないからだと思います。先ほどのフェミニストの例にしても、男性に対して主張する”女性が声を上げたら聞くべき”のような考えを本当に持っているのだとすれば、相手が誰になったとしても、同じ主張を貫いたはずです。と言うことは、彼女らにとって、”女性の声を聞け”というのは、特にこだわりのあることではなかったということになります。

リベラル・エリートに、こだわりがあるとすれば・・・

高給=成功者=正義
つまり・・・
”稼げる”が正義!

こんなことを言うと、リベラル・エリートほど全否定してくると思います。”彼らが言うこと”と、”彼らの実際の行動”はかなり違いますから、行動の方に注目すると、実際の価値観がわかります。多くのフェミニスト団体が、男性相手にはどんなに小さな事でもハラスメントだと大騒ぎする一方、生物学的男性が女性の権利を脅かすようなことに沈黙する理由は、とてもシンプルで、男性から女性を守るという活動には予算がつきますが、女性をLGBTQから守るという活動には予算がつきませんーーつまり、お金にならないことは取り組まないということです。

男性は女性の脅威になるが、LGBTQは女性の脅威にならない!

なんて反撃を受けるかもしれませんが、アメリカではすでに事件が起きています。公立高校のトイレで、女子学生に対し、生物学的男子学生が性的暴力事件を起こしたのです。リベラルな学校は、処分を転校させるに留め、被害者の女子学生の家族に沈黙を守らせるような対応を行いました。しかし、フェミニストたちが”Me, too運動”みたいなことを行ったという話は、私の知る限り、なかったと思います。そもそもこの事件が少し知られるようになったのは、加害者である生物学的男子学生が転校先でも同様の事件を起こした後でした。加害者に適切な処罰を行わなかったことで、2人目の犠牲者を出してしまったのです。この時も怒っていたのは主に保守派の人々。

日本やアメリカでの、女性関連の事業に対する予算というのは、結構、頭打ちなのではないでしょうか?それに比べ、勢いがあるのがLGBTQ。こちらは国際社会の中でも取り組みに対する優先順位が高いもので、かつての女性運動以上の予算が期待ができます。フェミニストがLGBTQと闘ったところで、損をすることはあっても、予算はおりてこないーー事業者としては適切な判断ではないでしょうか。

リベラル・エリートがどんなに否定しても、彼ら彼女らの行動からは、「”稼げる”は正義!」という主張が見えてきます。

コロナ騒動で、新型科学に騙されたリベラル・エリート

これはフェミニストに限ったことではありません。コロナ騒動では、多くのリベラル・エリート、それも医師や科学者が”新型科学”(*1)を推進、または信仰して、彼らとは異なる考えを全て”陰謀論”と決めつけるような、ファシズム社会が誕生しかけていました。もちろん、企てた側のリベラル・エリートの狙いは利権です。嘘だと分かっていても、自然発生説を推し、ラボ流出説を陰謀論とすることで、予算獲得等の利益を得ることができていました(*2)

*1:新型科学
私が勝手に作った造語で、ファウチ博士をはじめとする、”科学の権威”を名乗る人が自分の都合の良いように、本当の科学に上書きしていった科学っぽい感じの嘘

*2:暴くかれていく科学の権威の嘘(1)Fメール (ウイルスが人工物だと、ファウチ博士に指摘しながら、数日後には人工ウイルス説は陰謀論という医学誌への発表に加担した科学者のラボに、なぜか多額の助成金が入ってきている件を紹介したコラム)

ここで考えてみたいのは、利権を直接的にすることのなかったリベラル・エリートがなぜ騙されたのか?という点です。普通の勤務医が”新型科学”の主張を肯定し、”反・新型科学”を陰謀論としても、1ドルとして儲けが増えるわけではないのです。この層のリベラル・エリートは、利権のために嘘をついたというより、”新型科学”に騙されたという立場ではないかと思います。素人でもわかるような嘘を、なぜエリート、それも専門家たちが見抜けなかったのでしょうか?それは・・・。

お金にならないことは、考えても仕方ないから。

例えば、ファウチ博士やCDCのマスクやロックダウンに関する提言は、リベラル・エリートの間でも、「コロコロ変わってよくわからない」と、批判する声は少なくありませんでした。それくらい、めちゃくちゃだったからです。では、マスクをする意味があるのかないのか?、どのようなシチュエーションで、どのようなマスクをすれば良いのか?等を自分で調べたり、考えたりするのか?といえば、それは一切しません。なぜなら、マスクの着用有無が分かったところで、お金にならないからです。それに当時は、一部のおかしな人が感染を広げるための、マスクなしパーティをしたりしていた時期でもありましたから、つべこべ言わず、マスクをしていることが”バカではない”証明にもなりました。”バカではない証明”、言い換えると、”スマートに見えること”というのは、リベラル・エリートにとっては最重要課題の1つ。”権力がいう正解”であり、”スマートに見える”マスク着用なのですから、それ以上考える意味がないというのがリベラル・エリートの考えなのだと思います。

他にも、”PCR検査(特にCT値を30以上に設定した検査、*3)では、陽性が必ずしも感染を意味することではない”ということは、医師であれば誰でも知っていたことであるはずなのに、無症状者にもやたらとPCR検査を受けさせたり、陰性証明を以てパーティの参加を可能にしたり・・・。PCRについての基本的な知識があれば、先ほどの事例のどちらも意味のない使い方だとわかるはずなのですが、そこはしっかりと”PCR神話”に乗っかるリベラル・エリートが多かったように思います。これもPCRの実際の仕組みを知ったり、PCRと隔離政策の有効性を考えてもお金にならない上、しっかりきっちり検査をしている方が感染対策を真摯に行っているっぽく見えるからでしょう。

*3:【Vol.7】ミスインフォデミック(2)PCRの闇①

このようなことから考えていくと、リベラル・エリートにとって重要なことは、

  1. お金になること

  2. 権威がいう正解

  3. スマートに見える

以上の3つなのだと思います。そして、リベラル・エリートが騙されやすかった原因も、ここにあると思います。

リベラル・エリート的思考

自分の考えがないから、議論を打ち切る

”リベラル・エリート”な日本人有名人で、この瞬間、すぐに思い浮かぶのが夫が逮捕された、学者タレントのMさんです。念の為、架空の人物です。どういうわけか、保守派論客扱いですが、いろいろな点で彼女は典型的なリベラル・エリートだと思います。

まず、国際情勢を知っていて、保守派を名乗るのであれば、太陽光事業は自ずと反対の立場になります。太陽光は、共産主義グループの利権事業です。アメリカで、太陽光をはじめとする、再生エネルギー政策をゴリ押ししている州は全てリベラル州です。日本でも太陽光推し政治家を思い浮かべてみると、何となく中国との繋がりが浮かんできます。

そして、彼女のデビューに繋がった某賞受賞した際の論文が炎上していましたが、あの手の(展開しているようでしていない)論理展開は、リベラル・エリートの人たちとの議論でよく見られるものです。耳で聞いているだけだと、割とするする聞いてしまうのですが、”正解っぽいもの”を羅列しているだけなので、「最終的に何が言いたいの?」とか「それと議論のテーマとどんな繋がりが?」が全くわかりません・・・。しかし、それを尋ねてしまおうものなら、「私は専門家」というような印篭かざして議論を打ち切り・・・というのもリベラル・エリートあるあるです。

なぜ、リベラル・エリートは、議論の打ち切りをせざるを得なくなるのか?

ーーーここからは推測になります。リベラル・エリートが自身が専門家であることを強調しつつ、議論を打ち切る原因について考えてみた結果の、今のところの仮説です。

まず、リベラル・エリートは自分の専門知識についてかなり深く、たくさんの知識を持っています。前提としてこれがなければエリートにはなれません。しかし、リベラル・エリートの問題点は、その知識をもとに自分の意見を作ろうとした経験が少ないのではないでしょうか。というのも、”自分の考え”というのは、お金を産まないからです。もちろん、リベラル・エリートも求められれば、意見を述べることはありますが、それはあくまで知識として持ち合わせた”権威がいう意見”権威がいう意見こそが正解であり、万が一、それが間違えであったとしても、自分は”権威がいう正解”を述べただけで、自分には非がないという逃げ道もあり、安全です。

しかし、これはあくまでも”誰かの意見”であるため、その考えに至った、”考えの軌跡”がありません”考えの軌跡”がない場合、反論や質問を受けたときに、”権威がいう正解”を知識として持ち合わせていなければ、返答する材料がないことになります。”考えの軌跡”があれば、それをきちんと表現できる技術があるかないかは別として、何とかして説明したいという気持ちになるはず。とはいえ、リベラル・エリートからすれば、自分は絶対的に”権威がいう正解”を述べているわけで、これに対して反論してくる人の方がおかしな人となります。・・・そのような彼らなりのもどかしさもあり、「うちは専門家です!」のようなキレ方になってしまうのだと思います。

”権威がいう正解”で見せる、スマートさ

リベラル・エリートは異なる意見に反論するにも”権威がいう正解”だのみと気がついた体験の1つに、ワクチン接種論争時の議論がありました。”自動車事故のリスクに絡めてワクチン接種を推進する主張をする”という人に続けざまに会って、思わず、「何で車?それ、陰謀論者退治マニュアルにでも掲載されてるの?」という心の声が思わず口から出てしまい、相手をキレさせてしまったのです。

「事故のリスクがありながら、毎日、自動車を運転しているのに、
ワクチン接種のリスクを気にして接種しないというのはおかしい」。

安全性の検査が一通り終わって販売された製品と、治験途中の製品とでは、リスクがあまりにも違いすぎますし、自動車事故のリスクは製造者よりもむしろ、運転者の方に起因することが多く、この点でもワクチンのリスクと同様には考えることができません。

そもそも自動車とワクチンとがあまりにも遠い存在。そんな遠い存在である自動車との比較でワクチンの安全性を語る人が身近に何人も登場するなんて、「これはもしかして、マニュアルがあったり?」と、半分冗談のつもりだったのですが。キレてしまったところを見ると、実際にそれらしいものがあったんではないかと。これも本人が自らたどり着いた考えだったら、「いやいや、なぜ自動車事故のリスクの例と比較したかと言えばね・・・」と、キレずに説明できたと思うのですが。

もう1つ、このような展開の時に、リベラル・エリートがキレがちなのは、”権威がいう正解”を主張する、議論に負けるはずのない賢い彼らが劣勢な立場に追い込まれるというのは、許し難い状況だからではないでしょうか。私はこれはディベートの副作用ではないかと考えています。

本来、議論には必ずしも勝敗が必要なわけではありません。異なる意見をぶつけることで、新たな突破口を見つけることができたり、考察を深めたりすることができたりするのも、議論の意義だと思います。最終的に相手の考えに賛同できなくても、「そういう考え方もあるのか」とお互いに思うことができれば、チームとしてはかなり大きな収穫になります。

一方、現在一般的に行われているディベートは、相手を言い負かした方が勝ちであり、言い負かした方の議論が正しいような錯覚を与えてしまいます。しかし、錯覚は錯覚。最も有名な例を挙げると、OJシンプソンの刑事裁判があります。裁判という”ディベート”上では、彼は無罪となりましたが、彼が本当に無罪だと思っている人はどれくらいいるのでしょうか?実際、民事裁判では有罪でした。

もう1つ、アメリカでの有名なディベートといえば、大統領候補たちの討論会がありますが、あの”言い合い”を不毛だとするリベラル・エリートは結構多いのですが、同じような”言い合い”を自分たちも行なっているということに意外と気がついていない人は多いようです。とはいえ、建設的な議論よりもディベートする機会が多い環境で育った人にとっては、仕方がないことなのかなとも思います。

リベラル・エリートがファシズム社会構築に加担させられた原因

コロナ騒動下での、リベラル・エリートの役割

コロナ騒動時のアメリカでは、コロナ利権を得ることができないリベラル・エリートも、”新型科学”利権グループに貢献することになってしまいました。彼らの主な役割は、”陰謀論”と決めつけられた、政府とは異なる見解をあの手この手で叩いていくこと

2021年夏以降のアメリカでは、「感染拡大は、未接種者の責任」という”新型科学”によるワクチンの販売促進キャンペーンが行われましたが、現場で大活躍したのがリベラル・エリートです。米国共産党であるバイデン政権は、ワクチン未接種者宅を訪問し、ワクチン接種を促進したり、接種すると結構な当選金がもらえる抽選に参加できるキャンペーンを行ったりしていましたが、これらがどれだけ異常なことか、リベラル・エリートはなぜだか気がつけない・・・。その結果、リベラル・エリートは、同僚や友人レベルでも、未接種者叩きを展開していきました

しかし、2022年秋、ファイザー社幹部が欧州議会で「ワクチンの効果は発症と重症化を防ぐことであり、感染を防ぐかどうかは確認していない」と明言しました。つまり、感染しても発症や重症化を防ぎたいという人が接種すれば良い話で、感染を防ぐことができないのであれば、「○%が接種すれば集団免疫ガー!」の話は一体何だったの?という結果になったのです。しかし・・・

あのP社幹部・欧州議会発言から数ヶ月・・・誰からも謝られていないんだが。

2023年の現在であれば、私は「接種は絶対しない方がいいよ」と断言します。しかし、2021年の接種開始直後の私はあくまでも”接種は様子見”ステイタスであり、接種をしない理由を問われれば、説明しましたが、接種をしようという人に反対したりはしませんでした。なぜなら・・・。

可能な限り、リサーチし、理解しようと努めた結果、
「必要なさそうだけど、まだよくわからない」
というのがその当時の一端の結論だったから。

「よくわからないから様子見したい」というと、「科学者でもないのに、わかるわけがない」とか、「よくわからないから打たないなんてバカげている」と、散々言われましたが、治験中のワクチンについて「よくわからない」のはある意味、当然で、それをどうして否定されるのか謎でした。絶対的に安全で効果的とわかっているならば、治験を継続する意味はないと思うのですが、治験継続の理由をきちんと説明してくれるリベラル・エリートは1人もいませんでした。

アメリカでは昨年初めくらいから、”3年前の陰謀論は現在の常識”というような、さまざまなどんでん返しが繰り広げられています。そのような中にあっても、なぜリベラル・エリートが未だ強固な態度を貫けけているのかといえば、彼らの主張は”権威のいう正解”だったからにすぎないからです。そこに”自分で考えた軌跡”が少しでもあれば、”新型科学”の主張の矛盾点が”軌跡”に引っかかり、おかしさに気がつけたのではないかと思いますが、残念なことに、”自分で考えた軌跡”がないから、センサーが緩々なのです。

さらに、そんな強固な態度で貫いた彼らなりの正義がどうも間違っていたのではないか?という状況になってきてはいるのですが、そこで「ヤベっ、悪いことしてしまった」ということにならないのは、彼らの主張は自分の考えではなく、”権威のいう正解”だったからです。例えば・・・ちょっと話が飛びますが、もしも・・・

「いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府!」と覚えた鎌倉幕府の設立が
研究の結果、”いい箱(1185年)”になってしまった。
これに対し、昔、これを教えた教師に文句を言う人がいるでしょうか?

”もしも”ではなく、現実の話です。「いい箱作ろう」と言う覚え方は、ちょっと嫌ですが、研究が進んで”正解”が変わっただけ、と言われたら、「まあ、そうなのか」と、それ以上でもそれ以下でもありません。リベラル・エリートにとってのコロナの常識とは、まさにこのレベルで、”正解”が変わっただけと言う認識

実際、「ウイルスラボ流出(人口ウイルス)説を陰謀論」と決めつけていたファクトチェッカーたちは、自然発生説が絶望的になった時に”ニュー・ファクト:コロナウイルスはラボ流出〜”的な記事を恥ずかし気もなく出していました。

リベラル・エリートは、”新型科学”とは異なる主張をした人たちに対し、主張に対して反論するだけではなく、キャリアや人格までを攻撃を加えてきたという、自分たちのここ数年間を、すっかりお忘れなのでしょうか?いえ、エリートな彼らはもちろん覚えています。しかし、彼らにしてみれば・・・

自分たちは、あくまで”権威のいう正解”を推奨していただけ。
間違ったのは”権威の誰か”であり、”自分自身”ではない。
だから、私は悪くない。

こういう感覚だから、突然意見をひっくり返し、「私は単なる運び屋にすぎない!」発言ができてしまうわけです。例の大臣も保守(愛国者)かと思っていましたが、共産圏とのつながりが暴露されたりもしまし、リベラル・エリートだったんだなと思います。そもそもあれだけ数字にも英語にも強いのですから、P社が出していた情報に、本来であれば「有効率95%、世の中の人の認識とP社発表にズレがない?」と疑問が生じて当然だと思うのです(*4)。

*4有効率95%:”接種者が100人いたら95人発病しない”ではなく、”未接種で発病した人が接種していれば、発病しなかった確率”の数字だと思います。
ワクチン接種の検討事項(1)現状を正しく把握
元々P社が公開していたデータからは、”ワクチン接種しても、しなくても、99%以上の人がコロナに感染しなかった”ということがわかったので、私は様子見というステイタスでした(下記の計算)。

ワクチン接種の検討事項(1)現状を正しく把握より

とはいえ、彼はこの手のことがわかっていた上で、他のリベラル・エリートを操作する側だとは思いますが、リベラル・エリートっぽい言い訳で”スマートな自分”を守ることができた、と少なくとも本人は思っているわけです。もちろん、そんな無責任さに反論してくる人々はいます。でも、彼が平気なのは、リベラル・エリートである彼から見て、反論してくる人々はただのおバカな人たち。

お前たちも、稼げるようになってから(成功してから・出世してから)
文句言うんだな。

ということで、心の平和が保てます。何しろ、彼らにとっては、”稼げる”が正義なのですから。しかし、ここは彼らの危うさにもなっています。本来、主張の正しさと人格は別ものーー間違った意見を主張したということは、意見が間違っていたというだけにすぎないことです。間違っていたとわかった時に、改めることができるか?という方がむしろ人格に関係することだと思います。とはいえ、何も”稼げる”が正義は道徳的に間違っているから、改めた方が良いよと思っているわけではありません。”稼げる”が正義はむしろそれを信仰している人の人生を危うくしかねないリスクがあります!というのが次の章です。

リベラル・エリートの取説

「”稼げる”が正義・権威のいう正解・スマートに見える」を重視するリベラル・エリートは、操作する側としては、使いやすく、勝手に思った通りの行動をとってくれる優秀なコマです。リベラル・エリートの取説としては・・・

彼らがスマートに見えるよう肩書きを与え、
生活水準を落とせなくなるレベルまで稼がせ、
そして、「君の生き方が正解だ!」と権威のお墨付きを与えておけばいい。

これだけです。彼らが好きな言葉で表現すれば、リベラル・エリートは「コスパが良い!」ということになります。
冒頭で、架空の人物である、話題のタレント学者であるMさんはリベラル・エリートの典型と言及しましたが・・・。でしょ?

念のため、これは”エリート”と呼ばれる人たちのすべてについてではなく、あくまでもリベラル・エリートに限定しての話です。同じように尊敬される職業に就いて、憧れるくらいの収入を得ている人であっても、リベラル・エリートではない人たちはたくさんいます。それは・・

自分で考える人たち

  • 自分で考えるから、「正解はコレ!」と権威に言われたところで、それが違うと思えば反論する

  • 「正解はコレ!」と言われても、目の前で起こっていることが「おかしい」と思えば、勇気を持った告発を試みる

パンデミック初期に、既存薬を使ったコロナの治療方法を広めようとした、ピーター・マカロー博士(*5)や、明らかな”ワクチンによる有害事象”を目にしても政府に忖度し、所定の報告をしない公立病院を内部告発した、公務員で看護師のジョディ・オマリーさん(*6)をはじめ、内部告発者としてプロジェクト・ヴェリタスに登場した人々・・・等です。

*5ピーター・マカロー博士:
■米国コロナファシズムVSテキサス医師
5)85%の死亡は早期治療で助けられた (ピーター・マカロー博士、イベルメクチン)
6)コロナを収束させる公衆衛生政策(ピーター・マカロー博士) 
7)推進派の医師が、中止を求めた理由 (ピーター・マカロー博士)
8)医学と公衆衛生の歴史上最大の不正 (ピーター・マカロー博士)
*6ジョディ・オマリーさん:
アメリカ合衆国保健福祉省(HHS)傘下の病院に勤務する、連邦政府職員であり、看護師。
連邦政府職員(看護師)によるワクチン関連の内部告白 

マカロー博士は自分の目の前にいる患者だけではなく、”適切な治療すれば助かる命”を見過ごすことができなかったために、輝かしいキャリアを失うだけでなく酷い人格否定までされてしまうことになりました。リベラル・エリートからすれば、マカロー博士のような人は、”生き方が下手な人”となります。マカロー博士たちも、もちろん自分の行動がどのような結果を招くリスクがあるのか?ということはわかっていたかと思います。しかし、”自分の考えた軌跡”センサーがあるため、おかしな社会で、気が付かないフリはできなかったのだと思います。マカロー博士にとっては”稼げる”は正義ではなかったのでしょう。

私たちが生きたいと思う社会は、そんなおかしな社会でしょうか?
正直者がバカをみる社会、それはまさに共産主義社会そのもの。

現代の中国では「良い人は長生きしない」と言われているそうです。例えば、洪水被害に遭った人を助けようと、汚水に浸かりながら救助作業をしている人たちがいるにも関わらず、倒れた電柱、切れた電線が水に浸かっている状態で、発電を再開しようとする地方政府の役人たち。彼らにとって、重要なのは、犠牲者を少なくすることではなく、”少ない時間で電気を復旧した”と、中央政府に報告できることだと言います。

怖い話です。とはいえ、アメリカや日本のリベラル・エリートの態度や行動は、この中国の地方政府役人と全く同じこと。そして、中国の地方政府の役人が極悪人かといえば、彼らもまた、リベラル・エリートにすぎません。自分できちんと考えていないから、酷いことが簡単にできてしまうのだと思います。「私は単なる運び屋にすぎない!」(自分は”権威の正解”に従ったにすぎない)と、心の平和を保つことができるからです。

しかし、同じリベラル・エリートでありながら、中国の地方政府役人が知っていることで、日米のリベラル・エリートが気がついていないことがあります。それは・・・

  • 彼らに繁栄を与えてくれた人もまた、リベラル・エリートであること。

  • リベラル・エリートにとって、トカゲの尻尾切りは何の罪悪感もなくできる”自分のスマートさ”を守ることができる有効な手段の1つであること。

  • 一度、リベラル・エリートの上昇気流に乗ってしまったら、抜け出すことが困難であること。

特に最後の1つがあるから、一度、ファシスト社会構築に組み込まれたリベラル・エリートたちはーー気が付いていないのか、気が付かないふりをしているのかは分かりませんがーーひたすら権力者の利益のために尽くし続けることになってしまうのです。操作する側の立場が危うくなれば、簡単に切られてしまう尻尾に過ぎないというのに。

ーー以上は、あくまでも、私の仮説です。間違った見解も入っていると思います。だから、リベラル・エリートの人とはこの点についていろいろ意見を聞いてみたいのですが、「俺くらい稼いでから意見しろ」で終わってしまうでしょうから・・・。

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